「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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第十二回 朝ドラ通信週末版 12月121日 「ふくが来た」

2013年12月28日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
午後5時です。

僕的には、晩酌開始時間でーす!


さて、今日は朝ドラ的には年内最終回・・・ここは一番盛り上げどころになるんですね。

ま、そんな朝ドラレビュー、開始していきましょう!


まずは「ちりとてちん」・・・「行ったら、あんたも破門や」という言葉にも負けず、草若師匠の元を飛び出した若狭さんは、

もう、草々さんまっしぐらな気持ちになっちゃったのでした。



しかし、まあ、何日のその若狭さんからは連絡が無くやきもきする草原さん、小草若さん、四草さんなんですね。


草若師匠の元には尊建さんの師匠・・・この間はえらく怒っていた土佐屋尊徳さんがやってきて、

「尊建の奴、顔の腫れも引いたし、別の日になったけど、2人会やらしてもらうことになってなあ。この間はえろう怒ってしまって堪忍やで」

という話になっているんですね。

「いやあ、そら、自分とこの弟子、殴られたら師匠としは、許せないのが道理・・・とにかく、そうなったんなら、よかったですわ」

という草若師匠なんですね。

「あんたんとこも、自分の弟子・・・もうええんちゃうんか?」

と、暗に草々さんの破門の見直しを言う尊徳さんなんですね。

「いや、破門というのは、そう簡単に解くわけには・・・」

とそこは厳しい草若師匠なわけです。


草原さんと四草さんは、若狭さんからの連絡が無くて困っています。

と、そこへ上方落語三国志・・・草々さん以外の・・・土佐屋尊建さん、万葉亭柳眉さんが草若師匠を訪ねてくるわけです。

「草々の破門を解いてもらえませんか?」

と直々に頼み込んでくるんですね。

で、尊建さんを横において、冷静な大人な柳眉さんは、

「だいたいこいつにも殴られる理由があるんです。なにしろ、こいつまだ、中身は子供でっさかい・・・」

「元々、3年前の一門会すっぽかしの件で草々と競えなくなったこいつは草若師匠を逆恨みしてて・・・それで草々、小草若の前で師匠をボロカスに言いまして」

「そりゃ、殴られるの当たり前ですわ」

と、説明してくれるんですね。

「我々からもお頼みします。草々の破門、解いてやってください・・・」

と、尊建さん、柳眉さんが言っても、

「いや、しかし、あいつ人を殴ったんやし・・・」

と、言葉を出した草若師匠を見た、四草さん、おもむろに立ち上がると、草原さんを殴り、

「僕も人を殴りました。破門にしてください」

と、やるんですね。

と、それを聞いた草原さん・・・すっくと立ち上がるとその四草さんを殴り、

「わたしも破門にしてください」

と、やる始末。

「なんや、この一門は!」

と、尊建さんは言葉にします。


・・・とそこへ若狭さんが登場するんですね。

「お前は破門や、いったやろ!」

と、草若師匠は言うんですが・・・草々さんも帰ってくるんですね。



草々さんは、工事現場で働いていたんですが、大事な座布団・・・父親の形見でもあるし、ある意味、草若師匠の形見でもある・・・を犬に食いちぎられてしまうんですね。

で、昔草若師匠が高座に使っていた・・・その屋敷は今は誰のものでもなく・・・そこに寝泊まりしている草々さんは、ある日、雨に降られ、

風邪をひいて寝込んでしまうわけです。そこに現れたのが若狭さん。


草々さんは夢にうなされていて、

「小草若はほんまの子やから、勘当されることはないけど、僕は本当の子供じゃないから、勘当されたら、どこにも行くとこないんや」

「いやや、もう一人になりたない・・・一人になりたないんや」

と若狭さんの膝の上で言葉にしてしまうんですね。

その言葉を聞いた若狭さん・・・たまらなくなって、

「大丈夫、わたしがついているから、絶対にもう、一人にしないから」

と力強く言うんですね。


次の日・・・目を覚ました草々さんは、暖かい毛布にくるまれている自分に気づき、驚くわけです。

そこに、ホットミルクを持ってきてくれる若狭さん・・・「おまえなんでここにいるんや」とびっくりする草々さんですが、

いろいろ事情を聞き、理解するんですね。


そして、

「帰りましょう。草若師匠のところに。大丈夫です。大丈夫ですから」

と、若狭さんに説得された草々さんは、帰ってくるんですね。


草若師匠は思わず草々さんを殴り、

「親の気持ちをもっと考えんか!」

と言ったあと・・・、

「俺もお前を殴ってしまった・・・・しゃあない・・・よう帰ってきた草々!」

という言葉になり、皆に笑顔が戻るのでした。


