「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

この記事一応いいんじゃね?ボタン(作ってみました!) ちょっとさ、押してくれると、うれしいんです!(笑)

blogram投票ボタン

10月26日 しあわせになる人とふしあわせになる人!(「運」と「縁」と「恩」を味方に!)

2013年10月26日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

なんだか、外は大荒れで・・・午前中はのんびり家で仕事をしていようと思いますね。

J-WAVEからは、ノリノリの音楽が流れて・・・ノリノリで仕事をしていますけどねー。


えー、今回も「しあわせになる為の知恵」的な記事を書いていきたいんですが、

僕は普段から市川海老蔵さんの言動にけっこう注目しているんですね。


まだ、彼が独り身の頃、

「僕はこれまで「運」と「縁」と「恩」を大事にしながらしあわせに生きてきました。これからも、そうしていくつもりです!」

と言い切るのに接して、

「おお。このひとは、いろいろ深く考えながら日々生きているのだな」

と感動して、それ以来、彼の言動には、注目しながら、生きているんですね。


彼の言うとおり、この日本社会において、しあわせに生きる為には、

「「運」と「縁」と「恩」を味方にする必要がある」

ということなんですよ。


逆に言えば、

「「運」と「縁」と「恩」を敵にしたら、即不幸スパイラルに落ちる」

ということなんですね。


ここ、一番大事なところですねー。


では、ズバリ、「運」と「縁」と「恩」を味方にするには、どうしたらいいか?


これはこれまでの市川海老蔵さんの生き方を見てくれば、一発でわかるんですけど、

具体的に詳しく説明しましょう。


つまり、①常に真摯に生き、②自分の独自な価値を毎秒追求し、③それをプレゼンし、④モノのわかる大人・・・同性にも異性にも評価され、⑤愛され引き立てを受けること、

この5つが出来れば、「運」と「縁」と「恩」が味方についてくれて、しあわせな人生を送ることが出来るんですね。


日本における「運」と「縁」と「恩」とは、要は人の気持ちなんですね。


女性であれば、

「ああ、この男性の為に何かしてあげたいわ・・・」

男性であれば、

「彼には独自な価値がある。どうにか、彼を世に出してあげたいな。引き立ててあげるべきだな」

と思わせる価値をその男性が持っていれば・・・男性からも女性からも、善意の引き立てを受けて・・・結果、その男性はしあわせになる・・・そのストーリーを、

呼ぶ要素になるのが・・・具体的には、そういう男性と女性の気持ちなんですね。


この日本社会においては、人の気持ちを善意方向に動かすことが、しあわせにつながっていく・・・そういうことなんですね。


例えば、結婚だって、同じ構造なんですよね。


まあ、今の世には、婚活女子という存在がありますが、婚活女子が結婚出来ない理由は、

「その女性を結婚させたいと考える周囲の大人の男性、女性がいない」

「むしろ、「いやあ、彼女は結婚に向いていないだろ」「そうね。私もそう思うかな」と考える大人の男性や女性が周囲にいるから、その方向へ進まない」

という周囲の状況があるんですよね。


市川海老蔵さんは、しあわせな結婚をしました。


彼はたくさんの浮名を流しましたが、それもこれも、市川家の将来の副社長を探すためであって、

彼もまた、

「「運」と「縁」と「恩」を味方に生きてきました」

と豪語出来るくらい、日本社会というモノの特徴をしっかり取らまえていて、

「結婚に向いている女性像」

というのを熟知していたんですね。


じゃあ、結婚に向いている女性像とは、何か?結婚して、しあわせを引き寄せる女性像とは何か?


これは、先程指摘した「運」と「縁」と「恩」を味方に出来る男性像に極めて近いんですね。


つまり、①常に真摯に生き、②美しく、そして賢く、やさしい笑顔になることが出来る、③それを周囲にプレゼンすることが出来、

④モノのわかる大人・・・同性にも異性にも評価され、⑤周囲に愛され、周囲を常に笑顔に出来、引き立てを受ける女性


この5つの要素を持っていれば、「運」と「縁」と「恩」が味方についてくれて、しあわせな結婚が出来るんですね。


つまり、有り体に言ってしまえば・・・男は独自な価値を追求出来て、それを表現出来る、女性は美しく賢くて、周囲を自然と笑顔に出来る・・・とにかく真摯に生きる、

こういうカップルが「運」も「縁」も「恩」も味方に出来て、しあわせな夫婦になっていけるんですね。


もちろん、一番大事なのは、男性も女性も、周囲を自然に笑顔に出来るってことで、それが最も求められるから、周囲の大人がその二人を愛し、

引き立ててくれるんです。


そして、最も大事なのが、生きる姿勢・・・常に真摯に生きる姿勢こそ、日本では最も求められる、生きる姿勢なんですね。


逆に言えば、真摯に生きていない・・・「俺偉い病」の人間だったり、「逃げ込み者」の人間は、周囲が反発しますから、

絶対にしあわせになれない・・・どころか、ふしあわせスパイラル一直線になるんですね。


日本においては、周囲との関係性によって、しあわせになるか、ふしあわせになるかが決まって来ますから・・・そこが最も大事なんですね。


日々、真摯に生き、周囲を自然と笑顔に出来る男性と女性こそ、結婚に向いているし、しあわせスパイラルに入っていく夫婦になっていくんですね。


さて、この生き方こそ、しあわせになっていく大前提の生き方ですし、「運」と「縁」と「恩」を味方につける生き方になるんですが、


そういう目で見た場合、先日の「阪急阪神ホテルズ」の社長の会見を見た場合・・・どういう印象になりますか?


まあ、昨日の記事としては、批判記事として書いたんですが、

今回は、そういう日本文化の側面を捉えながら、あの記者会見を評価してみようという試みをしてみたいわけです。


あの記者会見の印象を簡単に説明すると、

「偉い偉い俺様が、わざわざ、あんたら記者風情の質問に答えてやろうと言うんだから、俺の言うこと、一言一句間違わずに文章として載せろよ」

「てめえら見たいな安月給の人間と俺は生きる世界も脳みそも違うんだ。俺が「偽装でなく誤表示だ」と言ったら、それが絶対なんだよ。そう載せろよ、この庶民風情が」

という、あの社長からのメッセージが見えましたね。


とくかく、庶民を馬鹿にしくさって、

「わざわざ俺が記者風情の質問に答えてやってるんだ。庶民なんて、ゴミ食ってりゃいいんだよ。庶民の癖に俺に意見しようなんて、馬鹿言うな、このウンコ野郎!」

そう腹の中で、考えているのが、見え見えでしたね。


一切、被害者へのお詫びなんて気持ちは無かった。謝罪なんて気持ちは一切無かった。


むしろ、そういう訴えをする人間に対して、吐き気を感じ、怒りすら見せている風情を見せていました。あの社長は。


つまり、自分たちが間違った癖に、悪いのは自分じゃない・・・部下が間違えただけだ・・・つまり、とかげの尻尾切りの論理で押し通したのが、

「阪急阪神ホテルズ」の社長の会見だった・・・そう言っていいでしょうね。


最近、僕が見つけた、不幸に至る新しい病があるんですが、これ・・・専業主婦によくありがちな病気なんですね。

「私は絶対に間違っていないわ病」・・・まあ、ある種の「俺偉い病」だから、ふしあわせスパイラル一直線なんですね。


これにかかると、自身も不幸一直線ですが、家族も不幸一直線・・・一番やっちゃいけない病気なんですね。


専業主婦の危うさは、家庭に入ってしまうが故に比較対象が旦那だけになってしまう、というところにあります。


だから常に旦那と自分を比較する生活になってしまう・・・旦那は社会に出ていますから、比較対象はたくさんあるわけで、三次元的に自分の評価というのは、

出来ているわけです。


しかし、家庭に入った主婦は旦那が唯一の比較対象になってしまうので、

「この旦那ダメね・・・」

と評価出来た瞬間から、成長が止まってしまうんです。


まあ、結婚した20代前半あたりで、その意識の成長は止まってしまい・・・本人は気が若いつもりで・・・旦那を馬鹿にすることで、自分の評価を、

「私は絶対に間違っていない。間違っているのは、旦那の方よ。わたしは絶対に間違っていないの。ほんと、やな旦那だわ。加齢臭も臭いし」

つまり、旦那にダメな点を見つけることで、自分は正しい、間違っていないと思いこむ病気なんですね。


となれば、自然、旦那への言動も変わってきます。


有り体に言えば、旦那を馬鹿にすることこそ、自分を評価することにつながるわけですから、旦那には冷たく当たるし、家庭不和、ふしあわせスパイラル一直線に、

至ってしまうんですね。


さらに悪いことに、女性の成長が促されないものだから・・・いつまでも思考が未熟なまま、いわゆるいろいろな事が稚拙な考えのまま、年齢を重ねるという、

悲惨な状況に陥ります。


考えが稚拙だから、誰もその言葉を信じなくなるし、判断は常に3000%間違うし・・・ドンドンふしあわせスパイラルに陥るんですね。


そういう女性はどういう特徴を見せるか?


例えば、

「大人になるとは、どういうことだと思う?」

と聞いてみれば、一発でわかります。


「大人になることって、周囲となあなあでやるようになることでしょ?知ったようなふりをして、本当の事を指摘出来ない・・・大人のふり・・・いやあね」


なんて、大人というものを馬鹿にするような言動を取る女性ですね。


もちろん、本当の大人の男性なら、大人になるとは、そういうことではないとわかっています。


こういう理解しか出来ないひとの成長レベルは、大人を敵として見ている、10代の人間、せいぜい20代前半の人間までです。


だって、自分が大人になれば、大人になるということは、

「自分も感情的に気持ちよく出来るし、周囲の大人の男性も女性も自然と感情的にハッピーに出来る男性や女性」

ということを知っていますからね。体験的に・・・。


それが出来て、初めて、大人の男性であり、大人の女性である・・・それが出来なきゃ、大人とは言えませんよ。

それが出来るためには、コミニュケーション能力が高くないと出来ない・・・それすらわかっている。


それが本当の大人です。


あと未熟な人間の特徴として、出てくるのは、扱う文章の長さが短い、という特徴が出てきます。


まあ、僕のブログに来るコメントにも、多々見られる現象ですが、

たった一行、

「XXですね」

くらいのコメント・・・つまり、その人間のメモリ量が小さい為にそれくらいの感想しか浮かばないんですね。


いや、たった一行のコメントを貰っても、話しようが無いので、削除する以外ないんですけど。


未熟な人間って、そういう特徴を持つんです。体験的に僕はそれをわかっています。


思考を繰り返した経験を持っている大人は、メモリ量が拡大し、一回に扱う文章量が増えてくる。

だから感想も考えることも、量が増える・・・数行以上の感想を言える大人に成長している。


成長出来ていない大人はせいぜい、一行で終り、数行も行けばいい方・・・それくらいの浅い脳しか持てない・・・そういうことになるんですね。


このあたり、シビアに特徴が出ますね。


だから、たくさんの文章量を扱える人間こそ、大人の男性であり、女性であるとシビアにそこは出ちゃうんですね。


だから、メモリ量が小さく、大人になることについて、「周囲と、なあなあでやること」と大人に対する評価が10代並の評価しか出来ない人間は、

精神的な成長が途中で止まっており、稚拙な人間である・・・そういう結論を下して、あまり近づかないことをオススメしますね。


さらに言えば、そういう女性が「旦那を低評価」していたら・・・これは「わたしは絶対間違っていない病」=「俺偉い病」である確率が高まりますからね。


もちろん、「俺偉い病」の人間は、周囲の反発を買い、ふしあわせスパイラル一直線ですから、怖い病気です。ほんと・・・。


つまり、有り体に言ってしまえば、日本社会においては、周囲の反発を買うと、ふしあわせスパイラル一直線になってしまうんですね。


さて、ここまで話しておいて、先の「阪急阪神ホテルズ」の社長の記者会見の風景を思い出してください。


「すべては部下の過ち。偽装でなく誤表示だ。俺がわざわざ話しているんだから、お前たち庶民はそれを信じればいいんだ。この糞庶民め」

「俺が自ら話してやっているんだから、それを素直に信じればいいんだよ。この愚民どもが!」


そういうメッセージだけで彩られた・・・一切、申し訳ないという感情の無い、あの社長のあり方を見て、みなさんはどう思いました?


あれは謝罪者ではありませんよね?


はっきり言って、単なる「俺偉い病」の患者であって、単なる勘違い野郎に過ぎません。


あれ見てムカついた人間が、この日本にどれだけ出たか・・・つまり、彼は日本社会に反発を受けたんです。あの記者会見一発で。


「日本社会においては、周囲の反発を買うと、ふしあわせスパイラル一直線」・・・と言う絶対法則に則れば、


「阪急阪神ホテルズ」のこの先は、もう予測出来るんじゃありませんか?


この日本社会においては、社会との関わり方で、「しあわせスパイラル」にも入るし、「ふしあわせスパイラル一直線」にも、なる。


なにより、真摯に生きなければ・・・真摯に生きて、しあわせスパイラルに入るように、がんばっていきましょう!


ひとは、しあわせになる為に生きているんだから。


ではでは。

少しだけ歴史的な見方についても、言及しておきましょう。

俺偉い病の人間が組織のトップに立つと「負のエネルギー」を民衆に向かって出してしまうので、

民衆がすべて敵に回り、結果、その組織は周囲が敵だらけになり、その組織ごと消えてしまうという例が日本の歴史にあります。


清盛が機能を失った平家しかり、幕末、「俺偉い病」の徳川慶喜がトップに立った徳川家しかりです。

鎌倉幕府の末期も似たような状況でしたし・・・トップが「俺偉い病」の人間となると「負のエネルギー」を民衆に出してしまうので、

周囲をすべて敵としてしまうので、ひどいことになるんですね。


でも、考えてみてください。

今週末にだって、「阪急阪神ホテルズ」傘下のホテルで結婚式はあるんでしょう?

中止なんておいそれとは出来ないでしょう。結婚式ともなると・・・。

そんな場所で結婚式をあげるカップルからすれば、いい迷惑じゃありませんか?


だって、絶対言われるじゃないですか?


「この肉、表示通りなのかな?」

って絶対誰かが言う・・・絶対にそのカップルは不快に思います。

呼ばれたお客様達だって、同じように不快を感じるでしょう?


多くのしあわせなカップルが、「阪急阪神ホテルズ」傘下のホテルから「負のエネルギー」を受ける

・・・そういう状況をあの社長はわかっているんですかね?

それを想像出来たら、申し訳ないって、気持ちが絶対に出るはずでしょ?


それが一切ない・・・ホテルマンとして、最も大事な、

「お客さまの笑顔の為に・・・」

という気持ちが一切ない。


「負のエネルギー」を民衆に感じさせて、自分は間違っていないと言い張る。


要はあの社長、単なる人間の屑なんですよ。他人の痛みすら想像できない、出来損ないの人間・・・。


確実に終わるだろうな。だって「阪急阪神ホテルズ」傘下のホテルで結婚式なんかしたくないでしょ?

