大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信
「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」
●時代は移り変わる!もはや国主体の政治でなくなりつつある!民間も政治に参加し、新たな校風の自由な私立大学も必要!新島襄にはそれが出来る!
えー、大河ドラマ「八重の桜」レビュー 乙女通信 第四十二回「襄と行く会津」です。よろしくお願いします。
えー、大河ドラマも、この季節になってくると、「今まで、こんなことあったよね?」的な回も出てくるわけで、今回は、そういう回でしたねー。
まあ、2月に会津藩は京都に出てきて、5月に鳥羽・伏見の戦いをやって、7月が会津戦争、8月から京都編と、慌ただしく過ぎてきた「八重の桜」でもありますが、
なんだか、あっという間でしたかねー。
今回は会津への旅ということで、冒頭の「板垣死すとも、自由は死せず」のシーン以外は、主に回想・・・これまでの歩みを振り返る・・・この時期の大河ドラマには、
よくある回となりましたねー。もう、10月も終りですから・・・あと一ヶ月ちょっとで「八重の桜」も終了ですからね。
しかし、今回も泣かされました。というか、みねが出てくるとだいたい泣かされるんですよね。
というか、久々のうらさん登場で・・・みねも結婚しちゃったからねー。あのみねが・・・うらさんと一緒に居た頃が懐かしい・・・そんな気持ちになりますねー。
「それでも、わたしが決めたんだから」
と、みねと共に生活するのを拒否したうらさん・・・まあ、うらさんも会津の女性ということでしょう。一度決めたら、違えない・・・そういう強い会津女性、
ということっだったんでしょうねー。
でも、やっぱり嫁いだみねとうらさんの再会は、絶対にやらなきゃいけないストーリーでしたね。
まあ、うらさんがまた美しいもんだから、強い決意とか見せると・・・強さが引き立っていいんだよねー。
うん。会津おんなは強い・・・それを見せてくれましたねー。
つーか、みねにまた、泣かされました。もう、最近、「八重の桜」に泣かされてばっかりです。
しかし・・・会津のあの場所が、角場だった場所だと知れた時・・・やはり嬉しかったですね。いろいろな思い出が残る角場・・・1月から見てきて、
いろいろな思い出が残っていますねー。
いろいろな事がありました。
「おまえはサムライの娘だ。だから、一度やりだしたら、逃げることは出来ねーぞ!」
的に覚馬に言われた八重さん・・・あのシーン懐かしいですねー。
まだ、1月だったもんな。もう、あれから9ヶ月余りが経ったんですね。今年も・・・。
ま、リアルライフでも、いろいろなことがありましたけどね・・・。
しかし、あの時、輝いていた、会津の人たちは消えてしまった・・・。
今回、板垣退助が言っていましたね。
「会津はよく戦った。だけれども、庶民はそれをただ傍観するだけだった」
「これからの国防はそれではいけん」
確かに、そうですね。国民皆兵の思想は、このあたりから出てくるんでしょうね。
板垣退助が襲撃された時、よく龍馬が襲撃された時に出てくるセリフ、
「ほたえなあ」
と懐かしい土佐弁を聞きましたけれど・・・ほんと懐かしく「龍馬伝」を思い出しますね。
やっぱ、土佐弁聞くと、龍馬だよな・・・。ま、それは置いておいて。
しかし、官立大学とは違う、自由な校風の私立大学の必要性・・・まあ、同志社大学の設立につながっていくんですけど、ミルクセーキって、あの頃からあったんですねー。
まあ、確かに美味しい飲み物ですけどねー。
しかし、会津・・・いろいろな事がありましたねー。
なんだか、懐かしい感じです。
尚之助様も・・・尚之助様の話をした時、八重さんは、
「すまねえなし」
と言いましたが・・・この気遣いが出来ない女性って多いんですよね。
女性は嫉妬する動物ですが、男性も嫉妬するんですよね。普通に。
だから、女性が昔の恋とか語ったりすると普通にムカツクもんですが、その事に思いが至らない女性っているんですよね。
自分の思いだけを優先して、
「あー、この曲聞くと思い出すわ。あの頃、恋していたっけ・・・キスしたなあ、車の中で」