若狭さんは涙しながら、笑顔になっていました。


・・・で、ちょん!でした。


まあ、一気に草々さんに近づいた若狭さんですが、女性は強いですね。朝から泣かして頂きました。


さ、次、「ごちそうさん」行きましょう。


街を走り、「師匠」の家に来た悠太郎さんが、戸を開けると、旅支度をしたおとうさんが・・・。

「また、逃げる気ですか。子供が生まれるんです。僕は父親になる。あんたは、お爺ちゃんとして、傍で見てたらええですやん!」

と悠太郎さんは、おとうさんを許しに来たんですね。


「ほんまか!」


と言葉にしたおとうさんは、一旦中に入り、身支度すると、西門家は一心不乱になって走っていきます。

二人が西門家につくと同時に赤ん坊の泣き声が聞こえ・・・赤ちゃんが無事に誕生したことを教えてくれます。


悠太郎さんは、一気に二階へ駆け上がり、「ええですか?」の言葉を出し、開けてもらって父子の対面です。


「女の子ですよ」


とイクさんに言われ、誇らしげなめいちゃんと赤ちゃんに対面する悠太郎さん・・・喜びに溢れていましたね。


おとうさんは、大五さんと源ちゃんに、

「寒いんだから、早く入りなよ」

と言われながら、ゆっくり敷居をまたぎ・・・西門家の皆に笑顔が戻るのでした。


「西門の年越しそば作るの手伝って」


とおかあさんに言われたおとうさんは、

「せ、せやな」

と、年越しそば作りを手伝うのでした。


その後、西門、卯野の両家が揃って年越しそばを食べます。桜子さんムロイさんに源ちゃんまでいて・・・楽しそうな時間でしたね。


で、楽しい談笑も終り・・・二階へ顔を出すと、年越しそばを食べ終わっためいちゃんと悠太郎さんと赤ちゃんはもう眠ってる・・・。


おとうさんは、

「孫の顔もみられたし・・・そろそろ・・・」

と言い出すのをおかあさんが、

「明日の朝、西門のお雑煮を作ってからにしたら」

と言われ、

「せ、せやな」

と助け舟を出されていましたねー。


で、次の日の朝・・・西門、卯野両家が揃う中、めいちゃんの考えたおせち料理が披露されます。

それぞれ、皆がしあわせになるような願いを具現したおせち料理でしたが、

悠太郎さんには、ふぐを卵で巻いた料理・・・。

「ふくは大阪じゃあ、ご法度のはず・・・」

という声もあがるなか、大阪とは別の場所で買い求めた旨の話をするめいちゃん。

「料理はひとを傷つけないって悠太郎さんは、言ったけど、ふぐやきのこは別なんです」

「ふぐにしろ、きのこにしろ、先人の人たちがいろいろ食べ方を考えてくれたから、今、安全に食べられるの」

「つまり、わたしたちも未来の人の味の下ごしらえをしていると考えればいいのかな・・・って思って、悠太郎さんにはがんばってほしいから」

「だから、ふくなの」

ということを伝えるんですね。


暗に小学校建設がんばって・・・怖がらないで・・・という願いを託しためいちゃんなんですね。


「ってことはよ。この子のなまえ、ふくってのはどうだ?皆にふくを与える、そういう子にしろよ」


と大五おとうちゃんが言葉にし、


「んじゃあ、め以子さんにあやかって、ひらがなの「ふ」に久しいの「久」で、「ふ久」にしましょうか」


とお父さんも言葉にして・・・それが赤ちゃんの名前になるのでした。


悠太郎さんもめいちゃんも否やはなく・・・元旦の西門家は、明るい笑顔に包まれるのでした。


・・・で、ちょんでしたね。



いやあ、おとうさん、西門の家に戻れて、よかったですね。ちょっと朝から感動しちゃいました。気分アゲアゲですねー。


いやあ、来年になると、ふ久ちゃん、大きくなってたし、いろいろ変わるのかな。


つーか、希子ちゃんも、あの希子ちゃんキャスト変わるのかな?


というか、源ちゃんを気にいってる希子ちゃんが描かれてきたから・・・来年になったら、夫婦になってたり?



まあ、来年も楽しそうですね。



さてさて、朝ドラ通信も本年はこれが最後。

まあ、なんだかんだ、3ヶ月書いてきましたけど、なんとか休まず続けることが出来ました。

これも、読んで頂いたみなさんのおかげです。

ありがとうございました。


まあ、僕的にも勉強になりましたし、楽しんでもこれました。

皆さんのおかげです。ありがとうございました。


また、来年も朝ドラ楽しんでいきましょう。


というわけで、皆さん、朝ドラ的には、よいお年を。


ではでは。

12月28日 僕的太宰治論!(夜の日本学パイロット版)

2013年12月28日 | 夜の日本学
いうわけで、本日は、パイロット版的に、「夜の日本学」のお試し版をアップしたいと思います。

本番は1月6日から、平日は毎日、「夜の日本学」カテゴリーにて、記事アップしていきたいと思います。


ま、先人達の一語・・・ここから、いろいろ考えていこう・・・そういう話になりますね。


じゃ、今日も楽しく、行ってみましょうか。ゴーゴー!


