おはようございます!
いやあ、スペイン、ドイツに勝ちましたね!
普通に考えたら、ドイツが勝ちそうでしたが、ミューラーが出れなかったのが、痛手でしたね!
これで、スペインVSオランダの決勝になりました!
いやあ、予想通りで、これで、オランダが勝ってくれると、うれしいんですけどね。
かつての、宗主国VS独立国の因縁の戦いですから、
僕は、素直に、オランダを応援します!
いやあ、気持ちが、盛り上がりますね!
さて、今日は木曜日!ということで、1Q84論考の日、ということで、
村上春樹さんの世界を構成しているものは、何なのか、そこらへん読みといてみよう!
ということで、これが、まるっとできあがると、村上春樹の世界が、だだわかりになる、ということで、
まあ、そこらへんを目的にして、論考をかけているわけですね。
まあ、青豆さんの世界は、完全に、女性のこころを、動かしまくって、気持よくさせる
ジェットコースター的小説なんですけど、この天悟くんの世界は、男性向けなんですよね。
まあ、この世に向かって、大きなことを仕掛けてやろうという要素と、なんとなく謎のある
美少女との物語、というわけなんですけど、どうも、対象とする男性のタイプが、
明らかに僕とは異なりますね。なんとなく、女性を扱うのがへた、というか、奥手なタイプであって、
いじめられたくないから、あまり目立たないようにしているタイプですね。
だから、なんというか、青豆さんの世界は、完全に楽しめるんですけど、
どうも、この天悟くんの世界は、いまいち、あまりおもしろくない・・・感じがします。
というより、ここで、語られる物語にあまり魅力を感じていないのかもしれません。
つまり、この小説を読んでいることで、完全に僕向けでないタイプの人間に向かって
村上さんが、ストーリーを綴っているということが、だだわかりだからなんですね。
まあ、今回のストーリーを読んで、それに気づいてしまったのですが、
まあ、自分がどういうタイプかも、わかってしまう、この小説は、かなり自分にとって、
意味があるとは、思いますね。
まあ、そんなことも、考えながら、ぐびびと、冷たいVittelを飲み干しながら、
ゆるゆると論考をはじめていきましょう!
さて、例によって、編集者小松から、深夜というより、早朝5時に電話がかかり、
天悟くんは、おこされ、ワードプロセッサーを買うことを勧められます。
そして、「空気さなぎ」の書き直し作業に入ることも勧められるわけです。
結局すべて、小松の手によって、進められる話なんですよね。
僕は、どちらかというと、今は、この小松という人物に近いですね。
明らか天悟くんタイプではない。というか、村上さんのエッセイを読んでもった印象として、
この天悟くんは、若い頃の、「村上朝日堂」あたりを書いていた村上さんにそっくりです。
まあ、その当時の村上さんが、10歳年上の人妻と関係していたか、どうかは、わかりませんが、
彼の作品の多くに、年上の人妻と関係する主人公が登場しますが、それは、作品上の演出ととらえましょう。
この作品での、天悟くんのエッチの相手が、年上の人妻であるようにね。
そして、その人妻から、朝、天悟くんの元に電話が、かかってきて、
「体の具合が、おもわしくない」
から、今日のエッチは、とりやめだ、ということになるわけです。まあ、この
「体の具合が、おもわしくない」
という表現を、村上さんは、
「上品で、婉曲な表現だ」
としていますが、でも、普通の女性って、
生理になったら、これくらい言う、というより、直接的表現っていうのは、普通恥ずかしがってしないでしょう。
これを上品というのは、スープをスプーンで飲むことが、上品です、と言っているようなもので、
誰も、スープを皿から直接飲まないでしょう?と疑問を呈されるのと同じ。
つまり、ほんとうの上品というものを知らないから、こういう風に書いちゃうわけなんですよね。
例えば、この場合、本当の上品な女性であれば、生理であるということさえ、匂わせないように、
「子供の授業参観がある」
とか、
「先生の家庭訪問がある」
とか、なんとでも、言えるはずなんですよね。そっちのほうが、匂いを匂わせない分、上品だと思いますけどね。
さて、天悟くんは、クレジットカードで、富士通のワードプロセッサーを買ったそうですが、
1984年当時のワープロって、けっこうデカくて、ひとりで持ち歩けたかなあ。まあ、村上さんに言わせれば、
村上世界の1984年の富士通のワープロは、持ち歩けるくらい小型なの!ということなのでしょうから、
まあ、特にケチはつけません。