なーんてドライブしている横で恋人が話したりすると、完全にムカつきますからね。男性と言えども。
そういうことに気の回らない女性はちょっとダメですね。僕的には。
女性だって嫉妬するじゃないですか。だから、過去の恋愛話なんて、絶対話しちゃいけない。今付き合っている女性には、ね。
だいたい、女性は、今付き合っている男性の過去の恋愛話なんて、興味ありませんから。
女性は今しか、興味がないんです。たった今の恋愛にしか・・・。
目の前にいる、愛しい男性の今にしか、興味はない・・・それが女性です。
だから、今目の前にいる女性を笑顔にしてあげれば・・・相手にとって嬉しい事を言ってあげればいいんです。それが男性のやるべき事なんです。
で、話を戻しますが、八重さん一行は、会津でいろいろな事を思い出し、昔の使用人にも再会し、うらさんとも再会した・・・まあ、目的を果たした、ということですが、
会津の日々は何だったんだろう?という思いがありますね。
京都守護職の日々って何だったんだろうって思いが強いです。
結局、会津戦争につながって・・・そして会津は消えた。
消えてしまった・・・跡形もなく・・・その思いが強いですねー。
「八重の桜」的には、だいたいのストーリーが終りに近づいた感じですかねー。
覚馬は京都の再興も成し遂げたし、あとは同志社大学の設立ですかね・・・。
熊本バンドの面々も結婚もして、身も固まっちゃって・・・徳富猪一郎は塾を開いている状況・・・まあ、のちの徳富蘇峰ですからね。
新島襄の紹介状を持って、板垣退助に徳富猪一郎が会いにいくのはまあ、歴史の話ですから、
「ああ、そういう感じで、表現しているのねー」
という感じで見ていました。
まあ、結局、能力のある人というのは、その能力を認める人に認められて、立身出世していくんだなあ、とそういう風景に見えましたね。
新島襄から紹介状を貰う徳富猪一郎の風景は・・・。
しかし、八重に対する「相変わらず、ぬえたい・・・」という言葉はある意味、もう褒め言葉になっていますねー。
というか、物語もだいぶ落ち着いてきて・・・捨松さんまで、帰ってきてしまって・・・日本語忘れちゃっているみたいでしたけど・・・。
なんだか、鹿鳴館とか、やるみたいですねー。
つーか、大山巌と八重さん・・・腕相撲すか?
いや、それはいくらなんでも・・・なんだか、話がどこへ行くのかって感じになってきましたねー。
まあ、少し歴史的な話をしましょうか。
いわゆる、自由民権運動がこの時期、吹き荒れるわけですけど、前回も話しましたが、国による政治支配から、民間も政治に参加出来る世の中へ・・・、
そういう流れの中に今いるわけですよ。
新島襄が目指している私立大学設立もその流れの中にある。
国は、人間を鋳型に入れて、作るようなやり方をして、官僚を作り上げているが、私立の大学を作り、自由な校風の元に学生を養成するべき、
・・・それが新島襄の持論なわけです。
その原点になるのが、キリスト教による、ある意味、癒やしを備えた学問・・・そういう捉え方に見えますね。
まあ、キリスト教の是非はまあ、横に置くとして、この時期、社会主義思想まで日本に入ってきていますから、新たな知恵の爆発・・・それを経験しているのが、
この時代の日本人・・・そういうことなんだと思いますね。
いつの時代も知的好奇心旺盛な日本人・・・そうでなければいけないよ。いつの時代も。日本人であるのなら・・・。
そして、その申し子になっているのが、徳富猪一郎なわけで、彼はジャーナリストとして、あまたの情報に触れながらオピニオンリーダーになっていくんですね。
結局、人間というのは、どういう情報に触れ、それをどう活用し、自分の価値を極大化していき、社会において、その存在価値を極大化していく・・・そうあるべき存在。
そうでなければいけないんだと思いますね。
自身の存在価値を極大化していけば、その価値の状況に応じて、入ってくる金銭の多寡も変わってくる・・・そういうことなんだとこの大河ドラマは教えてくれます。
例えば、新島襄の言うこともドンドン変わってきているんですよね。
私立大学を設置する・・・それって普通に考えれば大変な事ですけど、今の新島襄なら、出来ることとして見ている。
