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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

不老不死の妙薬!?

2025-07-01 08:53:27 | 日記
その番組を見たのは、ちょっとした操作ミスからだった。私は最新の番組

NHKスペシャル「人体Ⅲ 第4集」

を見るつもりだったのだが、

眠れない夜、私はスマホで開いた「NHKプラス」の選択ボタンを押し間違え、

NHKスペシャル「人体Ⅲ 第2集」

を開いてしまったのだった。

だが、それはそれで良かったのかもしれない。
結果的に、私は実に興味深い知識を得ることができたのだから。

私が思いがけなくも得ることができた知識、それは、

最先端の研究が教える老化のメカニズム

に関する知識だった。

この番組のMCは、ノーベル生理学・医学賞を受賞したことで名高い山中伸弥氏である。
山中氏が教えてくれた老化のメカニズム、それは、
分化によって独自の役割・機能を持つに至った個々の細胞が、
それ以上分裂することを止め、『老化細胞』になるプロセス
」である。

老化細胞は、周囲の細胞に炎症を引き起こし、種々の臓器・組織の機能を低下させる。
その結果、老化細胞は心肺機能などに大きなダメージを与えるのだという。老化すると、身体の諸機能が衰え、病気に罹りやすくなるのは、そのためである。

瞠目すべき情報があった。番組によれば、なんと、老化をくい止める「老化治療薬」がすでにできているというのだ。
「老化細胞」を除去すれば、周囲の細胞に炎症が引き起こされることもなくなり、臓器や組織の機能が低下することもなくなる。
したがって細胞は若さを保ち、病気に罹ることもなくなる、
という理屈だが、
老化治療薬とは、分裂をやめた「老化細胞」だけを除去する働きを持った薬、ーーそう、夢のような薬なのである。

ゲスト出演者の石川佳純は、

細胞が古くならなかったら、不老不死も可能になるのでは?

と目を輝かせるが、
たしかに、我々が老化治療薬によって不老不死を手に入れるのも、そう遠くない将来なのかもしれない。

だが、そこには心躍るような、望ましい将来が待ち受けているのだろうか。天邪鬼の私は、しかし、その将来を手放しで喜ぶことができない。

そういう老化治療薬は、一部の金持ちだけが手に入れられる、かなり高額のものになるに違いない。
すると、一部の金満家や(中国の習近平のような)独裁的な政治権力者だけが不老不死を手に入れることになり、いつまでも金満家や政治権力者の支配が続くことになる。(若者が割を食う)長老の支配体制が不動のものになるのだ。

それだけではない。もう一人のゲスト出演者・天海祐希は、
期限があるからがんばれる、ということもあるのではないか
と述べたが、
たしかに、寿命が伸びて「期限なし」の状態になると、我々の気力・意欲は削がれてしまうのではないか。
実現すべき目標を失い、のんべんだらりと日を送るだけの人生。
そんなふやけきった人生は、私の望むところではない。

♬命短し恋せよ乙女♬

人生は短い。だからこそ一瞬一瞬が貴重なものになり、輝きを帯びるのではないか。
残された人生が残りわずかな私は、そう思う。いかがだろうか。

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「私」の成り立ち

2025-06-29 09:31:09 | 日記
最近は週に二度通うデイサのスキマ時間に、ぶ厚い文庫本の

絶望名言(NHKラジオ深夜便)

を読んでいる。「いいね!」と思える言葉に出会った。

人間って過去の積み重ねでできているわけで、その過去の記憶が 自分によってある程度 作り変えられているとしたら、もしかすると『自分』というのも、一つの創作物にすぎないですよね

これは、「絶望名言」の紹介者である頭木弘樹氏がNHKの「ラジオ深夜便」で語った言葉である。川端康成の次の言葉をパラフレーズしたものだ。

忘れるにまかせるということが、 結局最も美しく 思い出すということなんだ な
(「散りぬるを」『眠れる美女』)

川端のこの言葉に着目し、そこから「自分」の成り立ちに関する独自の見方をつむぎ出してくる頭木氏の慧眼もなかなかのものだ。

デイサの喧騒の中で頭木氏のこの言葉を目にして、私はう〜む、と考え込んでしまった。

車イスにすわり、十数人のジジババの中で、テーブルの上に文庫本を広げているこの「私」。この「私」はたしかに過去の記憶の積み重ねからできている。
75歳の後期高齢者となったこの「私」には、過去のさまざまな記憶がまつわり、それがなかったら、この「私」はただの空白、一片の空白に過ぎないだろう。