それで、天悟くんは、ふかえりの「空気さなぎ」を書き直していくわけです。
まあ、このあたりは、読み味を楽しめばいいだけですから、具体的にいろいろ書いてありますけど、
要は悪いところを削り、いいところを残し、いい表現は残し、わるい表現は、直すということなんですね。
この作業ね。僕、毎日やっていたことが、あるんですよ。経験済み、というか。
もう、4、5年前ですけど、僕は、ごく私的なメーリングリストに、小説を、連載していたことがあるんですね。
まあ、恋愛小説でしたけど、夜、会社から帰ってきて、晩酌すると、その勢いで、小説を書くわけです。
そして、次の日、酔っ払って書いためろめろの、でも、力のある文章を、この天悟くんと同じ様に、いい部分は残して、悪い表現を直し・・・という風に
やっていたんですね。つまり酔いの力と、朝の冷静な頭とをつかって、一本の小説にすると、なかなか、
力のある文章になったりしていたんですね。だから、経験済みの行為なんで、天悟くんの作業に対して、あまり、新鮮味を感じられなかったわけです。
さて、天悟くんは、「空気さなぎ」を直しながら、ある思いにとりつかれます。それは、この文章は、ふかえりの個人的記憶を記録するための文章である、
ということなんですね。つまり、「空気さなぎ」は、ふかえりの経験からできた、ある意味のドキュメントである、ということを村上さんは
いいたいわけです。そうやって、男性読者に、ふかえりに興味を持たせようとしているわけです。
さらに、ふかえりが、誰に向かってこのストーリーを綴ったか、ということに言及し、それは、
「近代文学が原則として、念頭においている「不特定多数の読者」とは、異なったものであるらしい」
として、
「これを読み解ける人間は、特別なんだ」
と、強調しています。そうして、男性読者に、この「空気さなぎ」を読むことに、興味を抱かせているわけです。
いやあ、男性読者向けの施策が、ずんどこ、出てきましたね。まあ、村上さんは、別の項で、「空気さなぎ」を、ユニークなフィクションとしていますが、
それは、わざと逆な表現を用いて、ドキュメントであることを強調している、ということですね。
まあ、そして、いろいろなことが、あって、天悟くんは、その作業を終わらせるわけです。「空気さなぎ」の冒頭部分を直してみた、というわけですね。
すると、もう二時近くで、お昼をとっていないことに天悟くんは、気づくわけです。そして、おなじみのお昼の描写。
天悟くんは、コーヒーと、チーズをのせたビスケット、りんごといったメニューです。このあたり、「村上朝日堂」の頃の村上春樹イメージというわけで、
でも、調べてみると、なんと!「村上朝日堂」の出たのが、1984年の7月なんで、こう、ピッタリくるわけですね。
つまり、村上ファンとしては、あの頃の村上春樹を、天悟くんの物語として、読むことができるわけです。
いやいや、なるほど、そういうわけだったのね。どうりで、「村上朝日堂」的村上氏イメージが感じられたわけだ。
そして、気分転換のために、天悟くんは、年上のガールフレンドとのセックスのことをひとしきり考えちゃうわけです。
もちろん、村上作品、お約束のエロ的表現です。それも、奥手男性読者向けの、年上人妻のエロ要素ですからね。
そして、昼飯が終わると、さらに、チェックのために、書き直した「空気さなぎ」をプリントアウトして、読んでチェックする、というわけです。
このあたり、まあ、確かに、紙に出して、読んでチェックするのが、昔は、当然でしたが、僕は、今は、もうそういうことをやらなくても、
へーきになってしまいました。というより、慣れです。こんなものは。まあ、天悟くんは、プリントアウトしたものは、微妙に印象が違うとか、
言葉の感触が変化するとか、それっぽいことを言っていますが、そんなことは、ありません。単に、紙で出さないと、村上さんが、不安なだけです。
でも、慣れればそんなことは、必要がなくなるんです。もう、思い切り、村上春樹すら、批判ですから、どうなっているんだろうね(笑)。
そして、その作業を終えると、ひとしきり、ふかえりと「空気さなぎ」について、考えてみる天悟くんなのです。
そして、「空気さなぎ」の具体的内容が、語られるわけです。リトルピープルと、盲目のやぎの関係性やら、主人公の十歳の少女が、
どうやら、ふかえり自身の過去であること。盲目のやぎを飼うことが、ふかえりの役目だったのに、殺してしまったことなど、
なんとなく、幻想的で、奥手男性がよろこびそうな話です。奥手男性というのは、少女の失敗話や秘密が好きでしょうからね。
これもまた、奥手男性向けの施策ということになりますね。
