ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

「人に存在価値を与える」という存在価値

2020年10月24日 11時18分34秒 | こころ、メンタル、身体
こんにちはー!!

モーニングじゃなくなるくらい、微妙に脱線したりしながら書いたから時間のかかったモーニング・ページ。

いやはや、毎朝3ページ、手書きで何ってんじゃなくて、何でも思いついたままを書き出すってやつなんですけどね、


 私はこれの旧版を買ったんでそっちしか読んでない(しかもまだ読了はしてない笑)んですけど、この本のメインはおそらくこの「モーニング・ページを毎朝書く」ってことに尽きると思うんですよね。

で、そのほかにいろんな自分に向き合う方法が書いてあって、それがまた「うぉぉぉーーーー!!!」と雄叫びあげたくなるような、あるあるあるある!!ってことがいっぱい書いてあって、自分にとってはあまりにあたりまえだったから、それが一体自分の人生にどういう影響を与えてたかってことに、気が付くどころか考えもしたことない、ってやつで、その「存在」に気が付くことだけでも、向き合うきっかけになりますから、ひとまず買ってみる価値はある本だと思います。

元の題が、The Artist's Wayなのよね。だからいろんな芸術家、、、作家とか音楽家とか絵描きとか、、、いろいろな人のことを書いてるんだけど、職業としての芸術家じゃなくても、自分の人生の中で何かを自由に表現するとか、本当の自分に向き合うってのは、別に音楽家になる気はありませんから、、、って人にもめっちゃ合う、大事な話なわけで!!ぜひおすすめです。
あ、これは旧版だけど、kindle版だからすーぐ読めるよん!
 

あ、今日は本の紹介ではないのだった!!笑


そうそう、そんなわけで、ほぼほぼ欠かさず1日30分から1時間くらいかけてモーニング・ページを書いてるわけなんですよ。(ブログも毎日1時間くらいかけて書いてるから、1日に何かを書いてる時間がすごいな笑)

でね、急にいろんなことが降りてきて。

めっちゃ理路整然じゃなくて、それはそれは連想ゲームのように出てくることが、やたら腑に落ちることだらけなわけなんですけど、その思考の過程はじょろじょろするから書かないけど、

自分が人に会いに行くってことに意味を見出せなかった
何か人にしてあげるってことに躊躇がある
自分の演奏を聴いて聞いてー!!!って気持ちにならない

などのメンタルが、まさかの1つに繋がっていて、

どうやら「自分自身に価値があるとは思えない」ってことのようで。。。

よく「顔見せに来てね」とかいうけど、私に会って楽しいなんて話はないだろうよ
私がやってあげるよりもっと上手な人にやってもらった方が嬉しいでしょ?
私なんかがやったモノ(事)は嫌でしょ?
仕事だから演奏はするけど、「来たいな」と思った人が「自分で楽しんでくれる」のはありがたいし嬉しいことだけど、こちらから「楽しいから来て」とかいうのはおこがましい

みたいに思っているようだ。

それに、よく「レッスンにおいでよ」っていう人がいるけど、あれもいまいちわからんな、って思ってて。もちろん仕事だから頼まれたら大喜び&全力でやりますけど、こっちから言うのってなんだろ?みたいな。

自分の子供のころを振り返ると、時代だからみんなそうかもしれないけど、

卒業式やら入学式、運動会なんかに親が来て喜んでいたという記憶がない(そもそも来た記憶がない)

