ゆこちんのトランペット

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「ためにする」

2012年01月31日 23時48分14秒 | Weblog
すっかり中部大学の武田邦彦先生のブログやら動画やらを見まくっている。もしかしたら中毒か?ニヤリっ?!



でも、この同じ時代にこういう前向きで、かつ正直…こういう言い方が果たして良いのか分からないけど、
クソまじめとも違って、頑固とも違うから私のボキャブラリーだとまあ正直になるかな…な人がいてくれたことに、心から感謝するし、そういう人をネットを通じてながら発見できたことにも幸せを感じるねー。


で、今日は…

「ためにする」っていう話を読んで…。


普通、何かのためにやるって良いことみたいだけど、先生が言うのは違ってて、
例えば「東大に入るために頑張る」とか「教授になるためにやる」とかそういう話。

つまり「ためにやる」ってのは、そのものズバリが好きとかやりたいから頑張るとかじゃなくて、何か下心があると!


そう思っていろいろ考えてみると、10年くらい前の自分なら、人にどう思われようと、自分がこうだ、と信じればそれをやるし、言いたい人には言わせとけ、みたいなどこか強いとこがあった。


今は…

こうだとヤバイかなとか、こうあるべき、とか、何かしら一般的常識的なものから自分がはみ出してないか、と心配し、気を遣い、ドキドキし…結果的に、あまり楽しくなく、さりとてそう言うんだから、周りも満足してなさそうで、それがまた新たなプレッシャーになったり…

みたいなことがいっぱいある気がして来た!

平たくいえば…
良く思われるためにやる…ってことだ。



あーぉ!何か、人のためにやる方が良いような気がしてたから、その考えが間違ってるとすら気づいてなかったような…。


「ためにする」ってのは、そう!つまり何かしらの見返りを求めてしまうんだな…そう思うと、やたら利己的な気がしてきた。


と言うわけで、ここ数日間、そういう考えはやめて、そのことそのものをやりたいからしてるのかどうかを見直し、んでもって、そのことそのものに対して真っ直ぐ向き合ってみたら、何だかたまらなくいろんなことが好きになってきた。


それに何となく漠然とした不安感がかなり減った。不思議過ぎる。


例えばね、レパートリーを増やしたいな…と思う気持ちは同じなんだけど、レパートリーを増やさないと狭いって思われるんじゃないか…もっと積極的と思われるために新曲にチャレンジしよう…と思うと、どれも、あ…この曲はちょっとここが難しいし…みたいなマイナスの理由が浮かんできて、安全運転的なチョイス…いや、怯えつつのチョイスになり、つまらない。

ところが、そういう気持ちをなくそうとしてみたら、目に入った譜面から、物凄くかっこ良いパワーがやって来て、私を誘うじゃないよ!


そして、今までなら、このくらいすぐに吹けるべきだ…という気持ちと、でもうまくできなかったらどうしようという二律背反の心が私を惑わすのであった。

ので、何だか強迫観念的なのだ。


でも、考え変えると、かっこ良い曲だから何とか吹けるようになりたいなぁ…今日は無理でも次にはやりたい!という、「逃げ」ではない、積極的回避となり、心は軽く、その上次への希望がモリモリ!


何とまあ…不思議なことでしょう…


自分さえよければ良いということとは全然違う。そうじゃなくて、こうすればこうなるとかっていう、今向ってる対象そのものへの愛を欠いた状態で、何かしらの見返りのためにそれをやっても何のためにもならんってこと。

迷惑かけないため、とかってのも案外、「ためにする」ってことだと思った。

結局、物事の本質じゃないんだよね、それって。

だから何だか不安になるんだろう。


というわけで、私は武田先生のブログに心底やられて、またも目から激しくウロコが落ちて、少しばかり「幸せ者」度がアップしたよ!

好きだからやりますよ!うん!
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