そんなことをしていると、例の年上のガールフレンドから、電話が、かかってきます。
そして、子供が、いじめにあっているらしい、ということが、語られます。それについて、天悟くんは体が大きい方だったから、いじめられた経験がないと
感じていること。そして、ガールフレンドは、いじめる側にまわったことがある、ということが、語られます。
つまり、いじめられた経験がないんですよね。そして、そのガールフレンドにこういうセリフを言わせるんです。
「結局のところ、自分が排斥されている少数の側じゃなくて、排斥している多数の側に属していることで、みんな安心できるわけ」
「ああ、あっちにいるのが、自分じゃなくて、よかったって。どんな時代でも、どんな社会でも、基本的に同じことだけど、」
「たくさんの人の側についていると、面倒なこともあまり考えずにすむ」
と、言わせ、天悟くんに、
「少数の側に入ってしまうと、面倒なことばかり考えなくちゃならなくなる」
と言わせ、さらにガールフレンドに、
「でも、そういう環境にいれば、少なくとも自分の頭がつかえるように、なるかもしれない」
と、言わせ、さらに、天悟くんに、
「自分の頭を使って、面倒なことばかり、考えるようになるかもしれない」
と、言わせ、最後に、ガールフレンドに、
「それは、ひとつの問題よね」
としています。まあ、この問題の最後に天悟くんは、
「最終的には、それほどひどいことになることはないよ。クラスにもきっと数人は、自分の頭がまっとうにつかえる子供がいるはずだから」
と言わせています。
つまり、一連の流れを見てみると、これ、日本人の欠点と僕がしている「いじめ」の問題について、村上春樹的見解を述べているわけです。
つまり、
「自分の頭の使える子が少ないから、排斥する多数の側にまわりたがる。それは、アホな行為だ」
「少数の側に入らなければ頭を使う機会は、やってこないし、永遠にアホなままになる」
ということを伝えるための一連の言葉のやりとり、なんですね。
日本人の多くが共感する言葉
「どんな社会でも、どんな時代でも、排斥している多数の側にいたい」
を吐きながら、実は、
「そういう多数の側にいたのでは、馬鹿になる」
と言っているんです。
これは、僕は、思い切り、同感ですね。僕は日本人の欠点は、嫉妬といじめだと思っています。
嫉妬は、社会的役割を果たしたい日本人が、その役割を自分より果たしている人間に対してついついもってしまう、精神の荒廃ですから、
そんなことやっている暇があったら、自分を磨け!と僕は言っています。さらに、いじめなんぞ、やっている人間なぞ、死んだほうがましですからね。
まあ、僕は、子供の頃、ずんどこいじめられましたよ。
もう、他人と一緒なんて大嫌いな人間でしたからね。なぜ、他の人間と同じことをやらなきゃいけないのか、全然わかりませんでしたから。
思ったことは、口にしてしまうし、もちろん、相手への配慮はしますよ。でも、言ったほうが、いいと判断したことは、言ってきました。
それで、何人も友達をなくしましたし、まあ、リアルライフではよくある話です。でも、わかってくれる人間は、しっかり理解してくれる。
僕は、なあなあ、というのが、大っきらいですからね。結局、自分を信じながら、ずんどこ毎日自分磨きをして、価値を高めているわけです。
そうやっていかないと、自分を高められませんからね。おっと、随分脱線しました。元に戻りましょう。
さて、その後、今度は、ふかえりから、電話がかかってくるわけです。
まあ、ふかえりは、20年前くらいの人工知能みたいな、感情を一切排したしゃべり方なんですけど、
これの意味って、考えてみると、感情表現する女性との話しあいが、苦手なひと向けだから、っていうことになるわけです。
つまり、普通の女性とまともに、話せない奥手の男性向けだから、ふかえりは、こういう話し方になるわけです。
そして、美少女なわけです。いやあ、奥手の男性向けの施策が、たくさん、ありましたねえ。
だから、あんまり、おもしろく感じ無いわけねー。まあ、多数側にいたのでは、ただの馬鹿になる、という村上さんの主張には、同感ですけどね。
まあ、そういう意味では、奥手の男性向け施策をいろいろ見ながら、村上さんの主張というのを楽しむのが、この天悟くんストーリー
というところでしょうかね。今日は、そういう結論になりました!
さて、今日も長く書いてしまいました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
次回、金曜日の自由論考で、お会いしましょう!