それだけの人間関係も出来てきているし、彼を応援してくれる人脈も作った。
だからこそ、今度は、「会津に教会を作ります」・・・なんてことも、さらりと言えることになる。
結局、人間は、その人間の独自な価値をどこまで極大化出来るか・・・それに伴い人脈が出来、応援してくれる人脈も出来ていき、
自身のいろいろな活動につながっていく・・・そういうことなんだろうなと思いますね。
民間の人間が政治に参加出来る・・・それが見えてきた、この自由民権運動の世は、ある意味、日本が大きく変わる時期なんでしょうね。
民間が力をつけてくる・・・板垣退助を筆頭に・・・伊藤博文達、政府はそれをはらはらとした気持ちで見ている。
やっと日本は内乱の無い・・・内乱をしなくても、政治が進んでいく国になった・・・そういう時代になっているんですね。
そういう意味では、自由民権運動の世というのは、民間が、国から権利を奪っていく過程なんだなと思いますね。
その新たな自由の時代の中に、徳富猪一郎がのし上がる素地があった・・・そういうことなんでしょうね。
そして、改めて会津に赴き・・・時代は変わったことを理解した八重さんだった・・・そういう表現だったのかもしれませんね。
ま、半分は過去の思い出し回だったので・・・あまり書くことが無いですが、まあ、みねとうらさんが再会出来てよかったなーって感じですか。
ええ、涙しちゃいましたね。普通に。
そんな感じかな。いやあ、今回はあまり書くことがありません。はい。
●覚馬の蹉跌!うらさんとの思い出が今蘇る!しかし、覚馬は京都を動かず、時栄さんの気持ちを考えた!でも、時栄さんの冷たい目が!危うし、覚馬?!
というわけで、今回、会津に行かなかった覚馬なわけですが、八重さんからの手紙でうらさんとみねが出会えた話を聞き、
・・・その様子を冷たい目をしながら、盗み聞く時栄さん・・・。
波乱の予感でしょうか・・・。
まあ、もちろん、覚馬にとっても、うらさんの存在は蹉跌なんですよね。
だからこそ、時栄さんの為にも、会津に行かなかった覚馬・・・でも、女性というのは、それがわかっていても、覚馬の真心に気づきながら、
それでも、多いに嫉妬しちゃう動物なんです。
時栄さんも、今頃になって・・・やはり嫉妬の心が動く・・・みねが家を離れたことも大きいんじゃないでしょうか?
今までは、みねの為にも、そういう心は出さないようにしていた時栄さんでしたけれど、みねが離れたことで・・・ある意味、時栄さんは自由になった。
自身と覚馬さんとの子・・・久栄さんも近くにいるわけですから・・・何の遠慮もなく、自身の気持ちを覚馬にぶつけられる立場になったんですね。時栄さんは。
嫉妬心・・・こればっかりはどうしようもない、やっかいな思いです。
だって、本能そのものの気持ちですからね。
女性は嫉妬心に身を焦がします・・・好きな男の事だからこそ、余計、そういう素直な気持ちが湧いてきてしまう。
それを知っているから、覚馬も動かなかった・・・それを知っている時栄さんのはずですが、それでも、嫉妬心は湧いてくる・・・やっかいな気持ちですねー。
ま、覚馬と時栄さんの間に波風が吹かなければいいですがねー。
人間仕方の無いことって、あるんですねー。
まあ、でも、覚馬の物語も、随分、終わってきた・・・そんな感じがしますねー。
八重と新島襄の物語はまだまだ、続きそうですけど・・・時栄さんと覚馬の仲違いが主な話になったりしないだろうなあ。
ま、それはおいおいわかる話でしょう。
もう、11月も目前ですか・・・「八重の桜」も随分と終わってきましたねー。
いつの間にか、僕が大河ドラマに求めるモノも変わってしまった。
最近はさらりと見れるようになってしまいました。大河ドラマ。
まあ、朝ドラのレビューすら、毎日やってる始末ですから・・・まあ、でも、勉強になります。
大河ドラマレビューでは、歴史のレビューという側面も大事にするようにしてきました。
僕らが今、普通に手にしている、政治に参加出来る権利・・・それはこの時代から、民衆が国に対して働きかけ、獲得してきた権利だったんですね。
そこには先人たちの多大な犠牲や苦労があった。
そういう先人の苦労を僕らが知る機会こそ、大河ドラマ視聴の時間なんですね。