特に今は・・・それでも、やらなくちゃいけないカップルだってある。

それを考えたら、申し訳ないという気持ちが出て当然じゃないですか。

それがプロってもんでしょ?


それに想像が及ばないどころか、一般の人間を馬鹿にしくさっているんだから、

確実に終りますよ。実際。歴史がそれを証明してきたもん・・・。


「俺偉い病」の人間は、周囲を敵だらけにするから、不幸になって消えていく・・・それに近いことになるだろうね。

日本人を馬鹿にしたら、確実に致命的な仕返しを受けますよ。それがわからないアホなんだろうね、あの社長は。


確実にひどいことになりますね。


それが結論です。はい。

朝ドラ通信平日版 10月25日版 「恋のポジティブ、ネガティブ!」

2013年10月25日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
午後5時です。

僕的には晩酌開始の時間です。


というわけで、今日も朝ドラネタ行きますか。


まずは、今日の「ちりとてちん」。

うーん、まあ、今日は僕的には、あまり乗りのよくない日でした。そういう作劇でしたね。

内容的に言うと、糸子さんが徒然亭草若さんの家におしかけてきて・・・と、そこへ大阪最強の借金取り立て人が来るんですが、

このひとがあまりに情けないんで、つい、お金を返したくなる・・・という設定の人なわけです。

ご飯は月に2回しか食べてない・・・とか・・・僕的にはあまりにリアリティが無さすぎて途中で、覚めちゃったんですけど、

その情けないひとと、B子が情けなさで勝負して勝っちゃう、という筋立て・・・。


で、大阪に出ても、情けなさのチャンピオンになってしまったB子はこのまま大阪にいてても、何も変わらないとあきらめ、

糸子さんに、

「小浜に帰ろう」

と言うけれど・・・徒然亭草々さんが、

「ここにいてくれ!」

と、申し込む・・・そういう筋立てでした。


まあ、情けなさ勝負の話はいいとして、B子の中では、

「変わらなきゃ!」

という意識だけは強いんですね。


で、糸子さんに、

「何になるの?」

と聞かれても、実は何もアイデアが無い・・・あげく、

「なんでもっと賢く産んでくれなかったの?そしたら弁護士にでもなれたのに」

「なんでもっと美人に産んでくれなかったの?そしたら、モデルさんにでも、なれたのに」

と言ってしまう・・・まあ、よくあるパターンの話ですが、まあ、わっかりやすい、他力本願なわけです。


これー、よく母親が落ち込む話の典型みたいな感じで、語られますけど、僕だったら、言われてもなんとも思いませんね。

だって、何かになるには、自分の努力でなる以外あり得ないんだから・・・賢くなるのも、美人になるのも、結局、自分の努力次第ですからね。


例えばA子・・・美人で賢いわけですけど、子供の頃からあまり努力しなくても、何でも手にいれてる人って・・・いつの間にか、努力しなくなっちゃうんですよね。

だから、適当なところで止まっちゃうというか・・・やっぱり人生って、努力を続けた人間の勝ちですからね。

僕は今まで社会を見てきて知っていますけど、努力を途中で辞めちゃうから中途半端な人間になって、ふしあわせスパイラル一直線の人も結構知っていますよ。


結局、自分以外に自分を作り出す人間はいないわけですよ。

自分だけが自分を作り上げることが出来る。

自分をしあわせにするか、どうかは、自分次第ですからね。


それを知っているから、

「なんでもっと賢く産んでくれなかったの?そしたら弁護士にでもなれたのに」

「なんでもっと美人に産んでくれなかったの?そしたら、モデルさんにでも、なれたのに」

と言われても、

「いや、弁護士になるのも、モデルになるのも・・・あなたのこれからのがんばり次第だし・・・」

と言うことになるでしょうね。


まあ、もちろん、仕事には向き不向きってのは、厳然たる事実として、存在します。

だから、向いている仕事を探せばいいんですよ。向いている仕事を楽しむところから、すべては始まっていくわけですから、

「好きこそものの上手なれ」

は、本当です。


まあ、でも、高校を卒業したくらいの若さだと・・・何をすればいいのか、わからないってのも、仕方ないかなあとは思いますね。


僕自身、自分が何をやるべきか悟ったのは、随分と大人になってからですから。

でも、一度悟ってしまえば、あとはメインストリートを全力で駆け抜けていけばいい話ですから・・・今は毎日が楽しいですけどね(笑)。


で、まあ・・・B子さんは、徒然亭草々さんに、

「ここにいてくれ」

と言われちゃうわけですが・・・まあ、明日になって、

「徒然亭草々さんは、なぜ、そんなことを言ったのか?」

が、明らかになる、というわけで・・・まあ、しかし、ご都合主義的展開もいいところですねー。


というか、自分の人生を人に決められていいのだろうか?・・・という疑問が残りますけどね。


ま、そんな感じの今日でした。

なんとなく、作劇的には、気に入っていない、今日でしたねー。

ちょっと作り物臭が気になる・・・そういう感想かな。


さて、じゃあ、次「ごちそうさん」行きますか。


えー、今日は、

「お見合いする!」

と決めた、め以子ちゃんの言葉通りに話は進み・・・明日、お見合いをする・・・というところまで行ってしまうわけです。

そして明日は西門さんのボートレースの日でもある・・・西門さん、お弁当作りをめ以子ちゃんに頼んでいたけど・・・さあどうなるか?という話です。


もっとも、お昼にめ以子ちゃん・・・桜子さんに、

「逃げるな。負けるとわかっていても、不戦敗だけはするな」

的に葉っぱかけられて・・・桜子さんの恋愛は父親につぶされちゃったんですね。可哀想に。


で、それを民子さんが話してくれるんですが・・・今日の民子さんはかわいかったですね。話し方とか・・・。

いやあ、ああいう女性がいいよなあ・・・可憐ですよね。男性はああいう可憐さに弱いんですよ。

「恋をすると苦しいの。それがいやなの・・・」

的に告白するめ以子ちゃんなわけですけど、民子さん的には、

「恋をすると、料理を食べる喜びだけでなく作る喜びも知ることが出来て、美しくもなれて・・・わたしもそういう素敵な恋がしたいって思ったわ」

的なセリフ・・・つまり民子さんは恋のポジティブ面、め以子さんは、恋のネガティブ面をプレゼンしたんですね。


まあ、でも、恋というのは、女性がするもんですからね。

男性は恋される側ですから、やっぱり。

まあ、そんなやりとりを廊下で聞いている宮本先生・・・いい感じだよなあ。大人の女性って感じで。


で、帰りながら、悩んじゃう、め以子さんなわけです。

そして、返ってくる西門さん・・・「あなたはもう何も出来ない少女じゃない。あなたのおむすびは最初の日以外全部美味しかった。おかげで僕は昼からしあわせでした」

「ごちそうさんでした」

なんて笑顔で言われちゃったら・・・め以子ちゃんだって、悩んじゃうよねー。


というわけで、め以子さんは、明日、見合いの席か、西門さんのボートレースか、どっちに登場するのか?

というところで、明日へつつく・・・なわけですねー。


まあ、正統派なラブコメですよねー。


まあ、しかし、手前味噌になりますけど、僕自身独り者だし、彼女すらいない状況だったりするわけですけど、

これ、逆に考えたら、これから、リアルに女性とラブコメ楽しめるじゃん・・・っていう状況で、けっこうそれが楽しみだったりするんですね。

だから、その為にも、この「ごちそうさん」を楽しんで、自分のラブコメの参考にしていこうと、素直に考えていたりするんですねー。


ま、ザ、脳天気って、奴でしょうねー。ほんと。


しかし、実際、恋をするっていうのは、本能なんですよね。理性の領域ではない。

だから、め以子ちゃんは、知らず知らずに西門さんに恋をしている状態ではあるわけですよ。


だって、胸が痛かったりって、そういうことでしょう?


だから、め以子ちゃんは、もう、恋はしている。西門さんに。

明日、その恋の本能に素直に任せるのか、否か・・・それだけなわけですよ。


まあ、熱しやすく冷めやすいのも、恋だったりしますからね。


まあ、でも、自分に自信のある女性の恋は・・・ドンドン動いてくるんですよね。

だから、桜子さんも、そのタイプだったんでしょうね。

ただ、相手がヘタレやった・・・そういうことでしょう。


やっぱり、本能的に恋に落ちるからこそ、素直に笑顔になれる・・・そういうことだと思います。

理性で考えているうちは、恋なんて呼べない・・・恋とは、一瞬にして落ちるモノ・・・そういうもんだと思いますねー。

自分を変えちゃうような恋に、一生のうちに何度出会えるのかな・・・と民子さんは言ってましたが、

そういう恋に出会いたいですねー。


つーか、恋って楽しいものですからね。

なんだろう。女性に素敵な笑顔を貰えるって、男性にとって、普通に嬉しいことだし。

まあ、僕は街の女性に笑顔を普通に貰っているので、案外しあわせですけどね。


そういうたくさんの笑顔を貰える大人の男性になれて・・・よかったなーって感じですかね。


なので、恋する女性は素敵だと思いますよー。

というわけで、すべては明日・・・ということになりますか。

「ちりとてちん」も「ごちそうさん」も。


まあ、結局、どちらの物語もラブコメなんですけどね。

僕の人生のラブコメはどうなるのかな・・・と、楽しみにしながら、

また、明日、ということで。


さ、晩酌晩酌・・・楽しい時間を過ごしましょう!


ではでは。

10月25日 日本人は不勉強な詐欺集団に馬鹿にされている!(阪急阪神ホテルズは金輪際使わない)

2013年10月25日 | 時事ネタ
おはようございます。

昨日は、ししゃもをさらっと焼いて、日本酒でくいっと・・・いやあ、秋本番、食事が美味しくなってきました。

きのこ類中心の鍋も美味しかった・・・。

やっぱり、日本の秋はいいですねー。


今日は何を食べるかな・・・そういや、ちょうどいい大きさの鯛を売っていたなあ・・・あれ、買って三枚おろしして、

刺し身にして食べるか・・・となると、やはり今日も日本酒・・・うーん、いい季節ですー。


さて、久しぶりに時事ネタに食いついてみたいんですが、先ごろ報道された、

「「阪急阪神ホテルズ」による組織的な食品偽装事件」

について、僕的な意見を述べてみたいと思います。


まあ、昨日の各新聞社のトーンを見てみると、

「食い物で、意図的にお客を騙すなんて、ふざけるな!」

的な意見が多いですね。


まあ、シンプルな反応だとは、思いますが、僕的にはちょっと違う見方をしてみたいと思います。


まあ、テレビ的な解説では、

「こういう偽装はどのホテルでも大なり小なりやっている。グレーな場所はたくさんある」

「今回の件は、たまたま法に触れる程度の悪質さだったから、問題になった」

という・・・なんかいやーな表現で解説している人間が多かった・・・そういうイメージだったですね。


つまり、僕が一番キライな論理、

「皆、大なり小なりやってることなんだから、めくじらなんか立てなくてもいいじゃん・・・」

こういう心理・・・日本人をダメにしちゃう論理なんですねー。


言ってしまえば、責任の所在が曖昧な企業という土壌に慣れてしまった、ダメな日本人達の論理なんですよね、これ。


まあ、僕自身も三菱電機という大企業に所属していましたから、その嫌な匂いって嗅いだことがあります。


例えばサービス残業を強要された時の論理もこれで、

「一ヶ月20時間までしか、残業代は出せない・・・まあ、皆我慢しているんだから、君も我慢してくれ・・・」

「まあ、他の企業に行っても、大なり小なり、やっていることだから・・・こういうことは・・・」

という論理ですよね。


日本人って、

「皆がやっていることは個を殺してでも、やるべきだ・・・長いものには巻かれろ」・・・この論理を使ってくるんですよね。

僕はそれが嫌で嫌で、超ムカツイて独立したようなもんですからね。


日本人は責任の所在が曖昧になる・・・誰でもやっていることだ、という意識になると、一気にダメになる人種なんですね。


逆に、日本人って、自分の役割や責任の所在が明確になると、がんばれる人種なんですよ。

大事なことは、ひとりひとりの役割を明確にして、さらに責任の所在を明確にすることで・・・もっと言うと、そういう仕事環境にいる日本人なら信頼出来るわけです。


つまり、日本人を見る場合・・・その人の仕事の環境を同時に見ることが非常に大事になる・・・ということになるんですね。


その人間の役割は、明確か?

その人間の責任の所在は、明確なのか?


ひとを見る場合は、そこを重視して見ていかなければいけないんですねー。


で、こういう話になると、責任の所在が曖昧になりやすい、サラリーマンという職業は、悲しいですが、もはや信用出来ないことになってしまう。


個人的に信用のおける特定の個人が出している、洋食屋やレストラン・・・そういう店でなければ信用がおけなくなってしまったのが今回の事件、ということになります。


それにもうひとつ言えば・・・「阪急阪神ホテルズ」の人々は不勉強なんですよね。


企業人たらんとするならば、せめて企業人のイロハ本である、ドラッガーをまず読むべきじゃないですか?


ドラッガー理論で最も有名な言葉は、

「「事業の目的は、顧客を創造すること」であって、「利潤を追求すること」ではない」

という言葉です。


この言葉の書かれたドラッガーの著書「現代の経営」は1954年に出されているんですよ?もう、50年以上も前に、その知恵が作られたのに・・・。


まあ、実際、今回の事件で、「阪急阪神ホテルズ」は多くの顧客を失うでしょうから・・・まったく逆の事をやっているんですよね。


まあ、でも、彼らは、

「天網恢恢疎にして漏らさず」

という言葉を知らなかったんでしょうか?


だって、まず、偽装は23店舗47のメニューにのぼるって言ってるんですよ?


顧客相手の言わば意図的な組織的詐欺じゃありませんか?

嘘つきは泥棒の始まりと言うんだから、阪急阪神ホテルズは、泥棒の巣窟だったと言えます。


しかも、内容が悪質じゃありませんか・・・。

「くらげのレッドキャビア添え」として出されていたメニュー・・・このメニューでお客がまず楽しみにするのが、

「レッドキャビアとは、どういう美味しいものなのだろう?」

ということになるのは、火を見るより明らか・・・このレッドキャビアがトビウオの卵であるトビッコに変えられていたんですよ?


それって酷すぎませんか?