ではでは。
いやあ、スペイン、ドイツに勝ちましたね!
普通に考えたら、ドイツが勝ちそうでしたが、ミューラーが出れなかったのが、痛手でしたね!
これで、スペインVSオランダの決勝になりました!
いやあ、予想通りで、これで、オランダが勝ってくれると、うれしいんですけどね。
かつての、宗主国VS独立国の因縁の戦いですから、
僕は、素直に、オランダを応援します!
いやあ、気持ちが、盛り上がりますね!
さて、今日は木曜日!ということで、1Q84論考の日、ということで、
村上春樹さんの世界を構成しているものは、何なのか、そこらへん読みといてみよう!
ということで、これが、まるっとできあがると、村上春樹の世界が、だだわかりになる、ということで、
まあ、そこらへんを目的にして、論考をかけているわけですね。
まあ、青豆さんの世界は、完全に、女性のこころを、動かしまくって、気持よくさせる
ジェットコースター的小説なんですけど、この天悟くんの世界は、男性向けなんですよね。
まあ、この世に向かって、大きなことを仕掛けてやろうという要素と、なんとなく謎のある
美少女との物語、というわけなんですけど、どうも、対象とする男性のタイプが、
明らかに僕とは異なりますね。なんとなく、女性を扱うのがへた、というか、奥手なタイプであって、
いじめられたくないから、あまり目立たないようにしているタイプですね。
だから、なんというか、青豆さんの世界は、完全に楽しめるんですけど、
どうも、この天悟くんの世界は、いまいち、あまりおもしろくない・・・感じがします。
というより、ここで、語られる物語にあまり魅力を感じていないのかもしれません。
つまり、この小説を読んでいることで、完全に僕向けでないタイプの人間に向かって
村上さんが、ストーリーを綴っているということが、だだわかりだからなんですね。
まあ、今回のストーリーを読んで、それに気づいてしまったのですが、
まあ、自分がどういうタイプかも、わかってしまう、この小説は、かなり自分にとって、
意味があるとは、思いますね。
まあ、そんなことも、考えながら、ぐびびと、冷たいVittelを飲み干しながら、
ゆるゆると論考をはじめていきましょう!
さて、例によって、編集者小松から、深夜というより、早朝5時に電話がかかり、
天悟くんは、おこされ、ワードプロセッサーを買うことを勧められます。
そして、「空気さなぎ」の書き直し作業に入ることも勧められるわけです。
結局すべて、小松の手によって、進められる話なんですよね。
僕は、どちらかというと、今は、この小松という人物に近いですね。
明らか天悟くんタイプではない。というか、村上さんのエッセイを読んでもった印象として、
この天悟くんは、若い頃の、「村上朝日堂」あたりを書いていた村上さんにそっくりです。
まあ、その当時の村上さんが、10歳年上の人妻と関係していたか、どうかは、わかりませんが、
彼の作品の多くに、年上の人妻と関係する主人公が登場しますが、それは、作品上の演出ととらえましょう。
この作品での、天悟くんのエッチの相手が、年上の人妻であるようにね。
そして、その人妻から、朝、天悟くんの元に電話が、かかってきて、
「体の具合が、おもわしくない」
から、今日のエッチは、とりやめだ、ということになるわけです。まあ、この
「体の具合が、おもわしくない」
という表現を、村上さんは、
「上品で、婉曲な表現だ」
としていますが、でも、普通の女性って、
生理になったら、これくらい言う、というより、直接的表現っていうのは、普通恥ずかしがってしないでしょう。
これを上品というのは、スープをスプーンで飲むことが、上品です、と言っているようなもので、
誰も、スープを皿から直接飲まないでしょう?と疑問を呈されるのと同じ。
つまり、ほんとうの上品というものを知らないから、こういう風に書いちゃうわけなんですよね。
例えば、この場合、本当の上品な女性であれば、生理であるということさえ、匂わせないように、
「子供の授業参観がある」
とか、
「先生の家庭訪問がある」
とか、なんとでも、言えるはずなんですよね。そっちのほうが、匂いを匂わせない分、上品だと思いますけどね。
さて、天悟くんは、クレジットカードで、富士通のワードプロセッサーを買ったそうですが、
1984年当時のワープロって、けっこうデカくて、ひとりで持ち歩けたかなあ。まあ、村上さんに言わせれば、
村上世界の1984年の富士通のワープロは、持ち歩けるくらい小型なの!ということなのでしょうから、
まあ、特にケチはつけません。