ウチで何かをやって親が愛でてた記憶がない

よく何かでみる「おお!!いいぞー、すごいねー」とか「もっとやって」みたいな覚えが全くないのよね。

だから孫ができて勇んでそれを足しげく見に行く様をみて、ほー!!!行くんだねー!!みたいな。

だから、自分が何かやって喜ばれることが今ひとつ信じられないらしい(自己分析w)。

で、実は私のことをずーっと「あなたすごいわ!!」「あなたとおしゃべりしたいわ」「会いに来て」って言ってくれてる人がいるって気がついた。

それはね、高校の時にピアノやソルフェージュなど受験に必要なものすべて教えてくれて、大学に入ってからは声楽の先生としてレッスンをしてくださっていた、淑子先生。

実は高校の友だちのお母さんなんだけど、

ピアニストの野島稔さんのお姉さん。

「うちのかあさん、ピアノ教えられるから習いにくれば?」ってお友だちが言ってくれて、その時はなぜ君の母さんなんだね?みたいな上から目線で考えてたし、習いに言ったら、「鼻歌みたいで全然ダメね」みたいな評価で、でも一体何が違っていてどこがダメで言われてるのかが、全くわからなかったもんだから、しばらくそこから抜け出せなかったんだけど、

ある時、ホロビッツの歌い方をコピッてレッスンに行ったら、

あなた!!!素晴らしいわ!!!!!!


て。

それから、先生は私を信じていっぱい教えてくれて、その金額でこんなにいろんなことを教えて、しかも送り迎えまでしてくれて、女の子の子供がいなかったからって可愛いものをいっぱい買ってくれて、美味しい食事にも連れて行ってくれて、先生の勤めていた大学のホールにスタインウェイのフルコン(だったと思う)があってね、大学に連れて行ってくれて、気が済むまで弾かせてくれて。

素晴らしいわーって。

そうやって、もちろんいろいろ注意もされるわけだけど、それでもいっつも信じて素晴らしい素晴らしい言われると、だんだんその気になって、本格的にピアノに取り組んだのは高校2年の秋だったにも拘らず、案外のいい成績で定期演奏会にも選ばれたりして、大学院の入試もやれたし、、、

全く練習していない今でも、逆に昔より初見力とか大きく音楽を掴む力がアップして、力も抜けたから結構チョットしたやつなら楽しく弾けるくらいにはなってる。

ピアノは本当に好きだ。トランペットはね、仕事でやってるけど、演奏のプロになってるのは「指導者としてちゃんと仕事で吹いてる人でありたい」って気持ちだったからってことで、トランペットを吹くのが好きだからやってるんじゃないらしい(自己分析)。

なので、今の野望は24時間ピアノが弾ける家&グランドピアノを手に入れることw

でもね、ピアノの指導者にはなりたいって思ってないの。

私はねー、合奏(当時で言えば吹奏楽)の指導者になりたかったの。合奏を指導するなら、管楽器じゃん?だからトランペットやってるの、どうやらね。

トランペットで喋ることが出来てた時期は、トランペットを吹くこと自体も、自己表現であって、君もそうやりなよ!!的な気持ちで教えてたから、楽しかったー。

その感覚は、めっちゃ取り戻したい。だから今も練習してる。楽器で喋りたいだけなんだよね、結局。

で!!!

ここまで書いてると、今日のタイトルに全然たどり着かないじゃーん!ってかんじだけど、ここでぎゅーっと行きますよー。

そう、淑子先生が私に与えてくれたもの、、、それが急にビカビカビカー!!っとカミナリを落とした。

ああ、先生は私を信じてくれ続ける、という素晴らしい愛情を注いでくれてたんだなって。

今もね、会いに来てーってすごい言ってくれて、行くと喜んでくれるの。社交辞令じゃない、行くと喜んでくれる人がいるってことが、こんなにうれしくて幸せなことだってのがね、ホント沁みるわけよ。

今日も先生から、先生が使っていて高級なものだけど、もう着ないってお洋服を使えたら使ってって送ってきてくれた。
あ、振り返ったらさっき試着して、そのままペーンって投げてあるw
これがフジイですよwがはは。

で、先生は声楽家。藝大では安宅賞も取ってるよ!!
なので、ピアニストではないんだけど、弟である野島稔さんを井口先生のところにレッスンに連れて行ってたのが先生で、だからピアノのことはめっちゃ分かる。

ピアニストじゃないから、すごいお手本を弾いてくれるわけじゃない。音の出し方とかにはめちゃくちゃ厳しくて、何度も何度も1つの音をどう出すかをやってみせてくれるんだけど、なかなか分からなかったな(笑)
でも、今でもそのサウンドは耳には焼き付いてるし、目にもバッチリ焼き付いてる。