安い回転寿司屋に行くと、いくらの親戚程度のイメージで、とびっこの軍艦巻きが回ってますけど、だから僕だってトビッコくらいは知っていますよ。

それがレッドキャビアだって宣伝されて出てきたら・・・たまりませんわな。


つーか、顧客を馬鹿にしくさっとる・・・「阪急阪神ホテルズ」は・・・。


値段の話で言うと、レッドキャビアがキロあたり1万6000円から8000円程度なのに対して、トビッコはキロあたり3600円前後だとか。

まあ、値段的に4倍強・・・まあ、利潤追求の為に顧客を意図的に騙していたのは明白で、まあ、あきらかにドラッガーは読んでいないわ、

顧客を騙し続けて、信用が失墜し、顧客をドンドン失っていくんだから、阪急阪神ホテルズはマネジメントも素人だった・・・詐欺師集団であり、

経営の素人集団だったことが、明白になりましたねー。


それと、具体的な詐欺手口の中で笑ったのが、ブランド牛と宣伝されたステーキの肉・・・単なる和牛の牛脂を注射した安い肉を使っていたんですって・・・いやいやいや。


僕だって、そのやり口は、テレビで見て知ってましたよ。


でも、それはあくまで、個人の人間が安い肉を美味しく食べる・・・そういう賢い知恵として知っていたわけで、

そういう肉をホテルのレストランが出す事自体・・・料理人のプライドも何もないのかって、呆れるばかりですよね。

それで顧客から金を騙しとっているんだから、もう、ホテルという空間自体、信用出来なくなりますよね。


少なくとも、もう、僕はホテルのレストランで何かを食べる気にはなりません。

ちゃんと修行した個人の信頼出来る店で、食べるしか、自衛の手段が無いじゃないですか・・・。


経営の基本は「顧客の創出」と「新しい知恵を作り出し、自分をドンドン進化させていくこと」です。まあ、ドラッガー的にはイノベーションと呼んでますけど。


だから、僕は物書きとして、読み手が楽しんでくれる記事を毎日書き、アクセス数を確認して、マーケティングを行い、

毎秒、常に新しい知恵を作り出し、自分自身を物書きとして、進化発展させています。


それがドラッガーが創りだしてくれた「しあわせになる為の知恵」の応用だからです。


知恵というのは、人類の共有物ですから・・・ドンドン利用するべきなんです。


だから、僕も知恵を作っている・・・そして、新しい自分を毎日創りだしているんですね。


そういう僕からすれば、今回の事件に関わった人間は、まず、ドラッガーの知恵も知らなければ、役割も責任も明確にせず、

「誰だってやってることだから」

とうそぶき・・・まともに釈明すら出来ない・・・最悪の日本人の集団・・・そういう風に見えますね。


というか、「阪急阪神ホテルズ」は組織的詐欺集団なんだから、もう相手にしてはいけません。


僕は金輪際、その傘下にあるレストランもホテルも使いはしません。

詐欺集団を相手にする気はさらさら無いからです。


こういう事件を見ると、例の船場吉兆の事件を思い出しますね。ささやきおばさん・・・なんだか懐かしいですが、船場吉兆は消えたんですよね?

日本人はそのあたり怖いですからね。


「つい筆が滑った」

みたいな曖昧な謝罪で済むと思っているんだから、日本人も舐められたもんです。

だったら、見せてやろうじゃありませんか、日本人の底力を。


日本人をなめくさっとる「阪急阪神ホテルズ」さんよ。

ま、これからが見ものやなあ。

と、大阪弁で言うてみましたー。


それから、やはり、これからも、役割を明確にし、責任を明確にしている、そういう個人経営の店をご贔屓にしていこうと思いますね。

ホテルのレストランには金輪際行きません。一切、信用出来ませんから。

ドラッガーの知恵さえ知らないような人間は、不勉強だし、その点からも、信用出来ませんから。


人間はしあわせになる為に生きているんです。

先人達が作ってくれた尊い知恵を利用しないなんて、そんな不勉強な人間、絶対にしあわせになれるわけがない。


ま、そんなあたりが結論になりますかねー。


やっぱり、個人でしょ、信頼出来るのは。

利潤しか追求出来ない企業体は、絶対信用しちゃいけません。


それも結論ですかねー。


しかし・・・数年前に「もしドラ」があんなに流行ったのに、ドラッガーの本をひとつ手にとっていないって、どういうこと?

人生に対する考え方が甘すぎるだろー。

不勉強極まりないわー。


と、素直に僕は思いましたねー。


ま、あるいは、自分で美味しモノを作っていくか、だな。

ま、実際、そういう毎日だったりするんだけど、現状・・・。

ま、それで十分かも。


今日も美味しい酒の肴・・・用意しちゃおうかなー。

それが今の僕のしあわせでも、ありますねー。


なんだ、現状で結構しあわせだったりするじゃん(笑)。

それも結論ですねー。


ではでは。

朝ドラ通信平日版  10月24日号 「女性は言われたい言葉を言われたい!」

2013年10月24日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
えー、夕方5時です。

僕的には、晩酌開始時間になりますけどねー(笑)。


というわけで、今日も気になったところがあったので、朝ドラ通信、書いちゃいましょうかー。


さて、今日の「ちりとてちん」を見ていて思ったのですが、

「ひととは違う価値観を持った人間の群れにいると、まともな事を言っている人間が、めんどくさい人間に見える・・・」

ということでしょうかね。


「代金は「つけ」で済ますモノ。無い袖は振れない」


という価値観で、徒然亭草若さん、徒然亭草々さんは生きているので、まあ、代金を返す気はあるとして、それでも実態は踏み倒しているようなところがあって、

まあ、そんな生き方は自分には出来ないだけに、

「豪快な生き方やなー」

と、ちょっとだけあこがれちゃったりして・・・おもしろかったですねー。


完全に落語の与太話の世界ですねー。


まあ、今回、B子は演技をするドキドキ感や楽しさを覚える・・・そういう話になっていたんですね。


向かいの居酒屋「寝床」からカレー南蛮を3つ取って・・・もちろん、「つけ」はかなり溜まっているわけで、ムカついている「寝床」のオヤジなわけですけど、

気の小さいところもあって、素直にカレー南蛮3つを持ってくる・・・と、徒然亭草若さんは、死んだふりをしていて・・・それに騙された「寝床」のオヤジは、

腰は抜かすわ・・・お代もいい、なんてつい言ってしまって・・・それを聞いた徒然亭草若さんが、喜んで飛び起きてきて、それにさらにびっくりするオヤジ・・・。


まあ、このあたり、落語の与太話がベースになっているので、まあ、楽しいわけですよ。説得力はひとつもなし。

いいんです。朝ドラは、昨日もいいましたが、「ご都合主義」こそ、大事なんです。


もちろん、その片棒をかついだのが、B子・・・ということで、シナリオ通りに演技する楽しさを知るB子というお話なんですね。


しかし、糸子さん・・・匂いを嗅いだだけで、B子の居所がわかるという、例の能力をつかって

・・・小浜から出てきて、「寝床」前で立ち聞きするB子に出会ってしまいましたからね。


いやあ、使い勝手のいいキャラですね。糸子さんは・・・。


まあ、糸子さんが絡んできて・・・徒然亭草若さんとも話して・・・B子は正式に徒然亭草若門下で、修行する運びになるんでしょうねー。


しかし・・・なんで徒然亭がこんなに落ちぶれたんだっけ?


すっかり忘れているので、そこらへん楽しめて、いいですね。

忘れているってのも、ある意味、楽しめるってことにつながるので、案外いいです。

人間忘れるってことも大事だなあ・・・って思いますね。


辛かったこと、悲しかったことも、人間、いつしか忘れる・・・人間忘れられるから、楽しく明日に向かって希望を持って生きられる・・・。


そんなことを感じましたねー。いやあ、朝ドラはいろいろな事を教えてくれます。

しかし、B子・・・なんだかんだ、居着いているのは、やはり楽しいからでしょうね。徒然亭草若門下が・・・。


ま、これから、さらに楽しくなってくるんでしょうけどね。

まあ、毎日、楽しみましょう!


さて、話を「ごちそうさん」へ移しますか。


さて、今日の「ごちそうさん」、なにより、今日のキモは、

「西門さんは、このお見合い、した方がいいと思いますか?辞めた方がいいと思いますか?」

というセリフでしょうね。


め以子も、そして、お母さんのイクさんも、このセリフを言っていました。


じゃあ、このメッセージは何なのか?・・・ということになるわけですよ。

このセリフ、セリフ通りにとったら、男は失敗するということになるわけです。


このセリフの意味は、

「め以子に「お見合いを辞めて」と言ってくれ」

ということなんですよ。シンプルに言えば。


女性の質問って、質問の形式は取っていますが、正確に言えば、質問ではありません。

「わたしが、言って欲しいことをあなたは見抜いて・・・それをわたしに言って欲しいの。あなたに言って欲しいから、こうやって訪ねているの」

ということなんですね。女性の場合、ほぼ、100%。


だから、め以子ちゃんも、お母さんのイクさんも、

「わたしにお見合いはするな、と言って・・・」「め以子にお見合いはしない方がいいって、言ってくれないかい?」

という、それぞれのメッセージを伝えていた・・・それが真相なんですよ。


まあ、これが・・・特に自分は頭がいいと勘違いしている、「学級委員脳」のアホには、理解出来ないわけで、

理性的に客観的にモノを考えて、

一般論を話すという・・・一番女性を怒らせる行為を行ってしまうことにつながるんですね。


ま、悠太郎もそのあたり、まったく女ゴコロが理解出来ていませんからね。


女性というのは、一般論なんて聞いていないんです。そんなことは重々承知ですから。

女性は言って欲しいことを言って欲しいんです。


いいですか、ここが大事なんです。


女性は男性の本当の気持ちを聞いているわけじゃないんです。


自分に対して、今、言って欲しいこと・・・これを言って欲しいから、男性に質問のカタチでメッセージを送っているんです。


だから、リアルライフでも、女性に質問されたら、

「この女性は今、なんと言って欲しいんだろう?」

と考えて、その女性が今言って欲しいことを言ってあげる・・・それが大切になってくるんですね。


というか、それくらい出来ないと大人の男性とは、言えませんね。

それが出来ない年齢を重ねただけの男性がいかに多いことか・・・そういう男性をアホと言うんですけどね。


まあ、もちろん、その女性が自分にとって、大切な女性であれば・・・ですけどね。大切でなければ、別にいいですよ。どういう対応を取ったって。


女性は一般論も男性の感想も聞きたいとは思っていません。

唯一聞きたいのは、自分にとって、言って欲しい言葉・・・それだけなんです。


それが女ゴコロ・・・というモノなんですね。


ま、女ゴコロと秋の空・・・なんて言いますが、それはアホで鈍感な男性が作った言葉です。

女性は言って欲しい言葉を言ってもらえれば・・・笑顔でニコニコして、けっこう長期間、上機嫌でいますからね。

つまり、女ゴコロのわからない、脳みそブサイクな男性だから、女ゴコロをコントロール出来ずに、

「女ゴコロと秋の空」

状態にしちゃう・・・それが真理です。


まあ、そういう人間って、学校で勉強しか出来ない・・・脳みそブサイクな男性に多いですね。

大人の男性というのは、そういう女ゴコロに精通していないと・・・人間を知らないとダメですねー。


だから、男性が本音を言うのも、誤りなんですよ。


女性は男性の本音を欲しがります。一般論なんていらない。

だけど、時と場合によっては・・・いや、100%言って欲しいことを言われたい・・・そう考えているんですね。

時に自分で気づいていない・・・今のめ以子ちゃんは、なぜ、自分が見合いに迷っているかも、自覚していません。

でも、完全に西門さんに、

「見合いなんて辞めた方がいいです。僕のお嫁さんになってくれませんか?」

と言われたい・・・そのことに気づいていないから、苦しんでいるんですね。


まあ、今回の最後で、

「わたし見合いするから」

なんて言って・・・うらぶれてましたが、もちろん、そっち方向へ行くことで、西門さんの真の思いを知る・・・そういう機会になっていくんだと思いますねー。


まあ、今日もいい勉強になりました。

「女性の質問は、言われたい事を言ってくれることを期待しての、前振りなのだ」

という知恵にたどりつくことが出来ました。


毎日、ひとつずつ、こういう知恵を授かれると、いいんですけどねー。


しかし・・・大人の男性になるのも、なかなか大変です。

でも、朝ドラがいろいろなことを教えてくれるから・・・それをひとつひとつ理解しながら、成長していくとしましょう。


朝ドラをそういうカタチで利用していきましょう。

それが朝ドラの正しい使い道かな。


では、明日も楽しみましょう。


僕は晩酌を始めます!


ではでは。

10月24日 秋は美味しいモノの季節です!(袋麺に恋して!)

2013年10月24日 | お昼間カフェ
おはようございます。

なんだか台風も近づいていて、荒れ模様な感じですねー。


今日は軽い話をしましょうか。


えー、僕は家で一日中仕事をしている場合は、まあ、だいたい午前11時頃に昼ごはんを食べるんですが、

今では、ほぼ100%麺類ですねー。


まあ、家で仕事をし始めた、最初の頃は、毎日午前中にスーパーに買物に出るので、その日のお昼ごはんをそこで調達していたんですね。


まあ、季節のお弁当だったり、お稲荷さんや巻きずしを買っていたりもしていたんです。

あるいは牛丼だったり、かつ丼だったり、天丼だったり、ハンバーガーを食べていたり・・・なんてこともあったんです。


まあ、けっこうなバリエーションがあったんですね。その頃は。


それが、だんだん、麺類をチョイスするようになり、

それも最初は生麺買って、そこに乗せる具を買って、なんてやってたんですが、

「マルちゃん正麺」

ショックを境にいつの間にか、袋麺好きになり・・・まあ、袋麺も「ラ王」とか、いろいろ試したんですけど、

結局のところ、

「マルちゃん正麺」

シリーズに落ち着いてしまいましたねー。


僕の場合、辿り着いちゃうんですよ。生き方やライフスタイルが。そこに落ち着いてしまって、そのライフスタイルが自分にとって、一番心地よいことに気づく。

そうすると、もう、ずっと変わらないわけです。だって、その生き方が、自分にとって、一番心地よいわけだから。


まあ、今日も新たに出た、「マルちゃん正麺」の「うどん」を試したんですけど、けっこう生麺に近くて、おつゆの味も美味しいんだよね。

かつおだしの味って、日本人をホッとさせる力を持っていますよねー。美味しいんだ、この味が(笑)。

まあ、僕はそれほど舌が肥えていないのかもしれませんが、その味が、十分美味しくて、ちょっと思わず笑ってしまいました。

先日は、これまた、新たに出た「マルちゃん正麺」の「カレーうどん」を試したんですが、これも、けっこう生麺テイストで、十分美味しくて、笑っちゃいましたねー。


つーか、満足感たっぷり・・・いやあ、十分満足ですよ。


ちょっと他のインスタント系のうどんは、もう食べられませんね。実際・・・。

もう、かなり生麺に近い感じで・・・カレーうどんのおつゆも、普通のうどんのおつゆも、すごく満足出来るんで、いやあ、思わず笑ってしまって、

僕の昼飯が、

「マルちゃん正麺」

である日々はこれからも続きそうですね。


いやあ、安い舌だなあ(笑)。でも、十分満足なんだよねー。だから、笑っちゃいます。はい。


まあ、もちろん、それだけでも、十分美味しいんですが、やっぱり具に凝りたいところですよね。

まあ、トンコツラーメンを始めとして、ラーメン系には、僕は肉野菜炒めを合わせることが多いですね。

牛豚の合い挽きのひき肉を買ってきて、まず、炒めて、そこに、もやしやキャベツ、などの野菜を順次投入、塩こしょうで調味しながら、やさしく炒めます。


別途ミックスベジタブルをレンジでチンして用意しておき、半熟の目玉焼きを焼いて、肉野菜炒め、ミックスベジタブル、目玉焼きの順で、

ラーメン系に乗せる・・・まあ、お昼は野菜たっぷり取りたいですからねー。

野菜から出るお出汁もラーメンスープに投入して、野菜の旨味を閉じ込めて・・・それをハフハフ食べる醍醐味・・・こいつは美味いですよ。


まあ、うどんの場合はこれは、やはりスーパーでかき揚げを買ってくる感じですかね。

まあ、お揚げを買ってきて、そばつゆでちょっと煮て、おつゆ感たっぷりのお揚げさんを作ってもいいですよね。

ま、お揚げさんとかき揚げ同時投入なんて贅沢なことも、たまにしますが、やっぱり、うどんのおつゆを飲んでいると、なんとなく日本人としてホッとしますからね。

もちろん、揚げ玉を買ってきて、たぬきうどんにするのも、楽しいですよ。そこに生卵を落として、月見のたぬきうどんなんてのも、

まあ、美味しい。


いろいろ毎日自分なりに工夫して食べる・・・それがいいんだな。毎日、楽しくて。


しかし、美味いんだよねー。鰹節の効いた、うどんのおつゆは・・・。


まあ、カレーうどんの場合は、うどんの場合と同じようにお揚げさんを入れても美味しいですけどね。

まあ、でも、やっぱり、最後に若干の米の飯をいれるのが、いいかなあって感じで楽しんでますね。

やっぱり、お蕎麦屋さんのカレーうどんって感じの時って、無性にご飯をが欲しくなりませんか?

