ヘーゲルに「主人と奴隷(下僕)の弁証法」と呼ばれる考え方がある。ざっくり言えば、主人が奴隷に転化し、奴隷が主人に転化する、何とも皮肉な逆転のプロセスを示そうとしたものである。マルクスはこれを、労働者が資本階級を打ち倒す革命の論理とみなしたが、私はきょう、朝日新聞の記事の中に、この弁証法論理の現実的な展開を見たと思ったのである。
問題の記事は、
「米国は独りではない。日本は共にある―― 寄り添う首相、言葉の裏に 米議会演説」
とタイトルが付けられている。
「『You are not alone.We are with you!(米国は独りではない。日本は米国と共にある)』。この日一番の声量で首相が訴えると、議場内は万雷の拍手に包まれた。首相は笑みを浮かべ、満足そうに議場を見渡した。この言葉こそ、首相が最も伝えたいメッセージだった。
訪米前、首相は『もし米国に東アジアから手を引かれたら大変だ』と頭を悩ませていた。11月の米大統領選で『アメリカ・ファースト(米国第一主義)』を掲げるトランプ前大統領が返り咲けば、米国の『内向き』志向が加速する恐れがある。中国は東シナ海や南シナ海で海洋進出を強め、台湾に軍事圧力をかける。米国をこの地域に引き留めるために、何を訴えるべきなのか。こうした問題意識のもと『3、4カ月かけてしっかり作った』(首相周辺)という演説。首相は訪米前、『米国は世界のリーダーとして孤独なんだ』と周囲に語り、既存の国際秩序維持を担う米国の負担を日本も負う決意を示すことで、米国を東アジアに引き留めるという理屈を考えていた。」
(朝日新聞4月13日)
つまり、「日本は米国と共にある」という岸田首相の演説のことばは、「米国は日本とともにあって欲しい。米国は東アジアから手を引かないで欲しい」という期待を込めた願望・要請の逆説的表現なのだ。
今、米国は、「見捨てないで欲しい」と懇願され、頼りにされる存在として、かろうじて〈主人〉としての地位を保っている。
だが、岸田首相の願望・要請は、一皮剥(む)けば「米国は日本の用心棒になって欲しい。米国は東アジアの用心棒でいて欲しい」というものであって、ここでは日本が雇用主、米国は被雇用者の関係になっている。主人は米国、奴隷は日本、という関係が、見事に逆転してしまっているのだ。
そう思って見ると、岸田首相を国賓として迎え入れたバイデン大統領のもてなし振りは、さながらご主人さまを迎え入れる下僕(しもべ)のそれのように見える。
もちろん米国の側もただヘイヘイと服従するわけではない。
「よし、わかった。お望み通り、我が軍をこのまま日本に駐留させることにしよう。ただし、条件がある。日本の自衛隊は我が軍の指揮下に入ること。それと、日本は軍事装備品を我が国から購入することとし、我が軍の駐留経費も日本が持つんだぜ」
米国の態度は居丈高で主人のようだが、これだってベアを要求する労働者の条件闘争のようなもので、あえて目くじらを立てるほどのことではない。
日本が米国に支払う米軍の駐留経費など、それで国の安全が買えると考えれば、お安いものである。
いやあ、キシダくん、あんたはエラい!
あんたがアメさんのポチの振りをしていたのは、そういうことだったのだね。
やはり「外交の岸田」も捨てたものではない。
見直したぜ。
問題の記事は、
「米国は独りではない。日本は共にある―― 寄り添う首相、言葉の裏に 米議会演説」
とタイトルが付けられている。
「『You are not alone.We are with you!(米国は独りではない。日本は米国と共にある)』。この日一番の声量で首相が訴えると、議場内は万雷の拍手に包まれた。首相は笑みを浮かべ、満足そうに議場を見渡した。この言葉こそ、首相が最も伝えたいメッセージだった。
訪米前、首相は『もし米国に東アジアから手を引かれたら大変だ』と頭を悩ませていた。11月の米大統領選で『アメリカ・ファースト(米国第一主義)』を掲げるトランプ前大統領が返り咲けば、米国の『内向き』志向が加速する恐れがある。中国は東シナ海や南シナ海で海洋進出を強め、台湾に軍事圧力をかける。米国をこの地域に引き留めるために、何を訴えるべきなのか。こうした問題意識のもと『3、4カ月かけてしっかり作った』(首相周辺)という演説。首相は訪米前、『米国は世界のリーダーとして孤独なんだ』と周囲に語り、既存の国際秩序維持を担う米国の負担を日本も負う決意を示すことで、米国を東アジアに引き留めるという理屈を考えていた。」
(朝日新聞4月13日)
つまり、「日本は米国と共にある」という岸田首相の演説のことばは、「米国は日本とともにあって欲しい。米国は東アジアから手を引かないで欲しい」という期待を込めた願望・要請の逆説的表現なのだ。
今、米国は、「見捨てないで欲しい」と懇願され、頼りにされる存在として、かろうじて〈主人〉としての地位を保っている。
だが、岸田首相の願望・要請は、一皮剥(む)けば「米国は日本の用心棒になって欲しい。米国は東アジアの用心棒でいて欲しい」というものであって、ここでは日本が雇用主、米国は被雇用者の関係になっている。主人は米国、奴隷は日本、という関係が、見事に逆転してしまっているのだ。
そう思って見ると、岸田首相を国賓として迎え入れたバイデン大統領のもてなし振りは、さながらご主人さまを迎え入れる下僕(しもべ)のそれのように見える。
もちろん米国の側もただヘイヘイと服従するわけではない。
「よし、わかった。お望み通り、我が軍をこのまま日本に駐留させることにしよう。ただし、条件がある。日本の自衛隊は我が軍の指揮下に入ること。それと、日本は軍事装備品を我が国から購入することとし、我が軍の駐留経費も日本が持つんだぜ」
米国の態度は居丈高で主人のようだが、これだってベアを要求する労働者の条件闘争のようなもので、あえて目くじらを立てるほどのことではない。
日本が米国に支払う米軍の駐留経費など、それで国の安全が買えると考えれば、お安いものである。
いやあ、キシダくん、あんたはエラい!
あんたがアメさんのポチの振りをしていたのは、そういうことだったのだね。
やはり「外交の岸田」も捨てたものではない。
見直したぜ。