今日の題材は、

太宰治・・・「サヨナラ」ダケガジンセイダ」。

という言葉になりますね。


太宰治さんの文学とは・・・「生まれてすみません」という言葉に象徴されるように、「自分サゲ文学」なんですよ。


これって、要は読者は、自分アゲが自動的に出来ちゃうので、読んでて気持ちいいんですよ。


だから、彼の文学の読者は、まだ、自分に自信がない若年層・・・10代から20代を中心に形成される結果を生むわけです。


まあ、10代や20代ってのは、経験が無いから、まあ、自分に自信が無いことおびただしい・・・ま、それは当たり前なわけですよ。


目の前の・・・しかも大人の男性が「生まれてすみません」と言ったら・・・特に日本人の男性であれば、いや、女性はもっとか・・・、


「いや、そんなこと言わないでいいから・・・大丈夫、自分、いろいろ・・・これからのこととか・・・」


なんて男性は思っちゃうし、女性だったら、目がハートマークになって、つい、元気づけてあげたくなります。


太宰治氏は、津軽の資産家の生まれで・・・幼い頃から、女中たちの性の慰み者だったりした経験があるんですね。


だから、どうやったら、自分が相手のこころに取り込んでもらえるかをシビアに知っていたわけです。


女性の気持ちを取り込むやり方は大きく分けて2種類あります。


一番効果があるのは・・・下手に出ること・・・女性の「母性本能」を攻撃するやり方です。


女性を落とす恋愛戦略としては、基本中の基本のやり方になりますね。


「生まれてすみません」・・・これ最強の攻撃兵器ですよ。


女性は弱年層から、大人の女性まで、この最終兵器には、一発で、メロメロです。


つまり、文学者ってのは、弱年層から、大人まで、男性も女性もトロカしつくす言葉の攻撃兵器を繰り出せる強力な「コミニュケーション能力」を持った人々、


そう規定することが出来るんですね。


彼は、資産家の息子として、生まれたことがコンプレックスになっていたそうです。というか、そういう資産家の息子でありながら、


「生まれてすみません」


と言える男性を・・・女性は一発でこころ持って行かれちゃうでしょう。


つまり、彼は、そのストーリーのすごさを自覚していたんですよ。


彼の文学を見てみると、


「どうやったら、女性を落とせるか?」


という人生の大テーマに取り組み、その成果を上げていった軌跡を読み取ることが出来ます。


地方の大富豪の息子にして、幼い頃から性的に弄ばれ、早熟だった少年は、女性を自分の思うように動かすには、


その心に取り入り、下から出て、甘えることが最も効果的だと知っていたんです。


相手の女性のこころに甘える・・・母親に対するように・・・そうすると、女性は自分をちやほやしてくるし、


自分の事など顧みずに、全力で自分にいいこと・・・・まあ、エッチなことも含めて、やってくれることを幼い頃から熟知していた・・・それが太宰治の本質でしょう。


地方の資産家の息子なのに「生まれてすみません」と言う女性や男性を蕩かす最終兵器な言葉を駆使する太宰治は、確信犯だったと言えるでしょうね。


未だに彼のファンは多い。毎年彼の死を悼む「桜桃忌」には全国からファンが集まりますね。


死してなお、多くのファンに愛されるのは、作家冥利に尽きるところだと思います。


さて、この事実から考えると、


「じゃあ、文学って、結局なんなの?」


という言葉に行き着くわけですけど、要は、


「どうやったら、好きな、美しい若い女、あるいは、美しい大人の女性をたらしこめるのか?その方法論」


と、対男性的には言えるし、


「どういう男性が素敵な男性なのか、自分が恋をして、自分をかけるべき男性とは、どういう男性なのか?その具体的条件」


を、示したのが、文学と・・・対女性的には、言える・・・そうなりますね。


「日本人はストーリー好きである」


という結論が僕の中には、あります。


じゃあ、それはどうしてか?