僕は欲しくなるんです。ま、誘惑に耐え切れず、ご飯投入・・・やっぱカレーライスが食べたくなっちゃう・・・どうしても、そうなっちゃいますよねー。


まあ、それでやっぱり運用的には、まあ、「マルちゃん正麺」が5袋入ったセットを何種類か買っておいて、

「今日はカレーうどんか?いや、うどんでもいいなあ。あるいは、醤油ラーメンで正統派?いや、やっぱり大好きなトンコツラーメンでしょう!」

なーんて、お昼の時間を前にして楽しむ・・・このチョイスしている時が一番楽しいんですよ(笑)。


そういう時間が毎日の潤いをくれますね。いやあ、楽しいですよ。ほんと、毎日・・・。


「昨日はカレーうどんだったから、やっぱり今日はあっさり系でうどんを楽しむか。うまいんだよな。鰹節が濃厚に効いていて」

なんて調理しながら、出来上がりの風景を思い浮かべたりして・・・かき揚げを用意しながら、出来上がりを楽しむ・・・まあ、楽しいわけですよ。


なんだろう。それくらいで、僕は十分に日々のしあわせを感じられますねー。


「うどん」を作りながら、ネギを切ってる時とか・・・普通にしあわせを感じるからなー。

しあわせを感じるハードルが低いのかもしれませんね。


でも、それっていいことなんじゃないのかなーって、普通に思いますね。そういうひとつひとつが毎日とっても大事な時間なような気がします。


銀座で寿司を食べなければ、しあわせ感を感じられないなんて身体になったら、ある意味不幸だもんね。


まあ、もちろん、僕だって、たまーに、大人のエスプリが消えちゃわないように、土曜日のランチは銀座で8千円の天ぷら&シャブリなんて贅沢もしますが、

それは、ほんとに、たまーに、大人としての自分を確認する作業として、やっているわけであって、

まあ、根っから庶民ですから、スーパーで1000円以下で売っているお寿司でも、十分、しあわせを感じられますからね。


天ぷらだって、スーパーで売ってる天ぷらの盛り合わせだって、十分美味しく感じられる。


ただ、大人として大人の女性をエスコートする際には、銀座の天ぷらや寿司くらいは、経験しておいた方が若干いいのかなーって感じてるくらいですからね。


しかしねー。土曜日のランチで、8千円の天ぷらにシャブリなんて合わせたら、美味しくて美味しくて、すぐにたくさんのお金が飛んでいきますよ。

もうシャブリが美味しくて・・・あれ、一杯800円くらいだったかな。


それ5杯も飲めば4千円ですからねー。


ま、軽く一万円オーバーなランチになっちゃいます。

でも、人間美味しいと・・・そして、懐がそれ相応に暖かいと・・・水は低い所に流れていっちゃうんだよねー。すぐに・・・。


ま、でも、たまーに、自分へのご褒美として、そういう経験も、たまにはいいんじゃないですかね。

ま、懐が暖かでないと出来ない芸当ですけどねー。


ただ、そういう経験って、たまに経験しておかないと、なんとなく、大人である度量みたいなものが、衰退しちゃうような気がしますね。

大人の男だったら、たまには、高いモノを食べて、美味しいお酒を飲んで、それを知っておく、体験しておくというのは、どうしても必要なのかなって普通に思いますね。

そういう世界を普通に知っているからこそ、安い袋麺も楽しめる・・・そういうもんだと思いますね。


ピンを知るから、キリもわかる。キリもまた、楽しめる。

そんな大人になっていきたいですね。


いつも子供連れで、1280円の食べ放題しか知らない・・・では、ちょっと人間として、未熟な感じがしますからねー。

まあ、でも、学生時代、よく行きましたけど、1280円の食べ放題の店・・・でも、肉が美味しくなかったなー。あそこ・・・。

ま、そんなこと言いながら、家族が出来たら、安い食べ放題の店に連れて行くことになるんだろうけどねー(笑)。


ま、分を知り、分相応に生きていきたいもんです。はい。


しかし、秋・・・この季節はいろいろなモノが美味しいですね。

先日、ゴルゴンゾーラのチーズケーキというのを、とあるカフェで食べましたけど、塩味がいいアクセントになっていて、大人の味でした。


とっても、美味しかったですねー。


その店にはチェダーチーズのチーズケーキやゴーダチーズのチーズケーキ、エメンタールチーズのチーズケーキや、モッツァレラチーズのチーズケーキなどもありましたから、

ちょっとこの秋、楽しみな店を見つけてしまった感じですねー。

やっぱり、チーズケーキが好きなんだなー、僕は。


カーキ色のトレンチコートにカーキ色のボルサリーノを合わせて、魅力的な大人の女性とチーズケーキを食べているシーンもなかなか気に言っています。僕的には、ね。

そういう時間が楽しめるのは、秋の特権ですよね。

もうすぐ、紅葉も訪れるし、秋の絵画館周辺は、いい感じで、時間が過ぎていきます。


ということで、やっぱり秋は、美味しいものがさらに美味しくなる季節ですよ。


楽しく美味しいモノを楽しみながら、素敵な季節を楽しんでいきましょう。


そこのカフェのピーチティーがまた、絶品だったりするんだな。いやあ、毎日美味しいものを食べられて、僕はしあわせ者です。ほんと。

お金をそんなに賭けなくても・・・美味しいものはこの日本にたくさんある・・・そういうことでしょうね。

今日もそんな美味しいものを楽しんで・・・しあわせな一日にしていきましょう。


さて、今日の「マルちゃん正麺」は何を食べようかなー(笑)。

そういえば、今度サッポロ一番でも、新しい袋麺が出るみたいね。

それも試してみなくっちゃ!


正直、そんな毎日が楽しいです。はい。


ではでは。

朝ドラ通信平日版 10月23日号!(おむすび食べたい!)

2013年10月23日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
えー、夕方5時です。

僕的には、晩酌開始時間になりますけどねー(笑)。


さて、僕は毎週土曜日にその週の朝ドラのレビュー記事をあげていますが、

何も土曜日だけに書くのではなく、書きたい時に書けばいいじゃん・・・ということに気づきまして、

まあ、気が向いたら、朝ドラ記事を書こうかなあ、とカテゴリーなんかも新たに組み直して、毎日でも書けるようにしました。


というわけで、今日は水曜日ですからねー。


まず、「ちりとてちん」の方から・・・。


えー、こちらは、第一週で、何に興味のある子なのか?

