ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

やっぱりイメージか!!

2018年06月19日 00時52分53秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!

今日は、アルプス音楽団恒例の音楽ビヤプラザライブでした。

雨の月曜日ということもあって、お客様はいつもより少し少な目でしたが、いやいや、そんな日にも来てくださるお客様!!なんとも素晴らしい一体感。物凄くいい感じで盛り上がってくださって、なんだかみんな仲間(≧∀≦)って感じでした。

7月は4日ですよん!


ところで、


いやはや、何気なく今はバックを使ってるんですけど(いつの間に?!)、物凄く思った感じで吹ける時と、もうウンともスンとも、、、って時がありまして。。。


もう吹き方分かんねー!!なんでも思ったりもしたんですけど、

ふと。。。


ん??もしかしてら、物凄く「思った通りに」吹いてるのでは??と。


「思った通り」っていったら、物凄くいい感じの時に使う言葉ですけど、ふと分かったんですよ、

良いことも悪いことも「思った通りに」なってるんじゃね?って。

「ああ、こうなったらヤダな」「ここは、こうなってヤバイ」「これは気をつけなきゃ」「あーダメだ」

これ、「ヤバイ」とか「ダメ」とかはまあ私の主観で、私の「判断」ですけど、それ以外の部分は、「こうなったら」とか言うところは、「良い感じの本来こうしたいはず」に比べて、圧倒的リアリティが!!

そのリアリティに引きずられる。そのリアリティを再現しようと無意識にしてしまう。

本当は、「こうしたい」「こんな感じで」「こういう気持ち」「こんな音で」「こんなアタックで」などなど、本当に「やりたいこと」を思い浮かべるべきところを、単に「ピンチ」のシーンを思い浮かべて、「そうならないように」と何とか身体を操作しようとするのは、インプットとアウトプットに激しいギャップがあるわけで、、、

そうなると、やっぱりリアリティのある方へ近づいちゃう。


やりたいことじゃないことを思い浮かべて、そうならないようにって頑張るだけじゃ、本来望んでるはずのことになるとは全然限らない。

消去法じゃダメなのだ。

もっと「こう!!」という感じをイメージしてナリきらないと。

それに、カラダの動かし方の方をコントロールしようとしても、自分的な音や音楽の正解を示してないわけだから、それがバチっと噛み合う可能性って、低いよね。

そんなカラダの動かし方を制御するよりは、


「こう吹きたいな!」

をできる限りリアルに想像して、「この感じでヨロシク!」と体や脳に頼んでおく方が絶対いい感じに近づくはず。


と、気づいたところで、今までを思い返すと、完全に「やりたいこと」の方のリアリティが負けてる。なんなら思い浮かんでないかもしれない。「かくあるべき」はあるんだけど、そこに「自分が演奏する」というリアリティがない。「自分」で考えると、「こうなっちゃいかん」の方がリアリティがある。

そりゃー、それじゃいかんわなー。

なので、「やりたいこと」の方にフォーカスすることにした。

とにかく、そっちのリアリティを上げるんじゃー!!

もうすでに「悪い方」のイメージに激しくリアリティがある曲なんかは、もう一度「やりたいこと」をイメージし直して、そこにリアリティがあるようにしていこう。刷り直しね。


それだな!!

よし、明日はバカっ早いから、もう寝ます。それではお休みなさーい!!
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