ちょっぴりヘチャれている。
きっと今日は自分が人を笑顔にできてないって思うからだな。
笑顔になってもらえる日もある。
それに、今日も笑顔を見れたりもしてるんだけど、やっぱり人を嬉しくさせられてない気がするとなんか罪悪感だな。
まぁ、そんなことはよくある事なんだと思うし、特段今日なんかあったってわけでもない。
そのときによって、自分がやたら過敏になってたり、明るく楽しくできていたり、無神経で気付かないだけだったり、本当にすてきな一日を送れていたり…そういう感じ。
というわけで、今日はちょいと過敏な日だと思う。
自分は結構罪悪感の強いタイプだと思うんだけど、最近、どうにか他人には罪悪感を感じさせない、私といると自分(相手のこと)はとってもスペシャルな素敵な人間なんだと感じてもらえるような人になりたいもんだ…と思う。
正直、なかなかできません。
相手のステキで良い所を素直に率直に褒めて、尊敬して認めて、できれば伝えることができれば、良いと思うんだけど。
または、相手に対する感謝の念を、もっと率直に素直に伝えることができたら良いなぁ…。
どうも、どっか上手く出来ない。
なんだろう?
照れとか、まさかと思うが要らんプライドが邪魔をしてるのだろうか???
いや、プライドとは違うな…そうじゃない。あまのじゃくなのかなぁ…。
もう結構いい年になってきたから、自分のことはある程度分かってはいるつもりだけど、まだまだ分からん。
自分の考えてる事をきちんと相手に伝えることが苦手なんだな。たぶん。
で、伝えねば!!!といろいろ自分の中で逡巡した挙句に意を決してガツンと言うので、それが逆に悪い風に伝わったり強すぎたりするっていう…そういう気分だね。
で、それによって相手がちょっと罪悪感を感じたりしてるなってのが、敏感に感じ取れてしまうので、それがまた自分の罪悪感になって自分を苦しめる。
あ~、どうして喜ばせてあげられないんだ。どうして自分の思っている事をいうと、人を傷つけてしまうんだろう…だったら言わない方がいいのか?…でも言わねば伝わらん…
結局、そこをぐるぐる回る。
先日、中華料理屋で、多分中国人と思われる人と、大学かなんかのエライ先生なんだろうと思われる人が、ガチで討論していた。
お互い、結構ズバズバ言ってるんだけど、特段ヘチャれることもなく、ガッチリ言い合っていた。
正直、憧れる。
自分の考えてる事を説明する時間を相手に取ってもらう事がそもそも何だか悪い気がする。だからできるだけズバッと要点で済まそう!と思う。でもそれだとちゃんと真意が伝わらなくて、誤解が生じたりする。
じゃあちゃんと一から…とも思うけど、それが何だか申し訳ない気がしてしまう。
親しい人とか、レッスンとか、意外とライブでのトークなんかであれば、しっかり時間を取って話したいことを話すのだけど、ちょっとした時間に会うような人…別に話すために会ってるわけじゃない…という場合にどうも上手くシャシャっとできませんわ。
当たりさわりのない話ってのも、得意じゃない。
話すなら、何かちゃんと意味のあることを話したいのさ。
そうすると話が重くなりがちだねぇ。
そういうので、重くなるのも私の中の罪悪感の一つ。
そうそう、さっき北野武さんが出てた番組で、帽子を作ってもらってたんだけど…
全力で喜びを表現しきってなかったところに逆に共感した。
その帽子は、とっても良く出来ていて、とっても似合っていて、またとっても素敵で使い勝手のよさそうな素晴らしいものだった。
でも、一瞬想像していた奇抜なモノとは違っていたんだと思う。
