最近、小池龍之介さんというお坊さんの本やらサイトやらを読みあさっている。
するってーと、なるほど、自分の至る所に煩悩が渦巻いていて、まービックリする。
あーもーぉ!!!とイラッとするのも、やだなーやりたくないなぁっていうのも「怒りの煩悩」。
これ美味しいからもっと食べたいなとか、ほめられるとつい浮かれちまうのは「欲の煩悩」。
難しい話聞いててボーっとしてきたり、全く訳のわからんこと考えたりするのは「迷いの煩悩」。
なんとなく、あー今はこういう煩悩が私を苦しめてるなぁ…というのは分かって来たものの、できるだけ今やってることそのものに集中して煩悩の入ってくる余地がないようにしよう、なんて思っても、逆に「あーーーん!このムズムズとした感じはどうにもできませーん!!!」みたいにかえって感情が爆発しそうになったりして。。。
しばらく苦しんだ後に、ようやく集中力を取り戻して、しっかり現実の世界に戻ってくると、なんともスッキリ爽やかな世界が待ってたので、できるだけこういう平常心でいられるようになりたいもんだよ、と思います。
楽器を吹く、ということも全くそうだな、と思う。
そうだなってどうだよ?って感じだけれど、いろんな煩悩が楽器をやってきたなが~い間に「業」としていい意味にも悪い意味にも積み重なって来ていて、ひょっとして初めてやるんだったら感じなくても済むような、余計な煩悩が人より多かったりして、それが自分を苦しめてたり、判断力を鈍らせていたり、勘違いさせていたり…そういうことがいかに多いかがようやく激しく実感として分かるようになってきた。
ちょっとヤダな…と思うフレーズ、シチュエーション…そういうのって、結局過去に起こったことが「業」になって、考えないようにしようとしても自動的に出てきて、結果としてまた同じループに入るっていう状況。。。
そんなとき、自分の身体や心がどんな風に感じたり反応したりしているかを、いつの間にか無視するようになってきたってことにも気づく。
いや、無視というより他のことに気を取られて、たった今の自分自身の心と身体のことすら感受できない状況で、しかもそれにも気づいてなかったということ。
今をしっかり見つめてみよう…そんな風に思った時、はじめて、どのくらい心が嫌がってるか、身体が嫌がってるかがはっきり実感できてきた。
それは現実のたった今起きていることに対して身体や心が反応してるのではなく、頭の中のバーチャルな世界の方をあたかも本当の世界のように感じて、それに反応している。
これをもっともっとニュートラルな状況に、できるだけ「たった今」の「現状」をしっかり感じるように集中してみると、まーーー!!どれだけ無駄な「怒り」の煩悩に苦しめられていたことかってのがね…驚きますわい。
たった今の自分がなにを感じているのか、それをしーっかり見つめるのって、やってるつもりで結構やってないのね…。。。
そういうことに気づきつつ、ただまだ「仏道」的な意味では超初心者なので、自分の心や身体の言ってることをまずは否定せず、肯定もせず、あるがままに見てあげることができたらいいかなぁ、と思います。
でも、それがすでに難しいぞ!
あー、こういうことじゃイケナイッってすぐに否定的な気持ちになっちゃうからね。そしたら結局は自分の気持ちやらなんやらをちゃんとは見てなくて、ハナから否定してかかってるようじゃぁ、それがすでに「怒り」の煩悩なんだって。うほー!!煩悩を煩悩でフタしても、余計に煩悩増えるだけ…。ヒー(;´∀`)
と、まぁやたらと煩悩に襲われているわけですが、ときとしてだいぶ煩悩を静かにできる瞬間があったりして、それがとても心地良いので、かくありたいな、と思います(というのは「欲」の煩悩なのだろうか…うおー)。
昨日、旦那のやってるDuBrassのコンサートを聞いてる時に、できるだけ「聞く(見るのでもいいんだけど)こと」に集中しよう!!!脳みその中で雑念を沸かせないくらいに集中しよう!と思って聞いてたら、とっても心が軽やかだったです。
っていうか、普段どれだけ雑念があるのか???って気が逆にしてビビリます。
でも、仕事で音楽やってるとなかなか素直に音楽聞けないよね、なーんて話もときどき聞くから、きっと他にもそういう雑念やら煩悩に苦しめられてる人がいるってことだと思う(そんなことではなんの慰めにもならないが)。
歩くことでも、食べることでも、皿を洗うんでも、本を読むんでも…なんでもそのことに集中してみようと思う。ボサーっと何だかフワフワと考えゴトのループにハマったりして、現実よりも頭の中の考えに縛られたりしちゃわないで、あるモノをある通りに、聞こえたものを聞こえた通りに、身体の感覚をしっかりとみつめて、そうやって心の中の雑音を減らして生きたい。
おっと、ブログに集中しすぎた!