それで、天悟くんは、ふかえりの「空気さなぎ」を書き直していくわけです。
まあ、このあたりは、読み味を楽しめばいいだけですから、具体的にいろいろ書いてありますけど、
要は悪いところを削り、いいところを残し、いい表現は残し、わるい表現は、直すということなんですね。
この作業ね。僕、毎日やっていたことが、あるんですよ。経験済み、というか。
もう、4、5年前ですけど、僕は、ごく私的なメーリングリストに、小説を、連載していたことがあるんですね。
まあ、恋愛小説でしたけど、夜、会社から帰ってきて、晩酌すると、その勢いで、小説を書くわけです。
そして、次の日、酔っ払って書いためろめろの、でも、力のある文章を、この天悟くんと同じ様に、いい部分は残して、悪い表現を直し・・・という風に
やっていたんですね。つまり酔いの力と、朝の冷静な頭とをつかって、一本の小説にすると、なかなか、
力のある文章になったりしていたんですね。だから、経験済みの行為なんで、天悟くんの作業に対して、あまり、新鮮味を感じられなかったわけです。
さて、天悟くんは、「空気さなぎ」を直しながら、ある思いにとりつかれます。それは、この文章は、ふかえりの個人的記憶を記録するための文章である、
ということなんですね。つまり、「空気さなぎ」は、ふかえりの経験からできた、ある意味のドキュメントである、ということを村上さんは
いいたいわけです。そうやって、男性読者に、ふかえりに興味を持たせようとしているわけです。
さらに、ふかえりが、誰に向かってこのストーリーを綴ったか、ということに言及し、それは、
「近代文学が原則として、念頭においている「不特定多数の読者」とは、異なったものであるらしい」
として、
「これを読み解ける人間は、特別なんだ」
と、強調しています。そうして、男性読者に、この「空気さなぎ」を読むことに、興味を抱かせているわけです。
いやあ、男性読者向けの施策が、ずんどこ、出てきましたね。まあ、村上さんは、別の項で、「空気さなぎ」を、ユニークなフィクションとしていますが、
それは、わざと逆な表現を用いて、ドキュメントであることを強調している、ということですね。
まあ、そして、いろいろなことが、あって、天悟くんは、その作業を終わらせるわけです。「空気さなぎ」の冒頭部分を直してみた、というわけですね。
すると、もう二時近くで、お昼をとっていないことに天悟くんは、気づくわけです。そして、おなじみのお昼の描写。
天悟くんは、コーヒーと、チーズをのせたビスケット、りんごといったメニューです。このあたり、「村上朝日堂」の頃の村上春樹イメージというわけで、
でも、調べてみると、なんと!「村上朝日堂」の出たのが、1984年の7月なんで、こう、ピッタリくるわけですね。
つまり、村上ファンとしては、あの頃の村上春樹を、天悟くんの物語として、読むことができるわけです。
いやいや、なるほど、そういうわけだったのね。どうりで、「村上朝日堂」的村上氏イメージが感じられたわけだ。
そして、気分転換のために、天悟くんは、年上のガールフレンドとのセックスのことをひとしきり考えちゃうわけです。
もちろん、村上作品、お約束のエロ的表現です。それも、奥手男性読者向けの、年上人妻のエロ要素ですからね。
そして、昼飯が終わると、さらに、チェックのために、書き直した「空気さなぎ」をプリントアウトして、読んでチェックする、というわけです。
このあたり、まあ、確かに、紙に出して、読んでチェックするのが、昔は、当然でしたが、僕は、今は、もうそういうことをやらなくても、
へーきになってしまいました。というより、慣れです。こんなものは。まあ、天悟くんは、プリントアウトしたものは、微妙に印象が違うとか、
言葉の感触が変化するとか、それっぽいことを言っていますが、そんなことは、ありません。単に、紙で出さないと、村上さんが、不安なだけです。
でも、慣れればそんなことは、必要がなくなるんです。もう、思い切り、村上春樹すら、批判ですから、どうなっているんだろうね(笑)。
そして、その作業を終えると、ひとしきり、ふかえりと「空気さなぎ」について、考えてみる天悟くんなのです。
そして、「空気さなぎ」の具体的内容が、語られるわけです。リトルピープルと、盲目のやぎの関係性やら、主人公の十歳の少女が、
どうやら、ふかえり自身の過去であること。盲目のやぎを飼うことが、ふかえりの役目だったのに、殺してしまったことなど、
なんとなく、幻想的で、奥手男性がよろこびそうな話です。奥手男性というのは、少女の失敗話や秘密が好きでしょうからね。
これもまた、奥手男性向けの施策ということになりますね。