それに他人の目からは、とってもセンス良く似合っていたけど、本人は帽子が似合うとは思っていないみたいで、それも爆発的に喜びを表しきれなかった理由だろう。
今って、テレビでもなんでも、「おいしーい!」とか「超嬉しい!!!」とかを爆発的に表現する。
それを食べてそんなに美味しいかい?と思うようなものでも、地球にこれ以上のものはないくらいに喜びを表現する。
もし、そのリアクションが本当なんだとしたら、その人はとってもいい人でとっても素晴らしいと思う。
私もそんな風に、何かを食べて満面の笑みで美味しさを伝えられたらいいなぁ。
でも、ホントにはそう思ってないけど仕事だからそういうリアクションしてるって人も多いだろうな。
だとしたら、きっと疲れちゃうね。
それでも、その言うなれば「嘘」であっても、誰かを喜ばせることができるなら、それも素敵だ。
嘘は墓場まで持って行くことができるなら、素晴らしい。
でも、もしどっかでボロが出ちゃうようなものなら、逆に相手を深く傷つけるだろう。
私にはきっと嘘をつき通す…そういうことはできないだろうと思う。
すぐにボロが出ちゃうね。
たけし(敢えて呼び捨てにするけど)のリアクションを見て、誰でもがスーパー激しく喜びを表現するわけじゃないんだな…とちょっと安心した。
BSで見たグランブルーも、そのあとの宇宙へ行ったチンパンジーの番組も、どれを見ても、生きるって素晴らしく、同時に一筋縄ではいかず、複雑で、時には傷つき傷つけへこたれ立ち上がり…そういうものなんだな…と再確認。
グランブルーは特にフランス映画なせいもあるかもな。ハリウッド映画ならそういうところはあまり描かれないかもしれない。
宇宙へ行ったチンパンジーの話は、事実を描いたものだから、やっぱり何でも明るく上手くいくわけじゃないってことが良く分かる。
そんな中でも、必死に生きていかなきゃならん。幸せを感じたり、人を幸せにしたりしてかにゃいかん。
客観的にプラスマイナスゼロなら、まあいいじゃん!と思ってみようかな。
それを自分がどう感じるかは、自分次第か。
いろんな人にお世話になり、そして迷惑もかけ、恩返しも良く出来てなかったりしているけれど、これからも何卒よろしくお願いします。ご指導ご鞭撻…なにとぞ!!
あ、空が明るく…(^_^;)
体操してから、寝たりしてみよう。
きっと今日は自分が人を笑顔にできてないって思うからだな。
笑顔になってもらえる日もある。
それに、今日も笑顔を見れたりもしてるんだけど、やっぱり人を嬉しくさせられてない気がするとなんか罪悪感だな。
まぁ、そんなことはよくある事なんだと思うし、特段今日なんかあったってわけでもない。
そのときによって、自分がやたら過敏になってたり、明るく楽しくできていたり、無神経で気付かないだけだったり、本当にすてきな一日を送れていたり…そういう感じ。
というわけで、今日はちょいと過敏な日だと思う。
自分は結構罪悪感の強いタイプだと思うんだけど、最近、どうにか他人には罪悪感を感じさせない、私といると自分(相手のこと)はとってもスペシャルな素敵な人間なんだと感じてもらえるような人になりたいもんだ…と思う。
正直、なかなかできません。
相手のステキで良い所を素直に率直に褒めて、尊敬して認めて、できれば伝えることができれば、良いと思うんだけど。
または、相手に対する感謝の念を、もっと率直に素直に伝えることができたら良いなぁ…。
どうも、どっか上手く出来ない。
なんだろう?
照れとか、まさかと思うが要らんプライドが邪魔をしてるのだろうか???