「なぜなら、日本人は毎秒、「しあわせになる為の知恵」を欲しており、それを勉強して、自分のライフスタイルにいかしたいと毎秒考えていて、実行しているから」


と言えますね。これがすべての日本人の行動原理であり、すべての日本人の根本的な欲求なんです。



太宰治は、「無頼派」と呼ばれました。



まあ、有り体に言えば、たくさんの美人な女性からモテたし、モラルなんかそっちのけで、何人もの女を孕ませた・・・つまり、生でセックスを受け入れる女性が、


跡を絶たなかったわけですよ。


日本人はそういう太宰治のあり方、にあこがれちゃったわけですよ。


「どうやったら、僕も太宰治のように、「無頼」に生きられるんだろう」


という言葉に集約されますが。男の場合ですよね。


有り体に言えば、好きな美人な若い女性だったり、大人の身持ちの固い美しい既婚の女性を・・・女性の意思で、自分を求める・・・そんな状態になりたい・・・、


そういう男性が、太宰文学のファンの典型例・・・彼らの思っていることは、それ・・・要は、


「未婚の若い女性にも、既婚の身持ちの固い大人の美しい女性にも・・・女性の方の意思で、自分に言い寄る状況をつくりたい・・・だって、エッチしたいもん」


と考えている男性・・・ま、普通の事ですけどね・・・その方法論として、太宰文学は、日本の男性に受け入れられているわけです。


だから、


「「地方の資産家の息子・・・細身で、体脂肪も20%以下・・・秀麗な容貌で、文学者」なのに、「生まれてすみません」と言えちゃう、度胸の良さ」


というストーリーに、男性も女性もやられちゃってる・・・という話なんですよ、これは。


女性は、そういう男性に弱いです。


「素敵だわ・・・偉ぶってもいいのに、一切偉ぶらないどころか、初心なところもあって、細身の秀麗な容貌も素敵。こんな男性に一度でいいから抱かれたい」


と、太宰文学の全女性ファンに思われている・・・それが作家太宰治の本質なんですね。


要は、男性は、素敵な女性に・・・女性の意思でもって抱かれたいと思われたい・・・と日頃から思っているんです。ま、本質的な欲求ですよね。


「エッチしたい」


この欲求は生物なんだから、最大の欲求なんですよ。学校の先生だろうが、警察官だろうが、最高裁判所の長官だろうが、・・・まあ、年齢的にEDかもしれませんが、


それでも、


「エッチしたい」


この感情に支配されているのは、日本の全男性・・・と言っても過言ではない。


女性に至っては、男性の10倍、エッチですからね。


「女性は子宮でモノを考えている」


という言葉がありますが、


「毎日の恋を日々楽しんでいる」


のが、女性ですから・・・素敵な男性に出会いたい・・・その素敵な男性の典型的な具体例を日本人女性に与えてくれるのが太宰文学なんですね。



さて、今回のテーマになっている言葉・・・「サヨナラダケガ人生ダ」という言葉は、じゃあ、どういう状況で出てきたんでしょう?


そういう言葉が出せる前提条件・・・これは、たくさんの女性に愛される状況に自分がいる・・・そういう前提条件が必要ですね。