時代は常に動いています。
この時代が常に動いていたように、現代も常に動いている。
僕らも徳富猪一郎のように、時代に敏感に動いていく必要があります。
そして、ガンガン成長して、大きな存在になっていきましょう。
情報を受取り、取捨選択し、自分の価値を常に高め、その価値をさらに高める人脈を作っていく・・・。
そういう生き方を徳富猪一郎に教わり、新島襄に教わっていきましょう。
ミルクセーキの作り方を知っておくのも、ひとつの手なんでしょうね。やっぱり。
今週の喜び
やっぱり、美味しいモノって、人の心を動かすんだね。
ミルクセーキひとつ取ってもそうですねー。
しかし、ここまで来ると、会津藩が京都守護職を拝命し、京都でがんばったのは、何の為だったんだろう?と素直に思ったりしますねー。
角場で、日々、鍛錬したのは、何のためだったのかと・・・。
もっとも、八重さんに教えられたのは、常に全身全霊で、事に当たり、常に前進していく・・・その気概が大事・・・そういうことかと思っています。
そして、時代に敏感であること・・・。
良いことは、良い・・・八重さんは、その思想に辿り着いていました。
僕らも、自分の為に良いと思うことをドンドン人生に取り入れていきましょう。
そうやって自分のライフスタイルを作り上げていけば・・・良いことのたくさん集まる人生になる・・・そういうことになるんだろうと思いますねー。
まあ、良いことを見つけながら、これからも歩いていくだけです。
大河ドラマはそれを後押ししてくれる。
「八重の桜」が終わっても、来年の大河ドラマがある。
僕らは大河ドラマからたくさん良いことを学んでいけばいいんです。
人生の師たる存在こそ、大河ドラマ・・・それは否めないかもしれないなあ・・・。
さ、「八重の桜」もラスト・スパートに入ってきました。
僕らも、きばりまひょ。
さ、今日も「八重の桜」楽しみましょう!
ではでは。
今週のあれ、どうなん?
捨松さん・・・すっかりアメリカナイズされちゃって・・・英語しかしゃべってなかったよー。
「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」
●時代は移り変わる!もはや国主体の政治でなくなりつつある!民間も政治に参加し、新たな校風の自由な私立大学も必要!新島襄にはそれが出来る!
えー、大河ドラマ「八重の桜」レビュー 乙女通信 第四十二回「襄と行く会津」です。よろしくお願いします。
えー、大河ドラマも、この季節になってくると、「今まで、こんなことあったよね?」的な回も出てくるわけで、今回は、そういう回でしたねー。
まあ、2月に会津藩は京都に出てきて、5月に鳥羽・伏見の戦いをやって、7月が会津戦争、8月から京都編と、慌ただしく過ぎてきた「八重の桜」でもありますが、
なんだか、あっという間でしたかねー。
今回は会津への旅ということで、冒頭の「板垣死すとも、自由は死せず」のシーン以外は、主に回想・・・これまでの歩みを振り返る・・・この時期の大河ドラマには、
よくある回となりましたねー。もう、10月も終りですから・・・あと一ヶ月ちょっとで「八重の桜」も終了ですからね。
しかし、今回も泣かされました。というか、みねが出てくるとだいたい泣かされるんですよね。
というか、久々のうらさん登場で・・・みねも結婚しちゃったからねー。あのみねが・・・うらさんと一緒に居た頃が懐かしい・・・そんな気持ちになりますねー。
「それでも、わたしが決めたんだから」
と、みねと共に生活するのを拒否したうらさん・・・まあ、うらさんも会津の女性ということでしょう。一度決めたら、違えない・・・そういう強い会津女性、
ということっだったんでしょうねー。
でも、やっぱり嫁いだみねとうらさんの再会は、絶対にやらなきゃいけないストーリーでしたね。
まあ、うらさんがまた美しいもんだから、強い決意とか見せると・・・強さが引き立っていいんだよねー。
うん。会津おんなは強い・・・それを見せてくれましたねー。
つーか、みねにまた、泣かされました。もう、最近、「八重の桜」に泣かされてばっかりです。
しかし・・・会津のあの場所が、角場だった場所だと知れた時・・・やはり嬉しかったですね。いろいろな思い出が残る角場・・・1月から見てきて、
