ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

レッスンの1日でしたー

2023年10月22日 23時01分36秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

朝、お宿の女将さんに「来るの楽しみなのよー」って言ってもらって、めっちゃゴキゲンのフジイですw

昨日と今日は、1日レッスンしてましたー。

今日は午前午後で別のところに行ってきたんですけどねー。

どーしたことかw、2日間めっちゃ良いレッスンができました。結構良い切れ味w

生徒が良い気付きをしてくれて、「そうか!!そういうことか!!」と理解したな~と感じると、やっぱりやり甲斐というか、あー良かった!って感じますよねー。なんか、そういう感じです。

あ!!そうだ!!

書きたいなと思ってたことを思い出した!!

レッスンって言うか、相手が子どもだったりすると、「教え込もう」としちゃって、それがイコール「ダメだからちゃんとしな!!」という「ダメ」ってところに無言のメッセージが行きがちだなって。

最近のフジイは、これは気を付けなきゃいけないなと思っています(って気付かずやってたらスマン!)。

子ども(生徒)は、「ダメ」なんじゃなくて、「まだ」とか「これから」とかそういうことだと思うんです。

だから「育てる」ってのが大事なのかなーと。

「ダメ」なところを「直す」っていう発想と、今はこういう段階だからここから「こうなって行こう!」ってのは、似てるけど違う気がして。

先生が「こうしなさい!」って言ったときに、単にこれから目指すべき方向性とか練習の仕方を示しているなら良いと思うんだけど、

言葉の裏に、「あなたはダメだ」というメッセージが入ってしまうことが、無意識的にあると思うんです。

それが続くと、子どもの方は自主性がなくなって行きやすい。

それに発見する楽しみとかってありますよね。

なんて言うか、新しい扉を開いていく面白さっての?!

それが、ダメだからこうしなきゃいけない、、、って話になると、常に後ろを向く感じがして、自己肯定感とか自己効力感みたいなのがだんだん減ってきてしまう、、、

未熟ってのと、ダメってのはやっぱり区別しないと。

その段階ごとの楽しみ方とか、理解とか、状態ってのがあって、確かにそれだけ見て、素晴らしいモノと比べれば「ダメ」かもしれないけど、それは単にまだ未熟なところがあるってことで、そこはこれから新しく開拓していけばいいんだとしたら、そこに自己嫌悪とか自信のなさとかは要らないわけで、

たくさんの勇気とワクワクを持って、次に向かえば良いわけだ!

心を切なくする必要はきっと無い。

指導する人間が、一緒に音楽を楽しんでいて、ただ指導者の方が圧倒的にレベルは高いってんで良いんじゃないかと。

そうしながら、ちょっとずつ次の段階はこれに注意してやってみるといいとか、ここを鍛えると良いとか、こんなところに気をつけてみたら見方や聴き方が変わるんじゃないか?とアドバイスしてみるとか、、、

で、繰り返し繰り返しその感覚が身に付くまで一緒にやって行く、、、っての。

「育てる」「育つのを見守る」って感覚。

赤ちゃんが立って歩こうってときに、

もっとちゃんと足に力を入れて!!ほらー!!!ちゃんとしないから転ぶんでしょー!!もーダメねー!!そんなことじゃーやって行けないわよ!!

こんな風に言う人ってきっといないと思うのねー。

あら~💕立ッちできたのー??さーこっちまでおいでー!!わー、そうそう💖あー、痛かったねー!!ヨシヨシー!!

って励ましたりしながら、日々育っていくのを見守ると思うんだ。

もちろんレッスンのときの相手は赤ちゃんじゃないから、そこまで甘やかしませんけど、立ち向かう勇気とか興味とか、そういうモノを奪うことなく、また恐怖(できなかったらどうしよう、、、とか、先生や親に怒られる、、みたいな)のために頑張るのでもなく、純粋に楽器や音楽に対する興味でチャレンジできるような状態を作って行きたい。

そのためには、

オトナが正直であるのも大事だなと。

できないところやヤバイなってところは、大人にもそういうところあるよ、、、ってのを隠さない。

オトナでもそういうところあるんだ!!って思えば、チャレンジする勇気も出てくる。

大抵は「失敗してはいけない」「ダメなところがあってはいけない」「完全であれ!」ということが前提になっていて、それゆえに「恐れ」ってのが起こってくる。

オトナがそれを隠していると、歪んだ指導の仕方になってしまったり、子どもを責めてしまったり、、、

また、オトナが恐れのせいで、人のせいにしてしまったり、責任転嫁してたりすると、それもよろしくない。。。

人はみんな完璧なんかじゃない。

完璧じゃないから、助け合おう!って気持ちになれる。
完璧じゃないから、子どもはなおさら失敗を恐れる必要なんかない。
ナイスチャレンジ!!で良いのだ。
いっぱい失敗なんかするさ。そこから何か宝物を見つけられるかどうかの方が、勝負だ。

完璧であれ!ってすると、失敗は傷になる。
特に心の方の。

結局、オトナがどのくらい精神的にゆとりがあるか、によるんだよな、、、きっと。。。

オトナに希望があって、安心感があれば、子どもにも絶対それが伝わる。

自分に希望も安心感もないんだとしたら、、、、それを子どもに実現させようとしたら、、、良かれと思って、追い詰める感じになる気がする。

優しくして厳しいことすんな、という意味とは全然違う。

恐怖から、ちゃんとさせないと!!みたいに焦ると、それは赤ちゃんに罵声を浴びせるようなもんだってな感じ。

もっとやりたい!!頑張りたい、ってときには、「難しい」ことにチャレンジさせるのは良いと思う。難しい注文を付けるとかそういうの。

でも、欲の出どころが子ども本人じゃないとね。
そうなるように、心の安全地帯を確保したうえで、追及するポイントは厳しくても良いんだと思う。

なんて、思ったりする今日この頃です。ちょっと語ってみた。

さーて、今日もメモを書いて寝るかなー。

それではまた明日ねー!!
コメント
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