いや、プライドとは違うな…そうじゃない。あまのじゃくなのかなぁ…。
もう結構いい年になってきたから、自分のことはある程度分かってはいるつもりだけど、まだまだ分からん。
自分の考えてる事をきちんと相手に伝えることが苦手なんだな。たぶん。
で、伝えねば!!!といろいろ自分の中で逡巡した挙句に意を決してガツンと言うので、それが逆に悪い風に伝わったり強すぎたりするっていう…そういう気分だね。
で、それによって相手がちょっと罪悪感を感じたりしてるなってのが、敏感に感じ取れてしまうので、それがまた自分の罪悪感になって自分を苦しめる。
あ~、どうして喜ばせてあげられないんだ。どうして自分の思っている事をいうと、人を傷つけてしまうんだろう…だったら言わない方がいいのか?…でも言わねば伝わらん…
結局、そこをぐるぐる回る。
先日、中華料理屋で、多分中国人と思われる人と、大学かなんかのエライ先生なんだろうと思われる人が、ガチで討論していた。
お互い、結構ズバズバ言ってるんだけど、特段ヘチャれることもなく、ガッチリ言い合っていた。
正直、憧れる。
自分の考えてる事を説明する時間を相手に取ってもらう事がそもそも何だか悪い気がする。だからできるだけズバッと要点で済まそう!と思う。でもそれだとちゃんと真意が伝わらなくて、誤解が生じたりする。
じゃあちゃんと一から…とも思うけど、それが何だか申し訳ない気がしてしまう。
親しい人とか、レッスンとか、意外とライブでのトークなんかであれば、しっかり時間を取って話したいことを話すのだけど、ちょっとした時間に会うような人…別に話すために会ってるわけじゃない…という場合にどうも上手くシャシャっとできませんわ。
当たりさわりのない話ってのも、得意じゃない。
話すなら、何かちゃんと意味のあることを話したいのさ。
そうすると話が重くなりがちだねぇ。
そういうので、重くなるのも私の中の罪悪感の一つ。
そうそう、さっき北野武さんが出てた番組で、帽子を作ってもらってたんだけど…
全力で喜びを表現しきってなかったところに逆に共感した。
その帽子は、とっても良く出来ていて、とっても似合っていて、またとっても素敵で使い勝手のよさそうな素晴らしいものだった。
でも、一瞬想像していた奇抜なモノとは違っていたんだと思う。
それに他人の目からは、とってもセンス良く似合っていたけど、本人は帽子が似合うとは思っていないみたいで、それも爆発的に喜びを表しきれなかった理由だろう。
今って、テレビでもなんでも、「おいしーい!」とか「超嬉しい!!!」とかを爆発的に表現する。
それを食べてそんなに美味しいかい?と思うようなものでも、地球にこれ以上のものはないくらいに喜びを表現する。
もし、そのリアクションが本当なんだとしたら、その人はとってもいい人でとっても素晴らしいと思う。
私もそんな風に、何かを食べて満面の笑みで美味しさを伝えられたらいいなぁ。
でも、ホントにはそう思ってないけど仕事だからそういうリアクションしてるって人も多いだろうな。
だとしたら、きっと疲れちゃうね。
それでも、その言うなれば「嘘」であっても、誰かを喜ばせることができるなら、それも素敵だ。
嘘は墓場まで持って行くことができるなら、素晴らしい。
でも、もしどっかでボロが出ちゃうようなものなら、逆に相手を深く傷つけるだろう。
私にはきっと嘘をつき通す…そういうことはできないだろうと思う。
すぐにボロが出ちゃうね。
たけし(敢えて呼び捨てにするけど)のリアクションを見て、誰でもがスーパー激しく喜びを表現するわけじゃないんだな…とちょっと安心した。
BSで見たグランブルーも、そのあとの宇宙へ行ったチンパンジーの番組も、どれを見ても、生きるって素晴らしく、同時に一筋縄ではいかず、複雑で、時には傷つき傷つけへこたれ立ち上がり…そういうものなんだな…と再確認。
グランブルーは特にフランス映画なせいもあるかもな。ハリウッド映画ならそういうところはあまり描かれないかもしれない。
宇宙へ行ったチンパンジーの話は、事実を描いたものだから、やっぱり何でも明るく上手くいくわけじゃないってことが良く分かる。
そんな中でも、必死に生きていかなきゃならん。幸せを感じたり、人を幸せにしたりしてかにゃいかん。
客観的にプラスマイナスゼロなら、まあいいじゃん!と思ってみようかな。
それを自分がどう感じるかは、自分次第か。
いろんな人にお世話になり、そして迷惑もかけ、恩返しも良く出来てなかったりしているけれど、これからも何卒よろしくお願いします。ご指導ご鞭撻…なにとぞ!!
あ、空が明るく…(^_^;)
体操してから、寝たりしてみよう。