いろいろな思い出が残っていますねー。
いろいろな事がありました。
「おまえはサムライの娘だ。だから、一度やりだしたら、逃げることは出来ねーぞ!」
的に覚馬に言われた八重さん・・・あのシーン懐かしいですねー。
まだ、1月だったもんな。もう、あれから9ヶ月余りが経ったんですね。今年も・・・。
ま、リアルライフでも、いろいろなことがありましたけどね・・・。
しかし、あの時、輝いていた、会津の人たちは消えてしまった・・・。
今回、板垣退助が言っていましたね。
「会津はよく戦った。だけれども、庶民はそれをただ傍観するだけだった」
「これからの国防はそれではいけん」
確かに、そうですね。国民皆兵の思想は、このあたりから出てくるんでしょうね。
板垣退助が襲撃された時、よく龍馬が襲撃された時に出てくるセリフ、
「ほたえなあ」
と懐かしい土佐弁を聞きましたけれど・・・ほんと懐かしく「龍馬伝」を思い出しますね。
やっぱ、土佐弁聞くと、龍馬だよな・・・。ま、それは置いておいて。
しかし、官立大学とは違う、自由な校風の私立大学の必要性・・・まあ、同志社大学の設立につながっていくんですけど、ミルクセーキって、あの頃からあったんですねー。
まあ、確かに美味しい飲み物ですけどねー。
しかし、会津・・・いろいろな事がありましたねー。
なんだか、懐かしい感じです。
尚之助様も・・・尚之助様の話をした時、八重さんは、
「すまねえなし」
と言いましたが・・・この気遣いが出来ない女性って多いんですよね。
女性は嫉妬する動物ですが、男性も嫉妬するんですよね。普通に。
だから、女性が昔の恋とか語ったりすると普通にムカツクもんですが、その事に思いが至らない女性っているんですよね。
自分の思いだけを優先して、
「あー、この曲聞くと思い出すわ。あの頃、恋していたっけ・・・キスしたなあ、車の中で」
なーんてドライブしている横で恋人が話したりすると、完全にムカつきますからね。男性と言えども。
そういうことに気の回らない女性はちょっとダメですね。僕的には。
女性だって嫉妬するじゃないですか。だから、過去の恋愛話なんて、絶対話しちゃいけない。今付き合っている女性には、ね。
だいたい、女性は、今付き合っている男性の過去の恋愛話なんて、興味ありませんから。
女性は今しか、興味がないんです。たった今の恋愛にしか・・・。
目の前にいる、愛しい男性の今にしか、興味はない・・・それが女性です。
だから、今目の前にいる女性を笑顔にしてあげれば・・・相手にとって嬉しい事を言ってあげればいいんです。それが男性のやるべき事なんです。
で、話を戻しますが、八重さん一行は、会津でいろいろな事を思い出し、昔の使用人にも再会し、うらさんとも再会した・・・まあ、目的を果たした、ということですが、
会津の日々は何だったんだろう?という思いがありますね。
京都守護職の日々って何だったんだろうって思いが強いです。
結局、会津戦争につながって・・・そして会津は消えた。
消えてしまった・・・跡形もなく・・・その思いが強いですねー。
「八重の桜」的には、だいたいのストーリーが終りに近づいた感じですかねー。
覚馬は京都の再興も成し遂げたし、あとは同志社大学の設立ですかね・・・。
熊本バンドの面々も結婚もして、身も固まっちゃって・・・徳富猪一郎は塾を開いている状況・・・まあ、のちの徳富蘇峰ですからね。
新島襄の紹介状を持って、板垣退助に徳富猪一郎が会いにいくのはまあ、歴史の話ですから、
「ああ、そういう感じで、表現しているのねー」
という感じで見ていました。
まあ、結局、能力のある人というのは、その能力を認める人に認められて、立身出世していくんだなあ、とそういう風景に見えましたね。
新島襄から紹介状を貰う徳富猪一郎の風景は・・・。
しかし、八重に対する「相変わらず、ぬえたい・・・」という言葉はある意味、もう褒め言葉になっていますねー。
というか、物語もだいぶ落ち着いてきて・・・捨松さんまで、帰ってきてしまって・・・日本語忘れちゃっているみたいでしたけど・・・。
なんだか、鹿鳴館とか、やるみたいですねー。
つーか、大山巌と八重さん・・・腕相撲すか?
