こんばんはー。今日はいろんなお話をした1日でした。ホントはお話を「する」だけじゃなく、もっとお話を「聞く」ことができたら良いんですけどね。でも、今日はまずはこちらから発信した1日でした。
んーと、
この前、某国立の音楽大学の先生にお電話しまして、結局は剣もホロロってやつなんですけど、そこであまりに明快な回答だったので、むしろスッキリして頭がめっちゃクリアになって、今までモジモジグルグル考えてたことが、めっちゃ腑に落ちましてね。
それはどういうことかっていうと、
私流に要約しますけどね、
「向いてたらやる」とか「間に合えばやりたい」とか、「才能があるのか」とか、そんなこと言ってる時点でもう話にならんってこと。
これがやりたい!!こうなりたい!!
それがあるなら、じゃあどうすれば出来るのか?何をしていけば良いのか、どのくらいのペースで進めていけば良いのか、、、
それらを考えてドンドン進めていって、お釣りがくるくらいにやっておけば、ひょっとしてそのなりたい何かとか、やりたい何かとか、そんなのに手が届くかもね?ってなさ。
そうして初めて、スタートラインに立てる的な。
「私、むいてますか?」「私、才能ありますか?」
そんなことで、未来を人任せにするのもダメだし、もし「向いてないね」と言われて諦められることなら、まあやれないだろうねってところだし、「向いてるならやろう」なんて言って、自分探しなんかしてると、あっという間にオバさんオジさんになっちゃうよなって。
なんて明快。(あ、これ完全にフジイ的に解釈しちゃってますんで、元の話とはかなりズレてる可能性大です)
そう!
そういう目線で、自分自身に対しても、そして生徒に対しても、やって行くのが大事なんだなと。
んー、この子はこのくらいが「この子らしい」かな、、、ま、しょうがないか、、、何てこと言ってちゃ、まるでダメ。
何が目的なのか?何をしたいのか?
その目的のためにやってるんだから、それに対してもっと集中して、もっと精度を上げて、その目標に手が届くように、
そこに疑問の余地とか、忖度とか、そういうの要らない。
それができないなら(実際には「できない」ことより「やらない」ことの方がダメ。できなくても良い。できるまでやれば良い。その努力ができるか、そこまで我慢できるか、という意味の「できる、できない」)、レッスン無意味。
そのくらいの覚悟でお互い真剣勝負!!
それが大事なんだなーと。
それ以外の時間は、もっといろんな関係とかいろんな視点とかあっていい。でも、レッスンはそこは譲っちゃダメなんだろうし、そのレッスンで見えた「何か大事なこと」を持って帰って、練習で自分のものになるように真剣に取り組む。で、レッスンでチェック、そして次の何がをまた持って帰って、、、
で、目標に到達(*´∇`*)
ってなね。
きっと、今思えば当然のことなんだと思うけど、何かしら、「まあプロになるわけじゃないし」とか「ここをいじっちゃうと、むしろややこしくなりそうだし、そっとしておこう」とか、「宿題やってないのか?!しょうがないなぁ」とか、なんかそんな忖度してたとこが、それじゃーダメでしょう?!私がそんなんじゃダメでしょー??生徒の目標とか到達ポイントに尻引っ叩いてでもやらせる意気込みとかエネルギーとか見せつけないと。
やらなくても良いかー♪なんて思わせちゃダメなのだ。
MAX頑張っても、目標に届かないことだってあるだろう。なりたい何かになれないこともあるかもしれない。それは後から見たら努力が足りなかったかもしれないし、才能がなかったかもしれない。もしそう思ったなら、残念ながらもっと頑張らなきゃダメだったんだろう。
でも頑張ったんだと自分に向かってスッキリと言えるなら、やりたいことに向かって頑張ったことは消えない。
それで良いんじゃないか?!
いや、そんなことじゃー諦められん!!
そんな人は、やれるまで石にかじりついてでもやり続ければ、いつか石も割れるかもしれんぞ。
そんな、岩をも砕く気持ちっての?!それが大事なのかなーと。
才能とか、向き不向きとか、そりゃきっとあるでしょうけど、「気持ちと実行」がなきゃ、なーんもならんよ。うん。
というわけで、明日から早速、目標に向かってガンガン進んでもらうようなレッスンをして行こうと思います。ハイ!
それではおやすみなさーい!!