そんなことをしていると、例の年上のガールフレンドから、電話が、かかってきます。
そして、子供が、いじめにあっているらしい、ということが、語られます。それについて、天悟くんは体が大きい方だったから、いじめられた経験がないと
感じていること。そして、ガールフレンドは、いじめる側にまわったことがある、ということが、語られます。
つまり、いじめられた経験がないんですよね。そして、そのガールフレンドにこういうセリフを言わせるんです。
「結局のところ、自分が排斥されている少数の側じゃなくて、排斥している多数の側に属していることで、みんな安心できるわけ」
「ああ、あっちにいるのが、自分じゃなくて、よかったって。どんな時代でも、どんな社会でも、基本的に同じことだけど、」
「たくさんの人の側についていると、面倒なこともあまり考えずにすむ」
と、言わせ、天悟くんに、
「少数の側に入ってしまうと、面倒なことばかり考えなくちゃならなくなる」
と言わせ、さらにガールフレンドに、
「でも、そういう環境にいれば、少なくとも自分の頭がつかえるように、なるかもしれない」
と、言わせ、さらに、天悟くんに、
「自分の頭を使って、面倒なことばかり、考えるようになるかもしれない」
と、言わせ、最後に、ガールフレンドに、
「それは、ひとつの問題よね」
としています。まあ、この問題の最後に天悟くんは、
「最終的には、それほどひどいことになることはないよ。クラスにもきっと数人は、自分の頭がまっとうにつかえる子供がいるはずだから」
と言わせています。
つまり、一連の流れを見てみると、これ、日本人の欠点と僕がしている「いじめ」の問題について、村上春樹的見解を述べているわけです。
つまり、
「自分の頭の使える子が少ないから、排斥する多数の側にまわりたがる。それは、アホな行為だ」
「少数の側に入らなければ頭を使う機会は、やってこないし、永遠にアホなままになる」
ということを伝えるための一連の言葉のやりとり、なんですね。
日本人の多くが共感する言葉
「どんな社会でも、どんな時代でも、排斥している多数の側にいたい」
を吐きながら、実は、
「そういう多数の側にいたのでは、馬鹿になる」
と言っているんです。
これは、僕は、思い切り、同感ですね。僕は日本人の欠点は、嫉妬といじめだと思っています。
嫉妬は、社会的役割を果たしたい日本人が、その役割を自分より果たしている人間に対してついついもってしまう、精神の荒廃ですから、
そんなことやっている暇があったら、自分を磨け!と僕は言っています。さらに、いじめなんぞ、やっている人間なぞ、死んだほうがましですからね。
まあ、僕は、子供の頃、ずんどこいじめられましたよ。
もう、他人と一緒なんて大嫌いな人間でしたからね。なぜ、他の人間と同じことをやらなきゃいけないのか、全然わかりませんでしたから。
思ったことは、口にしてしまうし、もちろん、相手への配慮はしますよ。でも、言ったほうが、いいと判断したことは、言ってきました。
それで、何人も友達をなくしましたし、まあ、リアルライフではよくある話です。でも、わかってくれる人間は、しっかり理解してくれる。
僕は、なあなあ、というのが、大っきらいですからね。結局、自分を信じながら、ずんどこ毎日自分磨きをして、価値を高めているわけです。
そうやっていかないと、自分を高められませんからね。おっと、随分脱線しました。元に戻りましょう。
さて、その後、今度は、ふかえりから、電話がかかってくるわけです。
まあ、ふかえりは、20年前くらいの人工知能みたいな、感情を一切排したしゃべり方なんですけど、
これの意味って、考えてみると、感情表現する女性との話しあいが、苦手なひと向けだから、っていうことになるわけです。
つまり、普通の女性とまともに、話せない奥手の男性向けだから、ふかえりは、こういう話し方になるわけです。
そして、美少女なわけです。いやあ、奥手の男性向けの施策が、たくさん、ありましたねえ。
だから、あんまり、おもしろく感じ無いわけねー。まあ、多数側にいたのでは、ただの馬鹿になる、という村上さんの主張には、同感ですけどね。
まあ、そういう意味では、奥手の男性向け施策をいろいろ見ながら、村上さんの主張というのを楽しむのが、この天悟くんストーリー
というところでしょうかね。今日は、そういう結論になりました!
さて、今日も長く書いてしまいました。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
次回、金曜日の自由論考で、お会いしましょう!
ではでは。