もっとも、記憶というやつは厄介だ。我々はそいつをいとも簡単に作り変える。
「忘却」という都合のよい操作によって、嫌な記憶は無かったことにし、「美しい」記憶だけを残す。

私は今、これまでの75年をふりかえり、「ああ、良い人生だったなぁ」と感慨に浸ることがしばしばだが、ふと思いがけず、嫌な記憶が押し寄せてきて、「それにしても、オレのこれまでは苦労続きの人生だったなあ」と思うこともある。そんなことは頭の片隅に追いやって、忘れてしまおう、と思い直すとき、私は川端と同じ境地にいるのかもしれない。
忘れるということが、 結局、最も美しく 思い出すということなんだ な・・・」。

恍惚の人、という言葉があったが、ボケ老人になることが、ハッピーエンドに至る極意なのかもしれない。やれやれ。

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イランをめぐるイスラエルとアメリカ(その2)

2025-06-26 08:56:57 | 日記
(承前)
イスラエル・ネタニヤフ首相の危機意識、さらにはトランプ米大統領の危機意識は、次のように言い換えることができる。

ヤバい政権がヤバい兵器を手にしたら、きっとヤバいことになる。一刻も早く手を打たなければ、我々の生存が脅かされるぞ!


ネタニヤフ首相やトランプ大統領のこうした危機意識は、我々日本人にとっては決して無縁のものではない。イランの核開発は決して「対岸の火事」ではないのだ。
というのも、隣国・金正恩の北朝鮮に対して、我々は同様の思いを持っていないだろうか。

ヤバい政権がヤバい兵器を手にしたら、きっとヤバいことになる。一刻も早く手を打たなければ、我々の生存が脅かされるぞ!

数年前、我が国は安全保障3文書の改定に際して、「敵基地攻撃能力」の保有を認めるに至った。(「専守防衛」の理念を有名無実化する)こうした措置も、北朝鮮の「ヤバさ」を念頭においてのことである。

断るまでもないが、私は何もネタニヤフ首相やトランプ米大統領の危機意識を正当化しようとしているわけではない。
特にイスラエルについて言えることだが、この国のガザ地区攻撃を引き合いに出すまでもなく、ネタニヤフ政権もそれ自体が相当に「ヤバい」政権である。その「ヤバい」政権が、すでに核兵器という「ヤバい」兵器を手にしているのだ。

この「ヤバい」現実に対して、イランの最高指導者が次のような危機意識をいだいたとしても、それは無理のない話である。

ヤバい政権がヤバい兵器を手にしているから、きっとヤバいことになる。一刻も早く手を打たなければ、我々の生存が脅かされるぞ!

ネタニヤフ政権が核兵器を手にしていることに対して、イランの最高指導者がとった対抗措置は、一刻も早く核兵器を手に入れることだった。目には目を、歯には歯を!

今回のイスラエル・イラン両国間の戦闘を激化させているのは、言うまでもなく「にわとりとたまご」の難問である。

う〜む、たしかに難しい問題である。

と思いきや、おととい6月24日、突然、あっと驚く「イスラエルとイラン、停戦合意」のニュースが世界中を駆けめぐった。翌日の朝日新聞は次のように伝えている。

トランプ米大統領は23日午後6時(日本時間24日午前7時)すぎ、イスラエルとイランの間で『完全かつ全面的な停戦が合意された』とSNSに投稿した。」
(朝日新聞6月25日)

記事本文は「米国の参戦で極限まで高まった緊張は沈静化に向かうかに見えるが、『薄氷の合意』は極めて危うい状態だ」と続く。
ともあれ、一時的にせよ停戦が成り立ったのは、「にわとりとたまご」の不安定な均衡状態の、その行き着く先が見えているからである。不安定な均衡状態は、共倒れの不毛な消耗戦に行き着く可能性が大きい。それが分かっているから、イスラエルとイランの両国は「とりあえず撃ち方やめ」を選んだのだろう。
「このまま突っ走ったのでは、我が体制が持たない」との思いは、とりわけイランの最高指導者がいだいたに違いない。

