ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

何を目指しますかー?!

2022年01月04日 22時58分19秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

今日もどうでもいいこと、、、というか、だからって何が正解なんてないだろうし、めっちゃ迷ってるってことでもないから、ふと思うって話なんですけど・・・

お話スタートしまーす。

今日ふと、ファランドールをまたまた考えてましてね、

この「ファランドール」って曲自体は、最後に向かってスピードも上がっていきますし、何かしらストイックな雰囲気はらんでたりして、ちょっと私の語彙力じゃ説明できないけど、「決めたったぜ!!」みたいにカッコよく終わることのできる曲ですよね!

それに、最初の部分が終わってからの、太鼓から始まる速い部分ですね、

この太鼓のイメージをどうするかで結構話が変わってくるな、と思うわけです。

プロバンス太鼓なんだとしたら、ストイックとかそういう感じよりも、お祭り感があるし、気軽…と言って良いか分からいけど、1人で笛吹きながら叩くことが出来て、もちろん複数人でやってもいいわけだけども、、、

もともとシーンとしても、結婚式のお祝いのためにこの曲が流れる訳ですよねー??

その音楽をバックに聴きながら、嫉妬に絶望したフレデリが自殺するっていう、、、ここはドラマティックって言うのがいいのか、ヒステリックって言うのがいいのか、分からんけど、そのちょっと狂っていく感じが同時にあるわけで・・・

その場合だと、太鼓のサウンドはどうあるべきなのか??

クラシックで使う楽器でやるなら、深刻な響きでやるべきなのか?それとも陽気で明るい村の踊りって感じでやるのか???

この辺迷いどころ・・

それに、この「アルルの女」っていうのは、もとは「劇付随音楽」(incidental musicっていうのかな?)で、いわゆる第2組曲にあるファランドールっていう状態は、ビゼーの死後にギローが作ったものであって、もちろんビゼーのもともとのアルルの女の中に、ファランドールもありますし、この3人の王の行進もあるし、2つを組み合わせた部分もあるんですけど、オーケストレーションや、エンディングに向かって行く作りなども元のビゼーが作ったモノとは違うわけで、本当はどんな気持ちで作ったのか?って思うと、、、

とか書いててもワケわからなかろうから、もとの劇付随音楽はこちら!
んで、さらにこれがピアノボーカルスコアのリンク


ピアノで弾いてみるとさー、、、

もうピアノに直してる時点で、オケに比べりゃーめっちゃうっすくなってるわけでしょ?それでも、あああああぁぁ、、、ビゼーって凄いな・・・って分かるパワーがあります。つか、ビビる。

その上で組曲版のファランドールのオケのスコア見ると、何かしら無駄?いやなんだろうか、不必要?どうしてか分からないところ??ちょっとどう言っても変な言いかたになっちゃうけど、「どうしてこうなるのか?」が分からないところがいっぱいあります。

で、そのたくさん「盛った」部分はいわゆる「派手さ」とか「カッコよさ」という意味では、めちゃくちゃ意味があると思うんだけど、

それって、ビゼーがやろうとしたことなのか?って思った瞬間に、違和感がある。

でも、じゃーこの曲意味ないじゃん?ってなるかって、そんなはずはない。これだけ世界中で愛されて、今日まで演奏されてきてて(つか私だって、何回も演奏会で取り上げてるじゃないかw)、演奏する方も聞く方もいやが上にも盛り上がる素敵な曲じゃないか!!

  ↑
一応参考までに、第2組曲のスコアね!


するってーと、この辺で葛藤が始まるのよ。

せっかくやるからには、シリアスな雰囲気からめっちゃ盛り上がって「狂乱」って感じで演奏するか、
いや、盛り上がるのはどっちも盛り上がって良いかもだけど、プロバンス太鼓による演奏の雰囲気を重視して、それが次第に変容していくようにするか、

うーん、書き方が上手くないな。

要するに内容うんぬんよりも、曲の持ってるパワーをブンブン振り回すか、
ビゼーの原曲の雰囲気をより重視していくか、
民族音楽的な観点を重視するか、
ストーリー性に重点を置くか、、、、

こういうところがさー、、、

アタシャ、原曲の状態が好き💕

ちなみに、、、

プッチーニのトゥーランドットも大好きだけど、プッチーニが書いた部分と、そのあと補足された部分って、オーケストレーションが全然違うよね・・・。

やっぱり原曲(作曲家)って凄いなって思う。必要最低限で、最大の効果を出してるなって思う。

でも、これ誤解しちゃいけないけど、のちの編曲(加筆)者に力がないってことではないと思う。原曲を損なわないようにやるってことは、自分の力を存分に出すのではなく、他人(もとの作曲家)の脳みそを想像しながら作るわけだから、そりゃどうしても本人以上にはならないモノね!!

そういう意味で言うと、ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」のラヴェルによるオーケストレーションは、独自性があって、めちゃくちゃそれが原曲か?と思わせるほどのパワーがあるから、スゴイよなー。

話をもとに戻すと、

こういう「演奏効果」を一番に考えるか、作曲者の意図を第一に考えるか、さらにその元となっている音楽のスタイルを反映させるかって、、、常に葛藤するところだと思う。

こういうのを「知らない」で何も考えないでやるパターンと、知ってて考えて迷った挙句に一周回って知らなかった時と同じチョイスになる場合と、、、

それを他人が聞いたときに、「何も分かってない」と思うか、単にスゲーと思うか、一周回ったのかと気が付くか・・そういうのもいろいろあるよね!!

ま、もうしばらくあれこれ迷うとしますw
こういうのが面白いし、迷って迷って、何かをチョイスしたとしても、「思い通りになる」とは限らないからwwww

それでは、また明日ねー!!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「オタク」って何かいいなw | トップ | 年末年始って、そんなに運動... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