いや、それはいくらなんでも・・・なんだか、話がどこへ行くのかって感じになってきましたねー。
まあ、少し歴史的な話をしましょうか。
いわゆる、自由民権運動がこの時期、吹き荒れるわけですけど、前回も話しましたが、国による政治支配から、民間も政治に参加出来る世の中へ・・・、
そういう流れの中に今いるわけですよ。
新島襄が目指している私立大学設立もその流れの中にある。
国は、人間を鋳型に入れて、作るようなやり方をして、官僚を作り上げているが、私立の大学を作り、自由な校風の元に学生を養成するべき、
・・・それが新島襄の持論なわけです。
その原点になるのが、キリスト教による、ある意味、癒やしを備えた学問・・・そういう捉え方に見えますね。
まあ、キリスト教の是非はまあ、横に置くとして、この時期、社会主義思想まで日本に入ってきていますから、新たな知恵の爆発・・・それを経験しているのが、
この時代の日本人・・・そういうことなんだと思いますね。
いつの時代も知的好奇心旺盛な日本人・・・そうでなければいけないよ。いつの時代も。日本人であるのなら・・・。
そして、その申し子になっているのが、徳富猪一郎なわけで、彼はジャーナリストとして、あまたの情報に触れながらオピニオンリーダーになっていくんですね。
結局、人間というのは、どういう情報に触れ、それをどう活用し、自分の価値を極大化していき、社会において、その存在価値を極大化していく・・・そうあるべき存在。
そうでなければいけないんだと思いますね。
自身の存在価値を極大化していけば、その価値の状況に応じて、入ってくる金銭の多寡も変わってくる・・・そういうことなんだとこの大河ドラマは教えてくれます。
例えば、新島襄の言うこともドンドン変わってきているんですよね。
私立大学を設置する・・・それって普通に考えれば大変な事ですけど、今の新島襄なら、出来ることとして見ている。
それだけの人間関係も出来てきているし、彼を応援してくれる人脈も作った。
だからこそ、今度は、「会津に教会を作ります」・・・なんてことも、さらりと言えることになる。
結局、人間は、その人間の独自な価値をどこまで極大化出来るか・・・それに伴い人脈が出来、応援してくれる人脈も出来ていき、
自身のいろいろな活動につながっていく・・・そういうことなんだろうなと思いますね。
民間の人間が政治に参加出来る・・・それが見えてきた、この自由民権運動の世は、ある意味、日本が大きく変わる時期なんでしょうね。
民間が力をつけてくる・・・板垣退助を筆頭に・・・伊藤博文達、政府はそれをはらはらとした気持ちで見ている。
やっと日本は内乱の無い・・・内乱をしなくても、政治が進んでいく国になった・・・そういう時代になっているんですね。
そういう意味では、自由民権運動の世というのは、民間が、国から権利を奪っていく過程なんだなと思いますね。
その新たな自由の時代の中に、徳富猪一郎がのし上がる素地があった・・・そういうことなんでしょうね。
そして、改めて会津に赴き・・・時代は変わったことを理解した八重さんだった・・・そういう表現だったのかもしれませんね。
ま、半分は過去の思い出し回だったので・・・あまり書くことが無いですが、まあ、みねとうらさんが再会出来てよかったなーって感じですか。
ええ、涙しちゃいましたね。普通に。
そんな感じかな。いやあ、今回はあまり書くことがありません。はい。
●覚馬の蹉跌!うらさんとの思い出が今蘇る!しかし、覚馬は京都を動かず、時栄さんの気持ちを考えた!でも、時栄さんの冷たい目が!危うし、覚馬?!
というわけで、今回、会津に行かなかった覚馬なわけですが、八重さんからの手紙でうらさんとみねが出会えた話を聞き、
・・・その様子を冷たい目をしながら、盗み聞く時栄さん・・・。
波乱の予感でしょうか・・・。
まあ、もちろん、覚馬にとっても、うらさんの存在は蹉跌なんですよね。
だからこそ、時栄さんの為にも、会津に行かなかった覚馬・・・でも、女性というのは、それがわかっていても、覚馬の真心に気づきながら、
それでも、多いに嫉妬しちゃう動物なんです。
時栄さんも、今頃になって・・・やはり嫉妬の心が動く・・・みねが家を離れたことも大きいんじゃないでしょうか?