コールユーブンゲンも半端なく細かくて厳しくて。でもこれも耳に焼き付いてるし、今でもそれは生きてる。

そういう技術や表現をたっくさん与えてくれたんだけど、でもきっと一番私を育ててくれたのは、

信じてくれたこと。認めてくれたこと。私には価値があると信じさせてくれたこと。

それかなって、急に気が付いて。

そんな先生って素晴らしいなって急に感激というか、新しいビジョンというか、、、

ああ、私も人に「あなたは素晴らしいわ!」って心から信じて応援できる人になったら、めちゃくちゃ人として素晴らしいことなんじゃないか?って思えて。

先生みたいな、「人に存在価値を与える」という存在価値。。。

私のなりたいモノってそれか??

自分が凄いって思われることじゃなくて、人を輝かせる。。。そういう存在価値。

いいな、って思ったときはできるだけ言うようにしてるんだけど、この前普段あまり褒められてない子(トランペットじゃない子)に、「いい音が聞えてたよ!いいじゃん!!」って言ったら、最初は「全然できなくて…」とか答えてたけど、ホントにいいと思ったから、もう一押し言ったら、めっちゃ嬉しそうな顔しててね。

たいていの先生って、考えてみたらダメなところを言うでしょ?

私も最近は気を付けてるつもりだけど、結局ダメ出しになったり、マウントになったりすることが多いよね。それにダメ出しが指導だ、みたいな風潮もなくはないからね。

褒めたときに、素直に喜べる子と、信じない子といるよね。信じない?信じようとしないのかな?もしぬか喜びだったら、悲しいし恥ずかしいから、簡単には喜ばないっていう癖がついてるようにも感じる。

あ、もう一人めっちゃ褒めてくれた先生がいた!!坂井さんだ!!1年くらいしか通ってないんだけど、その時はめっちゃいろんなことが勉強になったなー。

こうやって存在価値を認めてもらえると、人は伸びる。

自分自身の存在価値を高めようとして、もがいて来たけど、本当にやりたいことをやった方がいいな、って思った。本当にやりたいことのためにやるなら、結局内容同じだとしても、絶対違ってくるよね。

勝手に腑に落ちて、どうしても書きたくなったので、今日も書いてみました。

毎度、お付き合い、本当に感謝でございます😌 
これからもよろしくお願いします。
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レッスンってなんだろー?

2020年10月24日 02時00分45秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

今日は、昨日やって来たNewパソコンくんといーっぱい作業をしました。
それに、旦那のマイク&オーディオインターフェイスってやつ???それとPCを繋いで、zoomでのレッスンもやってみました。自分でのテストでは、結構いい感じで繋がってたんだけど、実際はどうだったんだろ???(って確認しろー!笑)

そんなわけで練習もしたけど、PCに向かいまくった1日だったわけです。

んで、今日書くことはそれとは全然関係ないんだけど(笑)

ふと思ったことを書きます。

レッスンってなんだろー??



自分もレッスンしている者の1人ですけど、なんでそんなことを思ったかって言うと、旦那が今日レッスンに行った学校に、また月曜日行くっていうんで、おやおやずいぶんとすぐに行くね?と思ったら、今日だけじゃアンサンブルコンテストの曲が終わらなくて、、、ってね。

そういうことって、あるあるじゃないですか?!
それに、ほらほらこちら(教える側)としては、お仕事ですから、また呼んでいただけるのはありがたいことなので、大いにいってらっしゃーい!!って話なんですけど、

ふと、自分でやれー!!って思ってる自分がいて。
レッスン受けなきゃできない、レッスン受ければできるのって、どーいうことなのかなー?!とか考えちまって。

いやいや、もちろん分かってるんです。そりゃー、プロが客観的に見た方がきっちりと整頓された状態になるし、短時間でまとめるコツとかも持ってますから、レッスン受ければそれがいい。

それに、私も仕事としてレッスンしてますから、「自分でやれー」って言ってる時点でどーなんそれ?って自問自答しちゃいます(笑)