まあ、そういう前提条件は、太宰治には、揃っているわけですよ。


「地方の資産家の息子にして、文学者。女性にどう言えば、その女性が自分にときめくか・・・その言葉はすべて抑えている。外見的にも秀麗な容貌」

「そして、時代を先取りしている流行作家にして「無頼派」」


この条件であれば、その男性に一度は抱かれてみたいと思う女性は山ほど、いるはずですからね。


つまり、いろいろな女性が自らの意思で、太宰治の前に現れ・・・抱かれることを望む状況になっている・・・ということですね。


でも、文学者というのは、強烈な個性の持ち主ですから・・・要は女性の品定めに厳しいということになる。


品定めに厳しい男性の条件に、あまたの女性に女性の方から愛される・・・そういう前提条件が必要になりますが、太宰治はその状況に陥っていた、

と言えるわけですねー。


だから、こそ・・・今最も好きになれる、夢中になれる女性というのが、現れてくる・・・という状況にいたのが、この言葉を吐いた太宰治の状況です。


あまたの女を抱き、孕ませ・・・それでも、その行為が自分の文学者としての財産になると考えていた太宰は、


要は、「文学者」なんてかっちょよく言ってますが、速い話、「文学者、文士」なんてのは、本質を示した言葉じゃありません。


「男性や女性の心をとろかせ、自分の意のままに動かす、策士にして、「性衝動」の本能のままに生き、エッチの為に生きる、セックスマシーン」


という評価が概ね妥当だと僕は思いますね。


いい仕事ですよ。女性からは言い寄られるし、エッチしても孕ましても、それが仕事の財産になるんですから・・・。


つーか、まさにその道をガンガンにフルスロットルで走っているのが、僕の状況ですけどね。だから、わかるんですよ。太宰治さんの心情が・・・ひしひしと・・・。


だから、

「サヨナラダケガ人生ダ」

と言い切れる・・・あとからあとから、いい女が言い寄ってくるからこそ、言える言葉だったんですね。


言葉というのは、おもしろいもので、その人の状況により、理解も変わるわけです。


例えば、僕は10代の頃・・・全然モテませんでしたけど、その頃、この言葉について、考えていたのは、


「結局、出会いはあっても、別れがそこにはついてきちゃうもんなんだな・・・だって、女性は皆、僕の元から海が潮を引くように去って行ってしまったもの・・・」


僕はこんな感慨を持っていました。


小学6年生から、中2まで、モテ期だった僕は、小太りになって、女性が引くという体験をシビアにしていたんですね。


まあでも、大方の男性は、モテ期なんて経験していませんから、


「女性にモテたことなんて、一度もない。女性に注目を浴びた経験なんてないし・・・結局、クラスで一緒になっても、相手にされない。さよならだけが人生なんだな」


と、感じたりもしますし、


要はこの言葉も、


「自分サゲ、相手アゲ言葉」


なんですよ。


「さよならだけが人生だ」


って言うと、なにやら、寂しい人生を送っている人のように思えるじゃないですか?