第二週で、一度決めたことを最後までやり通せない意思の弱いダメな女の子・・・ということを全力でプレゼンしてくれました。

「このままではいけない。わたしは変わらなければ!」

と強く思ったB子は、大阪に出てくるんですが・・・まあ、今週はそこからのお話ですね。


大阪に出たB子・・・しばらくご厄介になろうとしていた、フリーライターのナツコさんにそこで電話をするというマヌケぶりは相変わらずで、

頼りのナツコさんは、4月中旬まで取材旅行中・・・。


で、思い出したのが、大阪で大学生をやっているはずのA子から貰った連絡先・・・B子は、彼女のマンションにご厄介になり、

・・・このマンションがやたらいいマンションで、まあ、社長令嬢だから、そんなもんかもしれませんが・・・そこでしばらくA子とB子は一緒に暮らすことになり、

ってな話です。


しかし、B子・・・一緒に暮らしていると、いつしか、A子と自分を比べている自分に気づき・・・ちょっとしたことで傷ついた、

B子さんは、マンションを飛び出し・・・なぜか聞こえてきた、お爺ちゃんと一緒によく聞いてた落語「愛宕山」の声へと導かれて・・・そこにいたのは、

徒然亭草若さんだった・・・まあ、そういうわけですよ。


えー、朝ドラというのは、女性及び子供向けの創作なわけです。


で、女性及び子供向け創作のポイントは、ご都合主義で全然オッケー、むしろ、そうする方が女性や子供は喜ぶ・・・そういう特徴があるんですね。

説得力を持たせるなんて、むしろ邪魔・・・。


そして、軽い物語がいい。まあ、具体的に言うと、情報量があまり無い方がいいんです。一回一回ね。


僕もこれまで、大河ドラマのレビューをいろいろやってきたんですけど、女性向け大河ドラマであった「龍馬伝」「江」それに対してがっつり男性向け大河ドラマ、

「平清盛」がありましたが、「龍馬伝」はそれほどでもなかったですけど、「江」のすっかすか具合は大変なものでした。


僕自身、人生のプラスにまったくならないので、視聴を辞めたくらいですからね。


まあ、はっきり言えば、朝ドラ程度の軽い情報量しか、そこにはなかった。

当たり前です。はっきり言えば、女性と子供というのは、メモリ量が小さく作られている。


昨年のがっつり男性向け大河ドラマ「平清盛」はえらく女性に不評でしたが、それは当たり前で、非常に情報量の多いドラマでしたから、

女性からすると、しつこいとか、情報過多に感じられるんですね。


つまり、女性や子供はメモリフローを起こしてしまうから、不快に感じるんですね。


これは女性が家庭に入って身の回りの仕事をしてきた・・・そういう歴史と関係があります。

女性は家の中の事や買い物など、ある程度ルーティーンな作業をしていれば、事足りますから、それほど日々の生活にメモリを必要としない。

さらに言えば、女性の恋愛・・・女性は常に、今気になっている男性のことしか、頭に描きません。


過去の男性のことなど、綺麗サッパリ忘れることが出来るのが女性なんですね。

だから、そんなに大きなメモリなど、最初からいらないんです。


むしろ、女性が得意なのは、洞察力・・・女性が容易に男性の嘘を見抜くのはその為なんですね。

男性が言葉で嘘を言っても、ボディランゲージが嘘を言っているから、それを容易に見抜く女性に男性の嘘は通用しないんですね。


逆に男性の場合、なぜメモリが大きくなっているかと言えば、男性のお仕事は、長らく狩猟により、食料を確保することだった。

だから、過去の経験を思い出し、食料を確保する手段を毎日探さねばいけなかった。

よって・・・過去の記憶にすべてアクセス出来る、大きなキャッシュメモリを備えることが出来たんです。


だから、一度に大きな情報量を扱うことに長けている・・・だから、男性向け大河ドラマは、情報量が濃い・・・濃ければ濃いほど、男性は喜ぶ・・・そうなっているんです。


ただし、そのことで恋愛に問題が起こっているのも男性です。


つまり、昔つきあっていた女性のことが忘れられない・・・そういう状況を引き起こしてしまう。

なにしろ、メモリが半端無くデカイですから、何十年も前につきあっていた女性のことを容易に思い出せるし、

あまつさえ、

「あいつ、まだ、俺に気があるんじゃ・・・」

なんてニンマリしていたりするわけですから、勘違いぶりも甚だしい。


女性は今気になっている男性の事しか頭にありません。他はすべて綺麗さっぱり忘れていますから、そこは勘違いしないでくださいね。


さらに男性は細かいことを見抜くのが下手です。

恋人の髪型が微妙に変わっていたり、服のおしゃれの傾向が変わっていても・・・気づけない・・・そこが男性の弱点・・・。


だから、朝ドラは、いろいろ細かいところに気を使われていて、細かい変化が工夫されていて、女性と子供はそこを楽しむ・・・そういう創作になるんですね。


やっと話を朝ドラに戻せましたが・・・説明が長いですね。僕も相変わらず(笑)。


さて、というわけで、昨日、徒然亭草若に出会った、B子さんです。

そこへ帰ってきたのが、徒然亭草々さん・・・なつかしいですね。いかつい感じが。

そして、酒を浴びるように飲み・・・街のやっかい者と嫌われる徒然亭草若さんの現実を知ってしまい・・・風邪を引いて倒れちゃうB子さんなわけです。

このご都合主義的展開・・・いやあ、いいですねー。朝ドラはこうでないといけないんですね。


しかし、A子さんを見ていると・・・今の僕だから思えるのかもしれないけれど・・・確かに綺麗なひとだし、頭も賢そうだけど、

なんや人間的におもろないなあ・・・ただのどこにでもいる学級委員的な、NHKの女性アナウンサー的な平凡さしか感じませんね。


やっぱり、人間って、個性というか・・・こいつ話すとおもしれえ・・・そう思わせてくれる女性じゃないと・・・今の僕は我慢出来ませんね。


なんか平凡な発想しか出来ない女性より、

「こいつしゃべっていると、おもしれえなあ」

と思わせてくれる女性の方が・・・つまり、今の僕はA子より、B子派・・・どんくさいけど、個性的であることは、確かだし。

何より糸子さんの血を引いてることになるんだから、将来おもしろくなるっしょ・・・という希望的観測もありますしねー。


というわけで、今週は、B子さんと、徒然亭草若さん、徒然亭草々さんとの出会いが語られていく感じですねー。


次「ごちそうさん」行きますか。


ええ、こちらは今週の通しの題名が、「こころをコメて」・・・コメがテーマ食材で、どーも、悠太郎の気持ち、め以子の気持ちがテーマとして表現されて、

いくようですね。


まあ、なんというか、正統派のラブコメの状況になってきて・・・要は帝大を卒業する悠太郎と女学校を卒業するめ以子・・・その後、どうするのか、

という疑問にからめながら、め以子の恋ゴコロと悠太郎は、じゃあ、そのあたり、どう考えているのか・・・あたりが表現されているようですね。


そして、テーマ食材はコメ・・・悠太郎とめ以子のお弁当作り・・・おむすび、がひとつのキーアイテムになっているんですね。

まあ、今週は悠太郎の幼なじみ、村井亜貴子さんが出てきちゃうわけで・・・この亜貴子さんが美人なのに気さく、と言う、いい感じな女性だったりするわけですよね。

「本当の美人ってのはよ、相手に気を使わせないように、気さくなもんなんだよな」

なんて、大五さんが言ってましたが、医者ってのは、ある意味客商売ですから、おしゃべりをして相手を落ち着かせるなんて、

出来て当たり前なそういう表現だったんでしょうね。


僕もああいう気さくな女性は大好きですね。


というか、今のめ以子ちゃんは、はっきりいってめんどくさい・・・。

というか、まだ、少女なんですね。め以子ちゃんは・・・。

そして、亜貴子さんは、もう大人・・・そういう事なんだと思いますね。


そして、亜貴子さんは、め以子ちゃんが、悠太郎に恋していることも洞察する・・・さすがに世慣れた女性ですね。一番大人なんでしょうね。

悠太郎、め以子、亜貴子さんの中で・・・。


まあ、今回、悠太郎が亜貴子さんと出会うきっかけになったのは、悠太郎のお母さんが焼け死んだ事故現場で・・・その現場での火傷が元で、

亜貴子さんの両親も亡くなった・・・だから亜貴子さんは、医者を目指した・・・悠太郎も影響を受けて、火に強い街を作ろうと建築家を目指している。

そういう事実が顕になって・・・め以子ちゃんからすれば、重かったんだそうで、

「やーめた」

と今日口走っていましたが・・・もちろん、これは視聴者をはらはらさせるブラフ・・・ラブコメって、こういうブラフがたくさん散りばめられた、

はらはらストーリーになるんですよね。


だいたいラブコメの王道って、ヒロインの女性が相手の男性が自分に気があるんじゃないかって思ったり、

はたまた女性が出現して、それは間違いだった・・・と落ち込んだり、

でも、実は・・・みたいな気持ちがあっちいったりこっちへ来たりするのを楽しむモノですからね。


そして、最終的に悠太郎が自分のことを思っていることを自分で吐露し・・・め以子の喜びがやってくる・・・まあ、そうなるはずですから、

その経緯を楽しんでいけばいいわけです。


だから、男性は女性の気持ちに鈍感な人間でなければ、ならない・・・悠太郎はそれそのものですからねー。


ま、十分に楽しめそうです。


さて、今日、め以子ちゃんに縁談が持ち込まれたようですから・・・いろいろ悩んだ挙句断るんでしょうけどね。め以子ちゃん・・・。


ま、そのあたり、明日からも楽しんでいきましょう。


しかし、め以子ちゃんを、

「べっぴんさんで、なんや、外国雑誌のモデルさんみたいや」

と、亜貴子さんが言ったのには、ちょっとくすりとしてしまいましたね。


だって、杏ちゃん、実際、ファッションモデルやってたわけだし・・・(笑)。

そういう「くすぐり」が効いていて・・・だから、NHK大阪の作る朝ドラはおもしろい・・・と僕は思いますけどね。


さ、二つのNHK大阪発信の朝ドラ・・・「ちりとてちん」に「ごちそうさん」・・・明日からさらに楽しんでいきましょう!

なんか、おむすびが食べたくなりました。


さ、楽しく晩酌しよ。


ではでは。

10月23日 クリスマス・シーズンに向けて!(さ、早めにやろう!)

2013年10月23日 | お昼間カフェ
おはようございます。

今日は一日、天気が悪いみたいですね。

ま、静かに仕事していますかねー。


さて、先日、僕は仕事終りで、都内のバーで飲んでいました。

そこには、仕事仲間のイケメン貴島くん(29)と、御島さん(31)とミカちゃん(26)がいました。


「しかし、10月も、もう20日を過ぎて・・・ほんと、ゆるちょさんの言うとおり、年末なんてすぐかもしれませんねー」

と、ジン・リッキーを飲む貴島くんが話しています。

「そうね。10月に入ると毎年速いもの・・・年末なんてすぐ来ちゃうし、すぐにお正月が来て・・・3月の期末もすぐよ、きっと」

と、御島さんはスクリュー・ドライバーを飲みながら、笑顔で話します。

「一年って速いですね・・・そう言えば、昨年のクリスマスにブログに連載していた、ゆるちょさんの「ラブ・クリスマス」。私好きだったな。あの雰囲気が」

と、マイタイを飲みながら、ミカちゃんが言ってくれます。

「そうか。あれ書いてから、もう一年になるのか・・・なんだか、この間、書いたような気がするけど・・・もう一年なんだねー」

と、僕はマンハッタンをやりながら、そう答えます。

「今年は、クリスマスの企画物・・・何かやるんですか?」

と、貴島くんが聞いてきます。

「わたしも「ラブ・クリスマス」好きでしたよ。ゆるちょさんの分身の鈴木タケル・・・いい感じだったし」

と、御島さんが言ってくれます。

「そう言ってくれると嬉しいね。というか、昨年は準備するのが遅くて、1月になってやっと終了したから・・・今年は早めに準備してるんだ」

と、僕。

「え?じゃあ、もう、書き始めているとか?」

と、ミカちゃん。

「うん。今、あらすじを準備しているところかな」

と、僕。

「へー、今年はどんな感じになるんですか?そのー、テイストというか」

と、御島さんが聞いてくれる。

「今年は昨年とは打って変わって、ちょっと重い感じの、現代的なラブ・ストーリーを考えているんだ」

と、僕。

「へー、ゆるちょさんの今までのストーリーモノは、明るい感じが多かったから・・・珍しいですね」

と、貴島くん。

「うん。ちょっと昨年の「ラブ・クリスマス」は、明るすぎというか、ほぼ妄想チックなストーリーだったから、今年は少し真面目風に仕立てようと思ってね」

と、僕。

「ふうん。でも、そういうのを聞くと、読むのが楽しみになるわ。今からクリスマス・シーズンが楽しみになるもの」

と、ミカちゃん。

「そうね。やっぱり、そういうのがあるから、クリスマス・シーズンは楽しいのよね」

と、御島さん。

「ゆるちょさんは、そうやって、女性を笑顔にするんですね」

と、貴島くん。

「ま、物書きだから、当然、そういうクリスマスプレゼントは、用意しなきゃ」

と、僕は笑顔で言う。

「物書きの特権ですかね。それは・・・」

と、貴島くん。

「まあ、自分でも楽しめるから。やっぱり、特定の世界を創作するってことは、ね・・・」

と、僕は笑顔でマンハッタンを飲んでいる。

「でも、現代的な重いストーリーをチョイスするのには、何か理由があるんですか?去年の反動という以外に・・・」

と、ミカちゃんが聞いてくる。

「うーん、というか、自分の経験も踏まえて書こうとすると、どうしても、重くなるというか・・・リアリティを追求すると自然と重くなるのかな・・・」

と、僕。

「まあ、昨年の「ラブ・クリスマス」は完全に創作された世界だから、好きに出来て、明るく楽しくがテーマだったんだけどね」

と、僕。

「今回のは・・・「ラブ・クリスマス2」とする予定なんだけど、同じ世界での出来事で登場人物は一部重複するんだけど、リアリティ重視な感じになるんだ」

と、僕。

「まあ、もう、ラストは考えてあって・・・今はそこに至る道筋を考えている感じかな・・・」

と、僕。

「へえ、ゆるちょさんは、まず、ラストを考えてから、ストーリーを創作していくんですか・・・」

と、貴島くん。

「いつもそうってわけじゃないんだ。こう、風景が見えてきて、登場人物が動き出して・・・それが途中のシーンであることが多いんだけど・・・」

と、僕。

「今回は初っ端のシーンがまず見えてきて・・・ある程度登場人物が見えてきたら、一気にラストシーンが見えてきた・・・そんな感じだった」

と、僕。

「すごいですよね。わたし、絶対創作なんて出来ないもの・・・読む専門。まあ、ゆるちょさんの作る世界は好きです。明るいし・・・」

と、ミカちゃん。

「うん。まあ、基本は明るいよ。ただ、やっぱり現実ってさ、明るいばかりじゃないじゃない?むしろ、若い頃なんて、どうにもならないことの方が多いじゃない」

と、僕。

「そうですね。でも、大人になってわかったけど、そういうどうにもならない現実を乗り越えてくるから、年齢を重ねて、楽になるんですね」

と、貴島くん。

「そうね。乗り越えるべき壁を乗り越えてくるから、強くなれるし、賢くもなれる。それは本当ね」

と、御島さん。

「僕も見ていて、あと、ゆるちょさんの話を聞いていてわかってきたんですけど、世の中、そういう壁を乗り越えることの出来た人と、そこから逃げた人の二種類ですね」

と、貴島くんが感慨深げに言う。

「そうだね。逃げた人がいるね、この世には」

と、僕。

「そうなんですか?というか、逃げた人は、どうなっちゃうんですか?」

と、ミカちゃんが聞く。

「稚拙なままさ。自分は若いと勘違いしている人に多いよ。実際は稚拙なまま・・・言動が20代前半の人間がしゃべっているような、そういう言動になるんだ」

と、貴島くん。

「そうね。外見はもうオジサンオバサンなのに、自分はまだまだ若いと勘違いしている。実際は考え方が甘いのよ。本当の大人は、そういう人たちを厳しく見抜くわ」

と、御島さん。

「そうですよね?ゆるちょさん?」

と、貴島くんが僕に言う。

「そうだね。実際、大人になるってことは、いろいろな壁を乗り越えてくるから強さや他人を見抜く目や他人に対するやさしさや・・・同時に辛辣さも身につけるもんさ」

と、僕が言う。

「例えば、こういう事を言ったら、相手はどう考えるか・・・とか、を考えてから、言葉を出したりするもんさ。もっとも、僕はまだまだひとを傷つけちゃうけどね」

と、僕は笑う。

「ゆるちょさんは、優しすぎるくらい優しいと思いますよ。ただ、求めるレベルが高いから・・・それに追いつけない他人には、割りと辛辣ってだけで」

と、ミカちゃん。

「そうね。大人になったら、普通は相手がどう取るか考えて言葉を出すもんだけど、稚拙なひとはそれが出来ないわね」

と、御島さん。

「自分のことしか考えられないんだよ。そういうひとは。稚拙で未熟だから、周囲の感情なんて考える余裕がない。ま、メモリが小さいから、そうなるんだろうね」

と、貴島くんが分析する。

「ゆるちょさんが教えてくれたじゃないですか。普段の自分のメモリ量がどれくらいか考えておけって」

と、貴島くんは、僕に振る。

「そうだったね。メモリ量が大きければ、いろいろなことを同時に考えられる。相手の表情を見ながら、相手の考えていることを見抜いたり、言葉から真意を測ったり」

と、僕。

「でも、未熟な人間には、それが出来ない。周囲を傷つけてもその事にすら、気づけない。まあ、結局、誰からも相手にされなくなるんですよね?そういうひとって」

と、貴島くんが言う。

「そういうこと。ブログを書いても誰も読んでくれない・・・なんて結果を引っ張る。それは悲しいことなのに、自分は正しいと思い込んでいるから、永久に成長もしないしね」

と、僕は説明する。

「そうは、なりたくないですね。まあ、ゆるちょさんみたいに、楽しい時間をくれたり、為になったりするブログは僕には書けそうもないけど」

と、貴島くん。

「好きこそ物の上手なれ、さー。それに、毎日毎秒修行修行の日々だし・・・でも、トレーニングは嘘をつかないってのは、本当さ」

と、僕。

「毎日毎秒、あれこれ考えながら、書いているから、書けるようになるのさ。やってみれば簡単なことだよ」

と、僕。

「いや、ゆるちょさんの文章は一種独特ですもん。考え方も個性的だし・・・それは僕らには真似できませんよ。実際」

と、貴島くん。

「そうかなー?」

と、僕は少し疑問顔。

「そうですよ。ゆるちょさんの世界は、やっぱり独特だって、わたしですら、思いますもん。これだけいろいろな人の文章を読んできたわたしだから、わかるんです」

と、御島さんが言ってくれる。

「それはそうと・・・ゆるちょさんの「ラブ・クリスマス」、また、読みたいな。ちょっと懐かしいし、あの作品」

と、ミカちゃん。

「そうね。あれ、楽しかったもんね」

と、御島さん。

「どうです、ゆるちょさん。せっかくクリスマス・シーズンなんだから、また、ブログに「ラブ・クリスマス」乗せたら・・・「ラブ・クリスマス2」を連載するなら」

と、貴島くん。

「なるほど・・・昨年、読んでないひとも実際いるだろうし・・・うん、それ考えておくよ」

と、僕。

「でも、楽しみ、「ラブ・クリスマス2」・・・しかも、重い作品を書くの・・・ゆるちょさん、珍しいし・・・」

と、ミカちゃん。

「3年くらい前にちょっと書いてたんだけどね。探偵物で、殺人事件とかある奴、書いてたから・・・まあ、書けるとは思うけどね」

と、僕。

「でも、楽しいよ。重いけど、リアルだし、その人になりきっちゃうわけだから、新しい経験をしているのと同じだし、ちょっとワクワクしながら書いてる」

と、僕。

「「ラブ・クリスマス」は群像劇だったじゃないですか?今回の作品では、そこは、どうなるんです?」

と、貴島くん。

「基本的には、ひとりのヒロインの女性がいて、相手役の男性がいてって、そういうシンプルな話になる予定・・・クリスマスソングをガンガンにかけながら書いてるよ」

と、僕。

「じゃあ、ゆるちょさんの頭の中では、もう、クリスマス・シーズンは開始しているんですね?」

と、ミカちゃん。

「ま、そういうことになるね。とにかく早め早めの準備が必要だからねー。こればっかりは」

と、僕。

「ということは、ゆるちょさんは、今、ラブモードそのものなんですね?」

と、御島さん。

「そういうことになるね。毎年楽しいよ。この時期は」

と、僕はニンマリと笑う。

「早く読みたいな。ゆるちょさんの書くラブ・ストーリー」

と、ミカちゃん。

「そうね。ゆるちょさんの世界を今年も堪能しちゃおう」

と、御島さん。

「ゆるちょさんは、ほんと、女性に人気があるからな・・・羨ましいですよ」

と、貴島くんは、ジン・リッキーを飲み干し、

「マスター、アレキサンダーくれる。少し強いお酒が飲みたいから」

と、貴島くんはマスターに頼んでいる。

「ゆるちょさんに聞くけど・・・ラブ・ストーリーの書ける大人って・・・自分の人生のラブ・ストーリーも上手いんですか?」

と、ミカちゃんが小さい声で聞いてくる。

「その話は、わたしも興味ありますわ」

と、御島さんも小さい声。

「さあ、どうかな?でも、書けない大人よりは、少しはロマンチストなんじゃないかな」

と、僕は言って笑顔。

と、ミカちゃんも御島さんも、こっそり笑顔になるのでした。

「あれ?3人で、何こそこそ話しているの?僕を仲間はずれにしないでよー」

と、膨れる貴島くんに、3人とも爆笑するのでした。


(おしまい)


さてさて、いろいろな事が楽しく始まっていきます。

ま、クリスマス・シーズンも、そろそろ始まっていきますからねー。

人生楽しんだモノ勝ちですから。


楽しく生きていきましょう!


ではでは。

10月22日 「しあわせの指標」と対になる「しあわせになる為の条件」!

