ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

二階発言 「気違い」はなぜいけないのか

2017-07-01 15:01:06 | 日記
いつものようにネットの森を散策していたら、次のような記事に出会った。

「自民党の二階俊博幹事長は30日夕、国分寺市での都議選応援演説で自ら
の差別的な表現が報道されたことなどを念頭に「言葉ひとつ間違えたらすぐ
話になる。私らを落とすなら落としてみろ。マスコミの人だけが選挙を左右
するなんて思ったら大間違いだ」と述べた。二階氏が29日の応援演説で
使った表現について、一部メディアは不適切発言として報じていた。」
                      (朝日新聞デジタル)

この記事で「不適切発言」とされた「差別的表現」とは、はて一体どんなも
のだったのか、興味がわいて、私はその中身が知りたくなり、さっそく手元
のタブレットでググってみた。

次の発言がそれに当たるようだ。

「この頃は地元もあまり帰れない。よく変なものを打ち上げてくる気違いみ
たいな国がある。そうすると私どもは集合がかかる。」
                 (ライブドアニュース)

この記事を配信したライブドアニュースは、この発言に対して、「弾道ミサ
イル発射を繰り返す北朝鮮をやゆした発言だが、精神障害者への差別的表現
が含まれていた」とコメントしている。

問題になったのは、「気違い」という表現である。この言葉が「差別的表現」
に当たることは、二階幹事長自身が認めているようで、彼は演説後、記者団に
対して「表現として必ずしも適切でないものが一部あった。今後注意したい」
と釈明している。

「はは〜ん、あのヘンテコリンな問題か」
私のなかに思い当たることがあり、昔の記憶がよみがえった。まだ若かった
ころのことである。ある出版社に持ち込んだ原稿が思いがけず日の目を見る
ことになり、私は小躍りして喜んだが、編集者が何箇所か朱を入れて修正を
要求してきた。その中に「気違いじみた」という表現があったのである。

この表現がなぜいけないのか、なぜ修正しなければならないのか、当時の私
はよくわからなかったが、とにかくこの表現は使ってはいけない表現らしい
のだ。納得できないまま、なんとしても本を出したかった当時の私は、これ
を「狂気の沙汰」と書き換えて、とりあえずこの場を乗り切ることにした。

もう若くない老いぼれの私は、まだ若かったその頃のそんな自分を懐かしく
思いだし、こう考えた。いい機会だ、「気違い」という表現はなぜまずいの
か、改めて考えてみようではないか、と。

今だから分かることがある。脳卒中の後遺症で片麻痺になり、身体障害者に
なった今、私には考えるまでもなく、この表現がなぜまずいのか、その理由が
よく分かるのだ。

なぜなのか。「気違い」という言葉は、精神異常者をふくむ精神障害者一般
を指し、その全体を蔑む言葉であって、そこには精神の病を負った人たちも
含まれている。自分の落ち度ではないのに、不幸にして精神の病を背負って
しまった人たちは少なくない。そういう人たちは哀れみの対象にこそなれ、
蔑まれるべき謂れはない。そういう人たちをも含めて、蔑みの対象にする
「気違い」という言葉は、使ってはならない言葉なのだ。

たしかに、中には感性やメンタリティが普通一般の人とは異なり、そのため
に社会との軋轢を生じて、ときに問題(とされる)行動を起こす人もいるだ
ろう。思い込みが昂じれば、それが犯罪行為になる場合もある。だが、その
種の人と、精神の病を負った人とは、はっきり区別しなければならない。こ
の区別を設けず、両者を一括りする「気違い」という言葉は、使ってはまず
い問題ある言葉なのである。

だが、問題なのは言葉のほうであって、この言葉を口にした人ではない。言
葉が言葉として残存し、世間の一部であれ流通している以上、人はそれを口
にしてしまうことがある。それは、この言葉が完全に消滅するまでの過渡期
には、仕方のないことだと言わなければならない。二階幹事長の「気違い」
発言は、その種の凡ミスだと言えるだろう。

ところで二階幹事長が「気違い」という言葉を使ったことは、マスコミに大
きく取り上げられ、糾弾の対象になったのだろうか。私がググった限りでは、
二階幹事長の当該発言を非難糾弾する論調は、ネット上には見られなかった。
相次ぐ自民党議員の不適切発言によって、自民党の支持率が低下し、都議選
は厳しいだろう、という予測報道があっただけである。

にもかかわらず、マスコミによる意図的な追い落としのキャンペーンがあっ
たかのように受けとめ、「落とすなら落としてみろ」と凄んでみせるのは、
被害妄想が過ぎるというものだろう。

そう言えば、あの「気違いみたいな国」のドンである豚魔大王も、被害妄想の
病に冒されているのではないだろうか。「アメリカに攻め滅ぼされる」という
被害妄想の強迫観念に駆られて、彼はつい(ミサイルなどという)「変なもの」
を打ち上げてしまうのではないか。そう思うこの頃である。
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