あ、ピンポイントにこの学校に向かって言ってる話じゃないんですよー。むしろ旦那にお仕事くださって、感謝してますー💛

いやね、実はときどきレッスンをしてて思うから、ちょっと書いてみようと。

もっともっと上手くなりたいとか、もっと知りたいとか、もう自分じゃどうにもならんとか、そういうことで「もっと習いたい!!」ってのは、本当に素晴らしいと思うんです。
だけど、丸投げっていうか、上達することを人任せにする、、、習えば上手くなる、みたいな感じって、ちょーっとだけ違和感があって。

ここが行き詰ってるとか、ここをもっと知りたいとか、これはどんな風に考えたらいいのかとか、どんな練習をするとここがクリアできるかとか、ここまでやったけどもっとブラッシュアップできないかとか、この方向であってるかとか、、、、

そういう何かしらの疑問とか課題とか好奇心とかを持ってくれてたらいいんだけど、

ただなーんとなく練習して、決まってるからレッスン受けて、言われたことやる(場合によっては言われてもやらない笑)、、、

そういうのって、何だかもったいないなーって。

レッスン受けるからにゃー、この人から何か盗んでやろうッ!!搾り取ってやろう!!くらいのテンションがいいと思うんだよなー。

それってガツガツしすぎ??

古い考えなのかなー??
レッスン受けることが、結構大変(物理的にも金銭的にも)だった時代の人間だから、思っちゃうのかな?

うっすくバーッと練習したやつとか「これもこれも一応ちょっとやってみました」って言ってレッスンに持ってきても、ほぼほぼ初見でバーッと吹いても、その場では何とかなるけど、そんなレッスンっていったい何になるの?って思う。教える方は、それでも回数のうちだから別にいいけど、習う方はもったいない気がするんだ。。。

逆に、基礎的なところを毎回少しやろうとすると、そんなの吹けるし、何なの?って思ってるんだろうなって生徒もいる。
まぁ、気持ちはわかる(笑)
そんなの、やらなくても別にすぐできるし、みたいな風に思うよね。

でも、聞いてる方としては、何かがちょっと違う(間違ってるって意味じゃない)、その何かをすこーしずつ感じて分かるようになってほしいなーという気持ちがある。

そこで、何かを盗んで帰るぞ!と思っていれば、いったい何が違うんだ?どうやってるんだ?と思って何かを感じ取ろうとするだろう。でも、ただ自分がその場で吹けばいいって思っていれば、そのパターンを吹くってだけの時間になる。別に吹けるよっていうパターンをね。(あるいは、は???そんなの今すぐ吹くの?ってパターンのときも)

教えてもらうってことに慣れすぎてると、自分で考えなくなっちゃう気もするし、自分だけでやってると、少しずつ客観性がなくなって、違う方向に行っちゃってたりする。

そのいいバランスのところで、定期的にレッスンを受けていけるといいってお思うんだよね。自分の力でやって、それが合ってるか見てもらって、場合によっては課題をもらって、また自分で次までにそれに向き合っていけるとこまで行く。。。次までに、疑問や壁やある程度のゴール、みたいなところまで行ってるといいよねー。。。

なーんて思うわけだぁー。

塾とかって、そこに行くと先生がいろいろわかりやすく詰め込んでくれる。

それがレッスンにも求められてるのかなぁ?

でも、トランペットって知識だけじゃないんだよね。なんというか「筋肉」でもあるから、それには育てる必要があって、「時間」ってのが必要。

その時間ってのが、レッスンとレッスンの間にあって、そこで筋肉を育てて行くんだと思うんだよね。だからレッスンだけでなんとかなるとは思えん。

モチベーションにはなると思う。でも魔法じゃないから、ギリギリいっぱいまで進んであると、レッスンのちょっとしたきっかけで大変身することができる場合があるけど、なーんとなくレッスン受けても特には変わらん。お金の無駄遣い。。。


みんな、もっと得することを考えよう!!いい意味で搾り取れ!いい意味で盗みまくれー!!

なーんて思ったのでした。それではまた明日ー。
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