ところがどっこい、太宰治さんの状況はそういう状況ですから、ある意味、うはうは。


でも、どういう言葉が読者に受けるかを知っていた太宰治氏は、


「「自分サゲ、相手アゲ言葉」を使えば、日本の全女性、全男性をファンに出来る」


という絶対の事実に行き着いていたので、その知恵を使って、言葉を作っていったんですねー。


ま、この、


「自分サゲ、相手アゲ言葉」


って、要はモテない大人の男性がよく使いたがるんですよ。新聞記者とか、弁護士みたいに、ダサいおっさんの典型職業の人間が、まー、よく使う。


こういう人って、「知識者」の典型で・・・要は、


「僕は頭がいいのに、なぜ女性にモテないんだ?」


というアホみたいな考えを持っている「究極アホ脳」の人間達なんですね。


だいたい、「知識」なんてプレゼンしたって、女性アピールには一切なりませんからね。


で、そういう男性は、しばしば、この、


「自分サゲ、相手アゲ言葉」


を使います。


「俺もうだめだ。俺って駄目でさー。今回の仕事も駄目だったし・・・」


なんて愚痴る・・・職場の部下の女性は、こう言われたら、日本のお約束として、


「そんなことないですよ。今回はたまたま、運が悪かっただけです。次はうまくいきますし」


と、日本のお約束「おもてなしの心」で言ってくれます。


でも、これ・・・職場の上司だから、仕方なく言っているんです。


その女性の内心は、


「めんどくせー、くそオヤジだなー」


くらいにしか思っていないのが実情だったりするんですね。



さて・・・女性を落とすやり方は2つある・・・その一つは、下から、「自分サゲ、相手アゲ言葉」を駆使して、さらに背景として


「地方の資産家の息子にして、秀麗な容貌を持つ流行作家」


という条件を作り出せば、たくさんの女性から、愛される・・・ということを今回勉強しました。


方法論として、もうひとつのやり方がありますね。



「人生において、毎秒真摯に生き、人生に真正面から向き合い、失敗を何度も繰り返しながら、人生という高い山をドンドン登って行くことが出来る人間」

「最終的には、ネガティブな状況をボジティブに変える方法論を多数持ち、自分の仕事に毎秒満足しながら、人生への自信を毎秒深めていく」

「そのことによって、結果、人間性が超デカくなり、人間的にも強くなり、毎秒の自己の価値追求者として、この世を歩いて行く人間」


になうと・・・大人の女性から、子供の女性まで、その人間性の強さと人間性のデカさに女性の方から、恋に落ちてきます。

そういう男性は秀麗な容貌を持ち、素敵な雰囲気をまとい、めぢからが超強くなり、いつも笑顔で、春風の中を歩いているような風情を兼ね備えます。


女性は誰でも甘えたい本能を持っていますから・・・そこに到達すれば、女性の方から、恋をしていく状況を現出出来るんですね。



こっちのやり方の方が確実です。女性は必ず落ちます。なぜなら、女性は比較する動物だからです。

なにしろ、これを現出出来る男性は、この日本においては、「独立者」に限られるからです。


「学級委員脳」である、「俺偉い病」の人間も、「サラリーマン脳」である「逃げ込み者」も、この能力は備えられませんから。


「独立者」のみが、上記の状況を現出出来るので・・・比較的少数になってしまうんですね。


だから、女性を恋に落とす方法は、この2つなんです。この2つを上手く組み合わせ毎日を送るようにすれば、男性は、モテモテになること間違いなし。
、、

女性は、「独立者」を探して、その男性に恋をすれば、いいということです。


なぜなら、太宰治も、「独立者」になれたからこそ、たくさんの女性に愛されたのですから。


だから、多くの男性も女性も太宰治を愛したんですね。


それが結論ですかねー。


ま、「文学」の正体とは、要は「恋愛マニュアル本」だったんですねー。


なんか、いろいろわかっちゃった、僕的「太宰治」論でした。


おもしろいよね。この世は。



ではでは。