今までは、みねの為にも、そういう心は出さないようにしていた時栄さんでしたけれど、みねが離れたことで・・・ある意味、時栄さんは自由になった。
自身と覚馬さんとの子・・・久栄さんも近くにいるわけですから・・・何の遠慮もなく、自身の気持ちを覚馬にぶつけられる立場になったんですね。時栄さんは。
嫉妬心・・・こればっかりはどうしようもない、やっかいな思いです。
だって、本能そのものの気持ちですからね。
女性は嫉妬心に身を焦がします・・・好きな男の事だからこそ、余計、そういう素直な気持ちが湧いてきてしまう。
それを知っているから、覚馬も動かなかった・・・それを知っている時栄さんのはずですが、それでも、嫉妬心は湧いてくる・・・やっかいな気持ちですねー。
ま、覚馬と時栄さんの間に波風が吹かなければいいですがねー。
人間仕方の無いことって、あるんですねー。
まあ、でも、覚馬の物語も、随分、終わってきた・・・そんな感じがしますねー。
八重と新島襄の物語はまだまだ、続きそうですけど・・・時栄さんと覚馬の仲違いが主な話になったりしないだろうなあ。
ま、それはおいおいわかる話でしょう。
もう、11月も目前ですか・・・「八重の桜」も随分と終わってきましたねー。
いつの間にか、僕が大河ドラマに求めるモノも変わってしまった。
最近はさらりと見れるようになってしまいました。大河ドラマ。
まあ、朝ドラのレビューすら、毎日やってる始末ですから・・・まあ、でも、勉強になります。
大河ドラマレビューでは、歴史のレビューという側面も大事にするようにしてきました。
僕らが今、普通に手にしている、政治に参加出来る権利・・・それはこの時代から、民衆が国に対して働きかけ、獲得してきた権利だったんですね。
そこには先人たちの多大な犠牲や苦労があった。
そういう先人の苦労を僕らが知る機会こそ、大河ドラマ視聴の時間なんですね。
時代は常に動いています。
この時代が常に動いていたように、現代も常に動いている。
僕らも徳富猪一郎のように、時代に敏感に動いていく必要があります。
そして、ガンガン成長して、大きな存在になっていきましょう。
情報を受取り、取捨選択し、自分の価値を常に高め、その価値をさらに高める人脈を作っていく・・・。
そういう生き方を徳富猪一郎に教わり、新島襄に教わっていきましょう。
ミルクセーキの作り方を知っておくのも、ひとつの手なんでしょうね。やっぱり。
今週の喜び
やっぱり、美味しいモノって、人の心を動かすんだね。
ミルクセーキひとつ取ってもそうですねー。
しかし、ここまで来ると、会津藩が京都守護職を拝命し、京都でがんばったのは、何の為だったんだろう?と素直に思ったりしますねー。
角場で、日々、鍛錬したのは、何のためだったのかと・・・。
もっとも、八重さんに教えられたのは、常に全身全霊で、事に当たり、常に前進していく・・・その気概が大事・・・そういうことかと思っています。
そして、時代に敏感であること・・・。
良いことは、良い・・・八重さんは、その思想に辿り着いていました。
僕らも、自分の為に良いと思うことをドンドン人生に取り入れていきましょう。
そうやって自分のライフスタイルを作り上げていけば・・・良いことのたくさん集まる人生になる・・・そういうことになるんだろうと思いますねー。
まあ、良いことを見つけながら、これからも歩いていくだけです。
大河ドラマはそれを後押ししてくれる。
「八重の桜」が終わっても、来年の大河ドラマがある。
僕らは大河ドラマからたくさん良いことを学んでいけばいいんです。
人生の師たる存在こそ、大河ドラマ・・・それは否めないかもしれないなあ・・・。
さ、「八重の桜」もラスト・スパートに入ってきました。
僕らも、きばりまひょ。
さ、今日も「八重の桜」楽しみましょう!
ではでは。
今週のあれ、どうなん?
捨松さん・・・すっかりアメリカナイズされちゃって・・・英語しかしゃべってなかったよー。