2013年10月22日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

10月もラスト2週、秋も深まっていきますねー。


さて、今回も「しあわせになる為の知恵」的な記事を書いていきたいんですが、

前回「しあわせの指標」の記事を書いてから、思ったんですが、

それは結果論に過ぎないんだ・・・ということですね。


昨日出した「しあわせの指標」。


①朝起きた時に吐き気も無く、気持ちよく起きられる。

②毎日、身体の求める睡眠時間を取れている。

③夜、午後10時から午前2時の時間帯を睡眠時間に当てられている。

④毎日、異性から、目の笑った本気の笑顔を貰えている。

⑤男性の場合、日々の仕事をしていて、充実感を感じられる。女性の場合、日々の恋に充実感を感じられる。

⑥男性の場合、自分が素敵だと思う女性に恋されている。女性の場合、毎日の仕事が「その仕事を全うすることで、充実感を感じらている」状態にある。


これは結果的にそういう状況を生んでいる・・・ということなんですよ。

だから、大事なのは、毎日の生活習慣・・・そのひとの毎日の生き方にあるんですね。


少なくとも、上の6つの状況を、結果的に生み出す、毎日の生活習慣を築くこと・・・それが実は最も大事なのかなと、今、僕は考えているわけです。


生活習慣病という言葉があるくらいですから、へたな生活習慣にしていると、病気になってしまいます。

逆に、しあわせを感じることの出来る生活習慣というのも、実際には存在するわけで、こちらのチェックの方がむしろ、しあわせの本質を生み出すことになるのかなと、

今僕は考えているところです。


となれば、例えば、どんなことが挙げられるのか?


とういか、上に挙げた6つの「しあわせの指標」を分析してみましょうか?


例えば、③は、自分で決めた生活習慣を指しているんですね。

午後10時から午前2時は、寝ている時間にしておこう・・・これは自分で考えた生活習慣です。


それ以外はすべて結果論なんですよね。生活習慣を整えたから、そういう結果に至っているという話です。


まあ、生活習慣に近いのは②なんですが、これも結果論になっている。

つまり、僕の場合、午後6時や6時半などを睡眠開始時間にしているので、午前2時に起きて、その日の仕事を開始出来ます。

しかし、その日、身体が睡眠時間をどうしても求めていたら、最大午前6時くらいまで寝ていても、その日の仕事に支障はきたさないわけです。


そもそも・・・一日の時間を自由に計画出来る、フリーライターという職業に就いている、ということが最も自分にとって大きいでしょう。

サラリーマンでは、そうはいきませんからね。


僕の考えでは、サラリーマン時代というのは、自分が本格的に職業選択するためのモラトリアムの時期と最初から捉えていたので、

そこで大成する気は、一切ありませんでした。


もちろん、大学卒業時から、フリーライターになろうと考えていたわけではありませんが、

「好きこそ物の上手なれ」

この言葉が、自分の独自の価値を見つける方法というものを端的に表現しています。


生きて、日々、自分の価値ということについて考えていれば・・・いつしか、自分が得意とすることが見えてくる。

一番やっちゃいけない生き方は、日々に流され、自分の価値を見失い、漂流してしまうことです。

そうなったら、ただただ、不幸な場所に流されていくだけです。ふしあわせスパイラルそのものになってしまう。


僕はサラリーマンとして生きるうちに、僕自身、対人間の仕事が最も得意であることに気づきました。

さらに自分なりの独自の思考こそが、他人より秀でていることに気づき・・・まあ、おしゃべりが大好きですからね。

そこから、フリーライターの道こそ、自分の真の道であることを見つけ出し、その道へ転職し歩き出したんです。


フリーライターの仕事なんて、終りなく日々、毎秒修行が必要ですが、最初から好きな道だし、日々の修行に充実感を感じるし、

さらに充実した結果となって、現れていくんだから、楽しくてしょうがありません。


自分の日々の仕事はそうでなければ・・・やらされている感のある仕事では、そもそも人生が充実するなんてことは、絶対にありません。


だからこそ、男性にとって、一生を賭けて、自分の得意な仕事を見つけることが一番大事なんです。仕事の選択こそ、一生の大事になっていく。

いろいろな人の人生を僕は見てきましたが、結果的に、そういう自分だからこそ、光り輝くことの出来る仕事を見つけた人間こそ、光り輝くことが出来ます。


大器晩成とは、そういう人間を指すのではないでしょうか。


例えば、先日お亡くなりになられた「やなせたかし」さんでさえ、50歳近くになって、彼を一躍有名にした「アンパンマン」を描く仕事を見つけたという話を聞きました。


人生どんなに回り道をしてもいいと僕は思っています。


というか、僕からすれば、前職である、システムエンジニアの仕事も僕にたくさんの財産をくれました。

だから、僕はそれは決して回り道だと思っていません。

むしろ、そういう仕事に就けたからこそ、自分なりの能力を鍛えることが出来たし、その鍛えがあったからこそ、

満を持して、フリーライターの仕事に就けたと考えています。


とにかく、大事な事は、どんなに回り道をしてもいいから、自分が輝ける仕事を見つける事・・・そこなんですよ。一番大事なのは。


そして、結果的に、自分の毎日の仕事で、いかに充実した仕事が出来るか・・・これを実現させることが、男性にとっては、最も大事な事なんです。


他人と同じような結果しか出せない仕事はいくらやっても価値にはなりません。

他人と違う価値を残せるからこそ、その人の仕事の価値が出てくるんです。

自分なりの価値。いや、自分だからこそ、出せる価値・・・そこまで自分の仕事の結果を高められなければ、その仕事をやっている価値は一切ありません。

だから、サラリーマンの時代はモラトリアムの時代に過ぎないと僕は強い気持ちで言っているんです。


サラリーマンの仕事は、その性質上、自分の代わりがいます。自分と同等か自分以上の価値を持つ人間が。

だから、そのフィールドでは、他人以上の価値を持てない。


だからこそ、自分の価値を出せる、自分なりの仕事を見つける必要があるんですね。


まあ、僕は運良く、そういう自分に向いている仕事を探し出すことが出来ました。

だから、僕は毎日夢中になって、フリーライターの仕事をしているし、充実した時間を過ごせるし、一日の時間を自由にコントロール出来ている。

そういう状況になることが男性には求められるんですね。


だから、僕は、日々、しあわせを感じることが出来ます。


男性の毎日の優先順位第一位は、毎日の仕事の充実です。


であれば、男性は、充実した仕事の結果を残せる、そういう仕事を人生を賭けて探すこと・・・そして、その仕事に就くことが人生の中で、

最も求められるべきこと・・・男性がしあわせになる為の、一番の条件がこれになるでしょうね。


つまり、「しあわせの指標」とは、そういう諸条件を満たした時に現れる結果なのですから、

「しあわせの指標」を作るならば、それと対になる概念として、

「しあわせになる為の条件」も、作らないといけないんです。


つまり、入力である「しあわせになる為の条件」と、出力となる「しあわせの指標」を作ることで、その人間のしあわせの状況について、初めて語ることが出来るんですね。


その事に思い至ったので、その方向で、このテーマについて書き進めて行きたいと思います。

ま、思考は楽しいです。やっぱり。


さて、では、上の記事で、男性の最も大事な「しあわせになる為の条件」を定義しましたから、じゃあ、女性については、どうでしょう?


もちろん、例外は何にでも存在します。僕はあくまで、ざっくりと男性及び女性を捉えてから・・・個々の男性や女性を見ていこうという立場にいます。

もちろん、個人個人で、男性も女性も違いますからね。


まずは、外堀を埋めていくつもりで、話を進めていきます。


女性で最も大事になる「しあわせになる為の条件」とは、何か?

一生を賭けて探さなければいけない、「しあわせになる為の条件」とは、何か?


まあ、これはもちろん、一生を生きるパートナーを見つける事、ということになりますかね。

女性の毎日の優先順位第一位は、「毎日の恋」ですからね。

もちろん、中には、

「わたしの場合、仕事が優先順位第一位だわ」

という女性もいるでしょう。

その場合は、一生を賭けることの出来る仕事を探せばいいわけです。上の男性の条件と同じになりますね。


ただ、ざっくりと女性を見た場合は、やはり、一生を共にするパートナーを探すことが、「しあわせになる為の基本的条件」になるでしょうね。


前にも書きましたが、恋というモノの決定権は、女性にあるんです。

だから、恋というのは、女性発信となります。

男性のプレゼンを見た女性が恋に落ちる・・・それが恋の本質的カタチになるんです。


だから、女性は恋する男性に見合うような諸条件を整備する必要があります。

男性はどんな女性にでもやさしいわけでは決してありません。


むしろ、男性は女性にシビアです。


なにしろ、男性にとっても、パートナーとなる女性を選ぶことは、非常に重要になるからです。

というか、男性は仕事選びの次に重要になるのが、このパートナー選びになりますから、ある意味、慎重に選ぶ必要がありますからね。


そして、女性も男性も、まず、外見に100%恋に落ちます。

だから、外見の整備は、女性にとっても、男性にとっても、最も重要な案件になるんですね。


だから、例えば、どんなに打ち解けた間柄であっても・・・外見を見ただけで一発で、振られる・・・なんて事はザラです。僕も若い頃に経験がありますけどね。


具体的に話せば、20代中盤の頃、めちゃくちゃ忙しかった僕は恋をゲットする方法がわからなかった。

だから安易にネットで探そうと考えたわけです。

そして、とある女性と打ち解けた・・・25歳細身の独身女性と自己紹介していたその女性と横浜のとあるイタリアンレストランで待ち合わせた僕は、

その女性と出会った瞬間に、

「ごめん、わたし既婚で35歳だから」

と、言われて・・・まあ、ていよくフラれた・・・というかまあ、本当の事を話してくれたことにもなるんでしょうけどね。


その頃はそんなことが多かったですね。


だいたい女性は年齢を若く言うんですね。

25歳独身・・・23歳独身、22歳で独身、26歳で独身・・・皆既婚で30歳以上でしたね。

「どうして、今日来たんですか?」

と聞くと、嬉しそうに、

「だって、たまには、若い男性とレストランで食事したいじゃない」

なんてしれっと言われる始末・・・痛いことを繰り返していましたね。若い頃は。


あるいは、確かに26歳の未婚の女性だったりするんですけど、会った瞬間、

「ごめん、会おうと言った僕が悪かった」

と思わず思っちゃうような外見の女性もいたりして・・・そこで数々の痛い目に会った僕は、ようやく確信しました。


「そうか。ネットの匿名性に逃げ込んでいる女性は、外見や年齢に自信がないから、それでも男に恋を求めて、話しかけてきたり、話を合わせてくるんだ」

「そうか。そういうことか。もう僕は絶対にネットの女性と恋はしない。恋はリアルライフでするもんだ!」


とその時、僕は強く決意するんですね。

どんなに打ち解けても、外見を見たら、その気持ちは変わります。

恋は外見でするものなんです。どんなに打ち解けても、外見次第で、一瞬で、その信頼すら消えることもあるんです。

僕はそれを20代で実際に経験しましたね。

ま、今から考えれば、早いうちにそれに気づけてよかったかなーって感じですけどね。


人間、経験は大事ですよー。


まあ、恋について言えば、それくらい女性にとっても、男性にとっても外見は重要です。

だから、外見の整備は、大人の女性、大人の男性にとって、最も重要な獲得すべき能力となってくるんですね。


恋とは、本能中の本能ですから、理性の世界のお約束である、「やさしさ」は介在出来ないんです。


まあ、もっと有り体に言ってしまえば、「恋」とは、

女性から言わせれば、

「この男性に抱かれたい」

という素直な気持ちの現れ、ですからね・・・抱かれたい男性だからこそ、好きになる・・・そういうことです。


男性から言わせれば、

「このおんなを抱きたい・・・」

という素直な気持ちの現れ・・・抱きたい女性だからこそ、好きになる・・・この順番が大切なんですね。


だから、よく女性向けの雑誌に書いてある、

「女子力アップ」

の記事は、本末転倒だったりするわけです。


「女子は男子の胃袋を捕まえてしまえば、勝ち!」

なんてことは、絶対にありません。


その男性がその女性のことを「抱きたい」と思っている・・・そういう大前提が必要なんですね。

そういう大前提があるからこそ、その女性が美味しい料理を毎日食べさせてくれたら・・・抱きたい上に女子力もある・・・という合わせ技で一本が決まるんです。


つまり、外見が100%女性も男性も「恋」に関わる・・・外見が素敵なら、恋が出来るし、外見が素敵でないなら、恋は出来ない・・・そういう結論なんです。


だから、外見が素敵でない女性がいくら「女子力」をアップしても、それは絶対に恋の道につながらない・・・という非情な論理も備えているわけです。

それが厳しい言い方には、なりますが、それが現実です。


特に女性は、素敵な外見を整備しておくことが、最も重要な人生の鍵になります。


素敵な男性をゲットしたいのなら、その男性とバランスの取れる素敵さを自分に整備しなければ、その男性との恋は実りません。

女性もまた待っているだけ、毎日に流されているだけでは、しあわせは獲得出来ないんです。


日々、自分を磨き、外見も内面も磨けば、いつしかその価値に気づき、プレゼンしてくる男性が必ず現れます。


恋は100%外見・・・そして、外見を整備すると共に、内面も素敵にしておくことが、女性にしあわせを呼ぶ絶対条件になりますね。


ただ、おしゃべりが楽しいから・・・くらいでは、男性は恋に落ちません。


順番が逆なんですね。


女性の外見が美しいから・・・男性はその女性を「抱きたい」と感じ・・・出来るだけ一緒にいたいと感じて、彼女に話しかけてくる。

女性側も、その男性の素敵さに「抱かれたい」と感じるから・・・お互い目を見ながら話していて、素直に目が笑うから・・・お互い、いい感じになり、

おしゃべりが楽しくなる・・・。


それが正統派の恋のストーリーなんですね。


これが実現出来れば、本当の恋がやってくる。


女性も男性も恋を楽しみましょう。


ま、特に女性は、恋が出来ないとね・・・自分にとって、最も素敵なパートナーを探すこと・・・それこそが、女性が一生を賭けてでも実現すべき、

「しあわせになる為の条件」

になりますねー。


そして、もちろん、大事なことは、

「恋はリアルライフでのみ、すること!」

です。


これを大事に楽しい人生を送っていきましょう!


いやあ、そういう意味では、若い頃に痛い目に会っておくもんです。

まあ、今からすれば、笑い話になりますけどねー。


結論的に言えば、

男性は、一生を賭けることの出来る、充実した結果を残せる仕事を見つけること、

女性は、一生を賭けることの出来る、パートナーの男性を探すこと・・・これらが、男女の「しあわせになる為の条件」になるんですね。


大事なことだと思います。


さてさて、それを理解しながら、しあわせになっていきましょうか。

ただ、だらだらと生きるのでなく、意識的にしあわせを目指していきましょう。

日々が楽しくなれば、生きるのも、楽しくなりますからね。


ではでは。

10月21日 しあわせの指標(1)(ネタ出し始めました!)