そろそろ旦那が帰ってくるので、今度は夕飯の準備に専念することにしますッ!それでは、またねー\(^o^)/
するってーと、なるほど、自分の至る所に煩悩が渦巻いていて、まービックリする。
あーもーぉ!!!とイラッとするのも、やだなーやりたくないなぁっていうのも「怒りの煩悩」。
これ美味しいからもっと食べたいなとか、ほめられるとつい浮かれちまうのは「欲の煩悩」。
難しい話聞いててボーっとしてきたり、全く訳のわからんこと考えたりするのは「迷いの煩悩」。
なんとなく、あー今はこういう煩悩が私を苦しめてるなぁ…というのは分かって来たものの、できるだけ今やってることそのものに集中して煩悩の入ってくる余地がないようにしよう、なんて思っても、逆に「あーーーん!このムズムズとした感じはどうにもできませーん!!!」みたいにかえって感情が爆発しそうになったりして。。。
しばらく苦しんだ後に、ようやく集中力を取り戻して、しっかり現実の世界に戻ってくると、なんともスッキリ爽やかな世界が待ってたので、できるだけこういう平常心でいられるようになりたいもんだよ、と思います。
楽器を吹く、ということも全くそうだな、と思う。
そうだなってどうだよ?って感じだけれど、いろんな煩悩が楽器をやってきたなが~い間に「業」としていい意味にも悪い意味にも積み重なって来ていて、ひょっとして初めてやるんだったら感じなくても済むような、余計な煩悩が人より多かったりして、それが自分を苦しめてたり、判断力を鈍らせていたり、勘違いさせていたり…そういうことがいかに多いかがようやく激しく実感として分かるようになってきた。
ちょっとヤダな…と思うフレーズ、シチュエーション…そういうのって、結局過去に起こったことが「業」になって、考えないようにしようとしても自動的に出てきて、結果としてまた同じループに入るっていう状況。。。
そんなとき、自分の身体や心がどんな風に感じたり反応したりしているかを、いつの間にか無視するようになってきたってことにも気づく。
いや、無視というより他のことに気を取られて、たった今の自分自身の心と身体のことすら感受できない状況で、しかもそれにも気づいてなかったということ。
今をしっかり見つめてみよう…そんな風に思った時、はじめて、どのくらい心が嫌がってるか、身体が嫌がってるかがはっきり実感できてきた。
それは現実のたった今起きていることに対して身体や心が反応してるのではなく、頭の中のバーチャルな世界の方をあたかも本当の世界のように感じて、それに反応している。
これをもっともっとニュートラルな状況に、できるだけ「たった今」の「現状」をしっかり感じるように集中してみると、まーーー!!どれだけ無駄な「怒り」の煩悩に苦しめられていたことかってのがね…驚きますわい。
たった今の自分がなにを感じているのか、それをしーっかり見つめるのって、やってるつもりで結構やってないのね…。。。
そういうことに気づきつつ、ただまだ「仏道」的な意味では超初心者なので、自分の心や身体の言ってることをまずは否定せず、肯定もせず、あるがままに見てあげることができたらいいかなぁ、と思います。
でも、それがすでに難しいぞ!
あー、こういうことじゃイケナイッってすぐに否定的な気持ちになっちゃうからね。そしたら結局は自分の気持ちやらなんやらをちゃんとは見てなくて、ハナから否定してかかってるようじゃぁ、それがすでに「怒り」の煩悩なんだって。うほー!!煩悩を煩悩でフタしても、余計に煩悩増えるだけ…。ヒー(;´∀`)
と、まぁやたらと煩悩に襲われているわけですが、ときとしてだいぶ煩悩を静かにできる瞬間があったりして、それがとても心地良いので、かくありたいな、と思います(というのは「欲」の煩悩なのだろうか…うおー)。
昨日、旦那のやってるDuBrassのコンサートを聞いてる時に、できるだけ「聞く(見るのでもいいんだけど)こと」に集中しよう!!!脳みその中で雑念を沸かせないくらいに集中しよう!と思って聞いてたら、とっても心が軽やかだったです。
っていうか、普段どれだけ雑念があるのか???って気が逆にしてビビリます。
でも、仕事で音楽やってるとなかなか素直に音楽聞けないよね、なーんて話もときどき聞くから、きっと他にもそういう雑念やら煩悩に苦しめられてる人がいるってことだと思う(そんなことではなんの慰めにもならないが)。
歩くことでも、食べることでも、皿を洗うんでも、本を読むんでも…なんでもそのことに集中してみようと思う。ボサーっと何だかフワフワと考えゴトのループにハマったりして、現実よりも頭の中の考えに縛られたりしちゃわないで、あるモノをある通りに、聞こえたものを聞こえた通りに、身体の感覚をしっかりとみつめて、そうやって心の中の雑音を減らして生きたい。
おっと、ブログに集中しすぎた!
そろそろ旦那が帰ってくるので、今度は夕飯の準備に専念することにしますッ!それでは、またねー\(^o^)/
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