ここで注目すべきは、「にわとりとたまご」の不安定な均衡状態の、その根底にあるのが〈正義〉にまつわる独特な事情だということである。

では、この独特な事情とは何か。それは、「普遍的な〈正義〉は存在しない」ということである。イスラエルには〈イスラエルの正義〉があり、イランには〈イランの正義〉がある。この二つの〈正義〉は全く異なっており、両者に通用する「普遍的な〈正義〉」は存在しないのだ。

ここで嫌でも思い浮かぶのは、ニーチェの「遠近法主義」である。
ネットで「ニーチェの遠近法主義」について検索してみると、次のような説明が出てくる。

「ニーチェの『遠近法主義』(パースペクティヴィズム)とは、客観的な真理は存在せず、すべての認識は主観的な視点や解釈に依存するという考え方である。ニーチェは、認識は常に特定の視点から成り立つものであり、普遍的な真理を捉えることは不可能だと主張した。」

この説明を借用すれば、次のように言うことができるだろう。

「我々は、正義は常に特定の視点から成り立つものであり、普遍的な正義を唱えることは不可能だと考える。」

この考え方を「正義の遠近法主義」と名づけるとすれば、イスラエルとイランとの間に「停戦合意」が成り立ったのは、両国のリーダーがこの「正義の遠近法主義」に思いを致したからだと言えるだろう。

普遍的な正義は存在しない。ましてや絶対的な正義など存在しない。とすれば、戦いにこだわり、勝利にこだわる理由など、何も存在しないからである。

ふむふむ。普遍的な正義など存在しない、か。だがな、「絶対的な〈正義〉」は存在するのだぜ!それは何かといえば、このオレさまの思し召しだ、ーー夜郎自大のトランプ米大統領なら、そう宣(のたま)うのかもしれない・・・。やれやれ。

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イランをめぐるイスラエルとアメリカ(その1)

2025-06-24 09:14:53 | 日記
イスラエルとイランとの関係がヤバいことになっている。きのう6月23日には、あろうことかアメリカまでが戦闘に加わり、この戦争は拡大の一途をたどっている。拡大の疾風迅雷の勢いがこの戦争の発端から見られた大きな特徴であることは、新聞記事がよく物語っている。

イスラエル軍は13日、イランの核関連施設などを空爆し、精鋭部隊『革命防衛隊』トップのサラミ総司令官ら軍高官を殺害したと発表した。イスラエル軍によると、イランは同日、イスラエルに向けて100機以上のドローン(無人機)を発射。中東の軍事大国同士による報復の連鎖が続き、大規模な衝突に発展する恐れもある。
(朝日新聞6月14日)

朝日新聞がこう報じたのが、さる6月14日。翌15日には、事態は次のように急展開を見せている。

イスラエル軍は14日、イランの核関連施設などへの攻撃を継続し、これまでにイラン各地で精鋭部隊『革命防衛隊』など軍幹部20人以上のほか、核兵器開発の中枢にいた科学者9人を殺害したと発表した。イラン側も報復として、イスラエルに対して数百発の弾道ミサイルを発射した。攻撃の応酬が続き、事実上の交戦状態となっている。」
(朝日新聞6月15日)


注目すべきは、イラン側が報復攻撃に用いたその手段である。最初は「100機以上のドローン(無人機)」による報復攻撃だったのが、翌日には「数百発の弾道ミサイル」による攻撃へと、急激かつ大幅にエスカレートしているのだ。

イスラエルは、言わずと知れた核保有国である。弾道ミサイルを使ったイランの報復攻撃に対して、イスラエルの反撃は、次には核兵器を使った大規模なものになる可能性がある。

上の記事にあるように、この戦闘はイスラエル側の攻撃から始まった。イスラエルといえば、ガザ地区への容赦ない残虐な攻撃に見られるように、非人道的な攻撃を屁とも思わない「問題のトンデモ国家」として我々の印象に刻まれている。

こうしたことから、今回の戦闘に関しては、「イスラエルが悪い!」と言う人が圧倒的多数を占めるだろう。

もっとも、トランプ米大統領と同類の、熱狂的なシオニストは別である。彼らはイスラエルの攻撃を正当な「自衛権の行使」と見なしている。彼らから見れば、イスラエルの攻撃は「悪をたたく正当な行為」なのだ。

事実、朝日新も次のように伝えている。

イスラエルのネタニヤフ首相は、攻撃は核兵器開発の阻止に向けた『自衛措置だ』と主張。『脅威が取り除かれるまで続ける』として、今後も攻撃を継続する可能性を示唆した。
(朝日新聞6月14日)