2013年10月21日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

10月も後半戦ということで、秋が静かに深まっていきますねー。

ということで、ちょっと思いついた企画があるので、今週はそれに傾注したいと思います。


みなさんは、しあわせですか?


その質問に具体的に答えられるような指標を作ろうとそういうことえすね。


で、今回からちょっと始めたいのが「しあわせの指標」シリーズということで、

人間、自分はしあわせなのか、どうなのか・・・まあ、それを知りたいわけです。

それをより具体的に・・・しあわせである人の特徴を詳しく考えていきたい・・・というのが、この記事の目的になりますねー。


しあわせである人は毎日、どのような生活をしているのか?

というか、ふしあわせである人は毎日、どのような生活をしているのか?・・・これを紐解けば、その裏返しが、しあわせである・・・そうも言えるわけですね。


まあ、自分がふしあわせであった頃の事を思い出して、

「ああ、この状況はふしあわせだったなあ・・・」

という特徴を見つけ出しながら、しあわせについて、より具体的に考えていきたいと思います。


まあ、この特徴を例えば100問の質問にして、それにイエス・ノーで答えてもらえば、自分の幸福度がたちまちわかる・・・そういう質問集にもなりますからね。


そんな話をしていきたいと思いますが、まず、僕が不幸だった頃の顕著な特徴はなんだったんでしょう。


①朝起きた時に、吐き気がする。


これですねー。僕はサラリーマン時代、朝起きた瞬間に吐き気がしていました。えづいていた・・・そういう状況はやはり不幸でしょう。身体にも良くない。

今の僕は、気持ちよく朝起きられますし、しかも、睡眠時間は寝たいだけ、寝れるようにしていますから、睡眠時間も身体が求めるだけ取れています。

そのことを考えると、


②身体が求める睡眠時間が取れていない。


これも、不幸の指標になるでしょうね。


これらを「幸せの指標」として書き換えるのであれば、


①朝起きた時に吐き気などせず、気持ちよく起きられる。

②毎日、身体の求める睡眠時間を十分に取れている。


という指標になるでしょうね。


睡眠で大切なのは、夜10時から朝の2時の時間帯・・・西洋では「天使の時間」と呼ばれている、毎日の身体のメンテナンスの時間帯ですね。

この時間帯を睡眠時間に当てられないと、皮膚の老化、身体全体のメンテナンス不足に陥り、白髪や頭髪の抜け、ほうれい線の成長、その他、

老化現象が顕著になると言われています。


僕の「ハッピーエナジー理論」で言えば、これらの劣化現象が開始される、「劣化のスイッチ」が身体に入ってしまうのは、

異性からの「ハッピーエナジー」の直接照射・・・いわゆる異性から目を直視されることが無くなると「劣化のスイッチ」が入るとしていますから、

異性から毎日、直接視線を貰うことは大事なんですね。


ま、有り体に言えば、毎日、異性からこころからの笑顔を貰っている。目の笑う、いい笑顔を貰っている・・・それがしあわせの指標になるわけです。


これ、作り笑顔では、意味が無いんです。だって、目から「ハッピーエナジー」の直接照射が成されませんから。

そんなもん貰っても、何の意味も無い。目が笑った、こころからの笑顔だからこそ、「ハッピーエナジー」の直接照射が行われるわけですからね。


その機会が無くなると、恋の機会が無くなったと判断されて、「劣化のスイッチ」が押されてしまう・・・そういう構造になっているとしているので、

日々、異性から目を直視されるのは、とても大事なことなんですね。


まあ、ですから、これらは、次の二つの指標になると考えればいいですね。


③夜、10時から朝2時までを睡眠時間に当てられている。

④毎日、異性から目が笑った、いい笑顔を貰っている。


しあわせ、という状況には、この二つはどうしても外せませんね。

ま、僕のサラリーマン時代は、今挙げた4つの指標は、どれも当てはまりませんけどねー。


人間はしあわせになる為に生きているんです。

単にお金を稼ぐ為に生きているわけでは、ありません。


男性にとって、いや、女性にとっても、日々の仕事は大切ですが、それが自分や家族のしあわせを妨げているとしたら、それは本末転倒です。


ひとはしあわせを感じる為に仕事をしているのですから。仕事を充実させ、しあわせを感じる・・・それこそが本当なんです。


お。そこからも、しあわせの指標が考えられそうですね。


⑤男性の場合、日々の仕事をしていて、充実感を感じられる。


男性の毎日の優先順位第一位は、なにより日々の仕事ですからね。

この仕事をしていて、充実感を感じられることが、男性として、あるいは、仕事に生きる男として、最も大事なことなんじゃないでしょうか。

その時に男は、生きているしあわせを感じられる・・・そう思いますね。


では、これに対する女性の場合は、どうなのか。


もちろん、例外はたくさんあります。仕事に生きる女性はたくさんいますから。

ただし、それは後の設問でカバーしていきたいと思いますね。


まあ、この記事ではざっくり女性の特徴をとらえたい、という気持ちでやっていますから、

ざっくりと捉えますね。


⑤女性の場合、日々の恋に充実感を感じられる。


この設問に置き換えられるんですね。

女性の毎日の優先順位第一位は、なんと言っても、日々の恋ですからね。

ですから、多くの女性の場合、日々の恋・・・結婚していても、結婚していなくても・・・今気になっている男性というのは、実際存在しているわけです。

それはリアルライフにいるのか、テレビの中にいるのか、あるいは妄想の中にいるのか・・・存在する場所はいろいろですが、

それでも、女性は、何歳になっても、恋をする存在なんです。毎日ね。


だから、


⑤女性の場合、日々の恋に充実感を感じられる。


という設問に○をつけられる女性がしあわせな状態だと言えるんですね。


ということは、これ、逆もまた、真なり・・・というか、男性にとって、日々の優先順位第二位は、

「女性に恋をされること」

なんですね。


恋というのは、常に女性発信です。

恋というのは、生物は皆共通ですが、男性がプレゼンし、女性がそのプレゼンに恋に落ちる・・・言わば、恋の選択権は、常に女性が持っているモノなんです。

だから、男性は女性に恋される、プレゼン能力を身につけることが・・・大人になる、ということと同義になるんですね。


だから、結婚して、ぶくぶく太って、ただのおっさんになってしまったら・・・それは年齢は重ねてはいるけれど、大人とは言えない。

単なるおっさんです。

女性から嫌われる。

そうなったら、しあわせにはなれない。


頼りにしていた娘にさえも、思春期が来たら、虫けらのように嫌われ・・・悲しい目に会うのがおっさんの末路です。

思春期の正体は、娘が父親をひとりの男性として評価し始める時期・・・それだけですから。


だから、娘の父親になったら、娘のしあわせの為にも、女性を自然と笑顔に出来る大人の男性であることが、求められるわけです。


女性だって同じですよ。

結婚していても、結婚していなくても、女性は毎日恋をする動物なんですから。

ぶくぶく太ってしまったら・・・まあ、もちろん、女性の場合、太っている女性にも、魅力を感じて、それを求める男性達はいるんです。こちらの場合は。

いわゆる母親的な癒やしを求める男性達・・・以前、その道のプロの女性に取材したことがあるんですが、

細身の女性は、かっこいいスポーツマンタイプの女性に求められるのに対して、

太めの女性は、

「会社で疲れている、気の弱いタイプの男性に人気がある」

という話をしてくれました。


つまり、自分に自信のあるタイプの男性が、細身の美しい女性を求めるのに対して、

自分に自信のないタイプの男性が太めの女性に癒やしを求めるカタチになるんですね。


まあ、僕的には、前者の方がしあわせの正当なカタチ・・・そう見るべきだと考えますね。

なんとなく後者のカタチは、傷の舐め合いに見えるからですね。それは、正当なしあわせのカタチとは、やはり呼べないと思います。


であるので、


⑥男性の場合、日々、自分が素敵だと思う、女性に恋されている。


という設問があるべきですよね。


女性の場合も同じで、毎日の優先順位第一位は、毎日の恋ですけど、優先順位第二位は、毎日のお仕事になるわけですよ。

仕事を持っている人であれば、仕事そのものだし、専業主婦であれば、家事や育児、子供を育てる事こそ、毎日の大事なお仕事になりますからね。

要はそれをどんな気持ちで出来るか・・・そういう毎日を選んだのは、自分だ・・・ということがまず大事になるわけです。


仕事に関して、唯一言えることは、

「やらされている感を感じているか?」

「それとも、その仕事を全うすることで、充実感を感じられるのか?」

このどちらであるか・・・これを判定することが最も大事だと思いますね。


僕はサラリーマン時代、やらされている感でいっぱいでした。

もう、充実感なんて、これっぽっちもなかった・・・だから、辞めて正解だったわけです。

今は、毎日、充実感でいっぱいですから・・・これぞ、僕の生きる道・・・それくらいでないとね。毎日の仕事というのは・・・。


というわけで、しあわせの指標は、


⑥女性の場合、毎日の仕事が、「その仕事を全うすることで、充実感を感じられる」状態にある。


という言葉に集約されるんだと思いますね。


まあ、とりあえず、思いついた事から、書き始めて見ました。

このシリーズを何度か実施して、100問の「しあわせの指標」を作れれば、100点満点中、原罪の自分の幸せ度が何点か、シビアにわかるようになる。

そうすれば、今の自分に何が足りないかも、具体的にわかるようになる。


「しあわせソムリエ」としては、この指標は、まず、最初に作らねばならない、具体的な指標になりますね。


ま、というわけで、この「しあわせの指標」作りに今週は注力していきましょう。


あなたは、しあわせですか?

ええ、100点満点中、XX点くらい幸せです。


それを具体的に言えるようになりましょう。


それを合言葉に、今週も、がんばっていきまっしょい!


ではでは。

10月20日 第四十一回 乙女通信 「覚馬の娘」

2013年10月20日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●歴史は常に動いていく!薩長の手にあった権力は今や民衆の知の力でチェックされ始めた!チェック機能のない日本的組織は必ず腐敗する!民衆の知こそがその腐敗を阻止出来るのだ!

えー、「八重の桜」第四十一回「覚馬の娘」のレビューを行いたいと思います。いつも通り、よろしくお願いします。


まあ、今回は、覚馬の娘、みねの縁談と京都府知事、槇村のフィナーレが語られたわけですが、まあ、この槇村のキャラは歌舞伎調の、

ある意味、アニメ的怪物キャラだったので、おもしろく楽しめましたね。新京極を作ったり、京都で博覧会を開いたりとなにかとアイデアマンだったようで、

天皇の去った、京都の復興を目指したという意味では、覚馬とそりはあった・・・約10年の槇村府政においては、覚馬は、必要欠くべかざる存在だった、

そういうことだったと思いますね。


ひとが大きな仕事をしていく時に、こういう必要欠くべからざるべき存在というのは、自然と出てくるもんなんでしょうか?


覚馬は西郷に見出され、岩倉にその才を認められた・・・会津出身だったこともあって、京都の顧問止まりだったけれど、

その才は、木戸孝允にも認められていた。


そもそも維新の元勲とは、具体的に説明すると、何なのでしょう?


要は、他人の才を見抜く器量を持った人たち・・・だからこそ、能力のある人間を認めることが出来、能力のない口ばかりの人間を見抜き、

使える人間を最大限使い抜き、使えない人間を一掃し、日本を機能的国家に生まれ変わらせた・・・それが明治維新の本質であり、

その大掃除は西南戦争でひとまず終結した・・・そう見るべきなんだと思いますね。


機能として、ひとを見る場合、求められるのは、やはり、自分の役割を理解し、その役割を遂げることなんだと思います。


維新の元勲達は、早くからそれを理解し、指導的立場に立ちながら、それこそ、この日本から使えない人間を一掃し、龍馬の言う、

「日本を洗濯し、そうろう」

を実践した人たちだと言えることが出来そうです。


その結果、日本における最大の反乱分子と堕した「薩摩士族」は西郷と大久保のタッグによって、この日本から削除された。


最後の人材的大掃除が、そこで終了した。

そう見るべきだと僕は思っていますね。


日本の最高の正義は、

「和をもって尊しとなす」

ですから、その組織には、いつの間にか、澱が沈殿するんです。


何の役割も果たせない無能な人材が・・・澱として、沈殿する。


それが幕末、徳川家という日本の統治機構だったはずの組織に蔓延していた。

それを幕末、薩摩藩という、非常に機能的な組織が見ぬいた。

そこから、幕末の倒幕運動が始まるわけで、言わば倒幕運動は、人材的澱掃除だったわけです。


つまり、日本は文化的に組織が腐敗しやすいわけですよ。

澱は常に溜まっていく。

だからこそ、この澱が溜まらないような工夫が絶対に必要だ。


京都から東京に天皇が行幸し、東京が首都になったのも、ある意味、京都あるいは、関西の澱を一掃するための試みだったのかもしれません。


実際、京都は生まれ変わった。


新京極が出来、博覧会が開かれ、都踊りが毎年披露されるようになり・・・槇村の打った政策は、新しい京都を作るための数々の新政策だったんでしょう。

その知恵は、未だに廃れずに今に伝わっている。

人々に歓迎される知恵だったからこそ、今にしっかりと伝わっているんですね。


そういう意味では、槇村は、維新の元勲達に認められた才能豊かな才人だった・・・と言うことが出来ると思います。

京都に溜まった澱を掃除し、新たな京都の礎を作り上げた才人・・・まあ、個性豊かな人でしたが・・・僕にはそのように見えましたね。


その槇村に認められた覚馬も、もちろん、才人・・・仕事の出来る人間だからこそ、同じように仕事の出来る人間を見抜く才能を持っている・・・そういうことでしょうね。

だからこそ、強いパートナシップを発揮し、大きな仕事が出来る。


仕事の出来る人間だからこそ、仕事の出来る人間を見抜くことが出来るから、互いに尊敬しあうことが出来るし、

互いの価値を知ることが出来る。


互いの才能を最大限利用し尽くすことが出来る。そこにたどり着くわけです。


価値のある人間は、自分と同じように価値のある人間を見抜くことが出来る・・・そういうことです。

いわゆる懐刀・・・とは、そういう経緯を経て、整備される人間関係なんですね。


つまり、ひとは、価値を持たなければいけないということです。


自分には、どんな価値があり、どこに才能があるのか?


それを弱年の頃から意識し、自分の価値を見つけられたら・・・価値とは他人と違うところに宿る・・・それを意識し、自分の価値を見つけ出したら、

その価値を伸ばし、追求する生活に入れば、やがて、その才を見抜く人間が現れ、その才を高く評価する人間に登用され、社会で大きな価値を発揮していく、


人生とは、そういうストーリーなんですよ。社会において、価値を発揮するとは、そういうことなんです。


それをこの槇村と覚馬のストーリーが僕らに教えてくれていますね。


毎秒、本気になって、自分の価値を追求する・・・それが大事な毎日の生活・・・そういうことになるでしょうね。特に男にとっては。

男はどんな仕事を残したか・・・それがその男の価値となります。

他人と同じ程度の仕事を残しても、それは価値になりません。

他人と違う仕事を残すから、価値となるんです。


価値とは他人と違うところに宿るんです。


そういう意味では、この槇村、覚馬コンビは、大きな価値を残した・・・幕末、会津藩が疾駆した、この京都を立て直した。

会津藩士として、冥加に尽きる働きをした・・・そう見るべきでしょうね。この覚馬のあり方は。


さて、物語の大きな流れを考えた場合、政治の流れが大きく変わって来ています。


幕末、覚馬は、薩摩藩に捕らわれている時に、

「藩も何もねえ。一身独立!この思想だ」

と、言葉にしましたが、この思想は、吉田松陰ー高杉晋作系譜の思想でもあるわけです。


最初の頃、出ていましたね。吉田松陰さん・・・藩を離れて自由の身で、独立していくその思想・・・日本国民という新しい考え方に、その思想は踏み出して、

いるんですよね。ある意味、オールジャパン・・・大きな意味で言えば、そういう発想です。


日本という国の特質は、団結した時の強さにあります。


その根源は、日本の最高正義が、

「和をもって尊しとなす」

にあることで、その根源的正義があるから、

「おもてなしの心」

が生まれた。ある意味、他人に対する「まごころ」を持っている、という強みです。


相手の立場にまで立ち、相手が笑顔になることを期待し、それを実現することに喜びを感じる国民性。


それを支えるのが、強い強い、

「武士道」

という精神文化。


死を日常のモノと考え、大事なモノを守る為に、死することに何のためらいも持たない強い勇気を育んできたのが、日本人です。

もちろん、その裏側には、義という理由が必要です。義があるから、その義に人は殉じる事が出来る。


ここが日本人にとって、最も大事なところなんですね。


そこに義があるのか?無いのか?


それが日本人の価値の判断にとって、非常に大きな価値を持つんです。


ですから、この「おもてなしの心」と「武士道」が融合している日本人は、そこに義があれば、強いし、勇気もあるけれど、その勇気で持って、易々と、

「おもてなしの心」

を実現している。


これが日本人の特質であり、日本という国が生きやすい、日々、自然と笑顔にしてくれる国の原点だと言えます。


それでいて、多くの外国人が数限りなく指摘していますが、日本人は、戦国時代の昔から、知的好奇心が非常に旺盛です。

知的咀嚼力も非常に高い。


なので、文化の進化の速度が非常に速い。


その現れは、すぐに政治のカタチに出てくる。


幕末、維新の元勲達の指導により確立された、薩長政権は、機能的人間の多かった薩長両藩に政治的権力を握らせた。

まあ、この日本をどういうカタチにするか・・・将来の日本、今の日本のカタチを決めていく権力を彼らに与えたわけです。


しかし、日本の人的資源の大掃除が、西南戦争を持って、終った時に、人々は新たに動き出すんですね。


一般民衆にも、機能的人間はいるのだ・・・一部の薩長の人間は、長く権力の座にあったことで、腐敗し、「俺偉い病」と化し、汚職が横行し、

人民の敵になりつつあった・・・。


日本的組織の弱点は、ここにあるんですね。

「和をもって尊しとなす」

の組織は、和を乱したくない為に、チェック機能がおろそかになる癖がある。


これはやばい考え方なんですよ。


むしろ、

「和をもって尊しとなす」

を永続的に続けていく為にこそ、

「第三者によるチェック機能」

を多いに充実させる必要がある。


あえて組織の敵となる人間を置くべきなんですけど、

「和をもって尊しとなす」

の文化は、それを否定してしまう・・・ここが日本社会の最大の弱点だと僕は指摘します。


だからこそ、敵とそしられる事を覚悟で、腹をくくって、本当の事をスバリと言える人間の育成が、急務だと僕は考えています。

そういう人間こそ、この日本をさらに良くしてくれる人材になると、僕は考えていますね。


そういう意味では、覚馬は、槇村に対して、そういう機能を果たしていた・・・京都府政にとって、実に重要な存在だったのが、覚馬だった・・・そう言えるでしょうね。

つまり、知事にとって、議会は、この日本文化の国においては、絶対に必要なチェック機能だったんですよ。

それを見事に機能させた山本覚馬という人材は、傑出した人材だったと言えるでしょうね。


この日本においては、権力を腐敗させない為にも、マスコミその他のチェック機能は絶対に必要なんです。

チェック機能を失くした日本的組織は、必ず腐敗する・・・そう覚えておいた方がいいと、僕は思いますね。


さて、そういう意味では、今回、京都府知事槇村に対するチェック機能としての、府議会、そして、マスコミのあり方が描かれていた。


そして、今回、それは薩長閥・・・日本の権力を欲しいままにしていて、腐敗した薩長閥の姿としても描かれていましたね。

ほらね。チェック機能を失くした日本的組織は、必ず腐敗する・・・そのいい例です。


それに対して、「日本の知」が動き出した。


「日本の知」が薩長に集まっていたのは、幕末の昔・・・そして、西南戦争まで、なんです。

時代は進み、新たな「日本の知」が生まれてきている。


今回の伊藤博文を中心とした日本政府の狼狽ぶり・・・まるで、幕末の徳川慶喜の狼狽ぶりに重なりましたね。

彼には義がなかった。

義があったのは、唯一、容保公だけだった。そして、会津藩だけだった。


義の無い組織は動けません。

解散するしか無くなるんです。誰もその首長を相手にしなくなりますから。

義のない戦など日本人には出来ないんです。


だから、会津戦争が起こった。

容保公に義があったからこそ、会津人達は戦ったんです。


義のある組織と義のない組織の違い・・・それを炙りだしたのが、会津戦争と江戸城無血開城の結果の違いになるんです。


そして、その義は、いつまでも人々に記憶されている。

そして、それはいろいろな話を生み・・・永遠に残っていく。

もちろん、徳川慶喜に義がなかったことも・・・「俺偉い病」になり、徳川家という組織を潰したことも・・・結局、人間、澱となると、掃除されてしまうんですね。


「日本の知」によって。


そして、今、伊藤博文率いる、薩長閥の日本政府も、腐敗した澱と化してきている。

チェック機能を失くした日本的組織は、必ず腐敗する・・・そのいい例です。


いや、明治政府には、チェック機能がそもそも無かった・・・だから、腐敗が急速に進んだんです。


だから、今、民衆は気付き始めた。

明治政府にも、チェック機能が必要だと・・・在野の「日本の知」が動き出したんです。


その「日本の知」を新たに作り出してきたのが、同志社英学校、女学校だったと言えるんですね。

そして、さらなる「日本の知」を作るべく、新島襄は、同志社大学を作ろうと構想を進めるんですね。


つまり、今まで、日本の権力は戦争で奪うしかなかったわけです。


でも、覚馬が喝破したように、民衆の支持の如何によって、権力の移譲が行われる世の中に移り変わった・・・ここが大事なんですよね。

自由民権の世・・・民衆の「知の力」がモノを言う時代に移り変わっていってるんです。


だからこそ、言論・・・マスコミの力がこの時代、大きくクローズアップされていく。


日本人は、時代を眺め、時代によって、多くのモノを作り替えてきた・・・それを今回の「八重の桜」は教えてくれたと思いますね。

だからこそ、同志社英学校も、同志社大学へと進化する。

「日本の知」を新たに作り上げていく為に・・・。


そう。結局、この世は、知恵者VS知恵者の戦いなんです。


知恵者であることこそ、人として、この世に生きる意味であり、知恵こそ、大きな仕事を残す為の唯一のパスポートになるんです。


僕らも大きな仕事を残す為に、知恵者になっていきましょう。


単なる知識者になってはいけませんよ。


新渡戸稲造大先生の著書「武士道」にもありますが、

「知識とは知恵を作り出す材料に過ぎない。論語読みの論語知らずになってはいけない」

と、要は知識にとらわれて、自分なりの新しい知恵の作れない人間になるなと戒めているんです。


日本では、遠い昔から。


知識に溺れる人間になってはいけません。知識を誇示する人間になってはいけません。

新たな自分なりの知恵を作れる人間になりましょう。


それこそが、僕らが、覚馬や槇村、伊藤博文、岩倉具視を超える手段でも、あるんです。


今から、人生を賭けて、挑戦する価値はありますぜ。


ではでは。


●愛のひと、伊勢時雄との結婚を選んだ、みね!あのみねが!あの泣き虫だったみねが!しあわせは誰かが運んでくるモノではない!自分のあり方が自分をしあわせにしていくんだ!おめでとう、みね!

というわけで、今回のもう一方の主人公、みねのお話ということになるわけですが、

愛のひと伊勢時雄さんと二人して立ち去っていくシーンを見て、

「おお。あのみねが・・・結婚に向けて、旅立って行くのか・・・」

と、少しうるっと来ちゃいましたねー。


だって、うらさんがみねを産んでから、僕らは、ずーーーーっと見守ってきたわけですからね。その成長を。

なにより、泣かされたのは、うらさんとの別れのシーン・・・あの時のみねは、ほんと僕らを泣かしてくれましたからね。

まあ、なんというか健気でねー。みねちゃん・・・そのみねが結婚の為に旅立つ・・・大きな感慨がありましたね。


でも、みねが結婚を決意した時に、覚馬が、

「どうしてもつらくなったら、大きな声を俺を呼べ。俺はどこにいても、助けに駆けつける」

と行った時の覚馬はかっこよかったですねー。


これぞ、覚馬って、感じで。


あの遠い昔、八重さんが鉄砲の修行を始める時に、

「死ぬ気でやれ。戻り道はねえぞ!」

的に行った時と同じ気概で、

「結婚、どこまでも相手についていけよ」

的に、みねにも言ってましたから、

「ああ、覚馬だなあ」

と思うことが出来て・・・あのシーンを連想させてよかったですねー。


大河ドラマを楽しむ醍醐味が、そこにはありますよ。

昔のシーンとつながる・・・つながることが出来る・・・それこそ、大河ドラマの楽しさです。はい。


途中、いろいろあったけれど、うらさんが本気になって育て上げたみねが・・・なんか、うらさんと別れた時の泣きのシーンを思い出します。

今回も、みねさんはいろいろな思いに苛まれる。

山本家の跡取りとして、婿をとらなきゃ、という強い思い。その思いはうらさんの記憶と濃厚につながっている。

うらさんを思う思いがあるからこそ、山本家の跡取りとして、婿を取らなきゃと強く思っている。

だからこそ、それを否定されたと感じた時に、覚馬に激怒しちゃうわけですよね。


そこは、覚馬にとっても蹉跌なんですよね。

覚馬は、うらさんも引き取る覚悟で用意をしていたわけだから。

ある意味、否定されたのは、覚馬の方なんですね。


その否定は、やはり、覚馬にとっても、蹉跌だし、だからこそ、みねのしあわせを第一に考えたい・・・そういう覚馬の強い思いがある。


うらさんの気持ちも汲みながら、いや、汲むからこそ、そういう気持ちになる覚馬のあり方がそこにはあるんでしょうね。

そして、モヤモヤしているみねの元に、最も影響を与えたと言っていい、かっこいいおば様、ハンサムガールの八重が来る。

いや、だって、生まれた時からこういう豪傑みたいな女性が先輩として、傍にいるわけだから、そりゃあ、みねだって、影響を受けないわけがない。


なんかね。かっこいいな、って思いますよ。八重さんは、いつでも・・・。


弱い所がない。逆境も跳ね返す力強さが彼女にはある。

彼女を見ていると、つい笑顔になってしまう・・・そういう強い存在なのが八重さんの本質ですからね。


その八重さんに説得されれば・・・みねだって、納得するでしょう。

そして、結婚を決めたみねの姿がそこにはある。


まあ、考えてみれば、八重さんと新島襄との結婚だって、自由恋愛ですからね。

それに影響を受けないはずはないわけです。みねさんは・・・。


結婚というのは、そういう周囲の真心がカタチになるもんなんですね。


もちろん、本人のあり方が最も大事ですけどね。

みねは愛される女性に育った。品行方正にして、愛らしい女性に。

だからこそ、周囲がみねさんがしあわせになることを望んでくれる。


人生とは自分自身が作るストーリーなんです。

しあわせとは決して他人が運んでくるモノではない。

自分自身で、創りだしていくものこそ、しあわせ、というモノなんですねー。


みねもそういう愛らしい存在に自分を育てたからこそ、結婚出来たんだ・・・僕はそう思っていますね。

人生は決して他力本願ではない。他力本願に頼っている人間は決してしあわせにはなれません。

自力本願の人間にこそ、しあわせは微笑むんです。


それをこの物語は教えてくれる・・・そういうみねの結婚の物語になったと思いますね。


そして、次回、すべての話の原点・・・会津に行くんですね。

なんか、今考えても泣きそう・・・ハンカチ用意して見るとしますか!


今週の喜び

時代は常に動いている。大河ドラマを眺めていると、その思いに強くとらわれますね。


僕らの時代も常に動いています。


例えば、パソコンひとつ取ったって、僕が大学に入学した頃なんて、外部記憶装置は16Mバイトもあれば、

「ほう、結構、使えるね。これ」

みたいな評価でしたからね。


今じゃあ、1テラなんて当たり前だし・・・外部記憶装置の進化ひとつ取っても、急激に時代は進化している。

もちろん、電話を引き合いに出したら・・・固定の黒電話だった大学時代から、スマホが主流の今の時代へは、急激な進化があった。


それと同じ意味で、政治も進化し続けているんです。


そういう時代の中で、時代に求められているモノは何か?時代に求められている人材はどういう人材か?

時代に求められている価値とは?


そのあたりを明確にすることが、この大河ドラマレビューのひとつの目的でもあります。


違う時代のレビューじゃないか・・・と思われるでしょうが、違う時代の移り変わりをレビューすることによって、

今の時代も見える目を養成する・・・それが僕が大河ドラマレビューをし続ける、ひとつの目的でもあります。


なにしろ、人生やったもん勝ち!ですからねー。


何もやらない人間は、埋没していく・・・その恐怖に打ち勝つには、やるしかないんです。ひとつでも、自分で価値のある思うことを。


今回、そのひとつの価値として、登場したのが、

「他者に迎合せず、本当の事を指摘出来る人間こそ、日本の組織では、時代にとって重要」

という概念にたどり着きました。


こういう価値は時代が変わっても、この、

「和をもって尊しとなす」

を最高正義とする日本において、大きな価値を持つと思いますね。


そういう人材になっていきましょう。


僕の本質は、辛辣性にあります。

今後も厳しく物事を追求していきたいと思いますね。


人間は常に自己の価値を追求し、強くなっていかなければ・・・その強い思いで僕はいっぱいです。


さあ、今年の大河ももうすぐ終りですけれど、最後まで、手を抜かず、楽しんでいきましょう。

僕のレビューも一緒に楽しんで頂けると幸いです。


さあ、約束の地、宿命の地、会津へ、八重さん達と、行きますか!


そこには、いろいろな思いがあるでしょう。いろいろな思いが湧いてくるでしょう。

それも、大河ドラマを楽しむ醍醐味です。


僕らはそれを味わう為に、これまで、大河ドラマを観てきたのだから。


ではでは。


今週のあれ、どうなん?
みねの「お茶お茶!」という狼狽ぶりがかわいかったよね。というか、女性は恋愛事にほんと、敏感に気づくよねー。