トランプ米政権はきのう、こうしたネタニヤフ首相の主張に同調してイランの核施設に爆撃を加えたが、これもトランプ米大統領がイスラエルのネタニヤフ首相と同様、核施設への爆撃を「悪をたたく正当な行為」と考えたからにほかならない。

イランはアメリカや日本など、多くの国々によって経済制裁を受けながらも、着実に核開発を進展させ、近々、事実上の核保有国になるとみられている。この事実を前にして、イスラエル・ネタニヤフ首相が危機意識をいだいたのも当然である。

歴史をさかのぼれば、イランのかつての最高指導者・故ホメイニ師は「イスラエルは地図上から抹消されるべきだ」と何度も発言している。
現在でもイランは、イスラエルと交戦中のハマスの、その最大の支援国であり、イスラエルの最大の敵対国であり続けている。

アメリカとの関係について見れば、イランは1979年のイスラム革命以来、態度を一変させてアメリカを激しく憎悪し敵視するようになり、「アメリカ大使館人質事件」などを引き起こしている。

アメリカを激しく憎悪し敵視するイラン。そのイランが核兵器の保有国になるのは、アメリカにとっては大きな脅威であるに違いない。だからイランを攻撃することは、アメリカにとっては「自衛権の行使」でもあるのだ。

こうした経緯を踏まえて考えれば、今回のイスラエル・アメリカと、イランとの戦闘は、「起こるべくして起こった」と言えなくもない。

では、問題の核心はどこにあるのか。アメリカのイラン攻撃に正義はあるのだろうか。
(つづく)

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イマジン 平和な世界を

2025-06-22 08:50:23 | 日記
NHKの番組

時をかけるテレビーー今こそ見たいこの一本ーー

を見た。

MCは池上彰。以前NHKで放送した番組を、もう一度見直そうという番組である。この日に再放送されたのは、2002年に放送された番組

世紀を刻んだ歌・イマジン

である。ゲストは又吉直樹。

この番組で取り上げられた「イマジン」は、ジョン・レノンがつくった楽曲である。Wikipedia によれば、その歌詞は
「国家や宗教や所有欲によって起こる対立や憎悪を無意味なものとし、曲を聴く人自身もこの曲のユートピア的な世界を思い描き共有すれば世界は変わる、と訴えかけるもの」
だという。

この曲が発表されたのは、ベトナム反戦運動が盛り上りを見せた1970年代の前半、1971年のことで、「平和な世界を!」と訴えるこのメッセージソングは、反戦を訴える人々の心に大きな共感を生んだ。

また、NHKが「世紀を刻んだ歌」としてこの曲をとりあげた2002年は、アメリカ国民の大半が同時多発テロを受けて「報復だ!」とテロ犯に憎悪を募らせていた時期だった。
「世紀を刻んだ歌・イマジン」という番組をつくったNHK番組製作者の意図は、よくわかる。憎悪に満ちたこんな時代こそ、「平和な世界を!」と訴えるこの曲が逆に大きな意味を持つ、と考えたのだろう。
実際、同時多発テロによって心に傷を負ったものの、この曲から癒やしを受けた人も少なくなかったという。

さて、そんな時代背景を持つ番組「世紀を刻んだ歌・イマジン」を「今こそ見てほしい」と差し出した先日の番組「時をかけるテレビ」の製作者の意図は、これもよくわかる。
今、世界は、ロシア−ウクライナ戦争、イスラエル−パレスチナ戦争など、暴力と憎悪に満ち溢れている。つい最近、イスラエルとイランとの間にも戦争が始まった。こんな時代だからこそ、ジョン・レノンが残したメッセージを心に刻み、平和の大切さをもう一度よく考えてみよう、ーーNHKの番組製作者は、そう言おうとしているのだ。

以前、本ブログに書いたことだが、NHKが放送した番組

映像の世紀バタフライエフェクト ヒロシマ世界を動かした2人の少女

は、戦争の残虐さ・おぞましさを余すところなく描き出した。

また、(中園ミホ氏の脚本になる)朝ドラの「あんぱん」は、これでもか、これでもか、と戦争の愚かしさを描いている。

こうした最近のNHKの放送姿勢に、私は「いいね!」と拍手を送りたい。

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