「条件の違い」5月15日
専門編集委員の玉木研二氏が、『小学生の落第』という標題でコラムを書かれていました。その中で玉木氏は、明治時代の留年制を取り上げ、『小中学での留年という手段は、結局「切り捨て」になるしかないと明治の経験は教える』と、留年制の導入に反対意見を述べていらっしゃいます。
教育問題についての発言が多い玉木氏については、このブログでもたびたび取り上げさせていただいています。しかし、今回の見解には、玉木氏らしからぬ雑な部分が目につくように思います。明治と現代の学校教育を取り巻く状況の違いについての目配りが足りないように思うのです。
まず、『毎月「小試験」も行われ、子供の席順に反映させた』という部分です。確かにこれは、子供にとって大きな心理的圧迫となったでしょう。しかし、現在、保護者やメディアの反発を押してまでこんなやり方を取り入れる小中学校があるとは思えません。また、こうした競争的な条件付けが、子供の学習意欲にプラスに働かないことは、すべての教員が常識として理解しているはずです。
次に、『大試験などでは、各府県が規則で役人や有力者、住民らが参観するように定めた。親兄弟も来たという。そんな「衆人環視」の試験に受験生の精神的負担は極めて重かった』という点も、現在起こり得ないと言ってよいでしょう。
さらに、『進級できた子が平均30%台という地方の記録もある』という指摘については、現行の全国一斉学力テストの結果からも、あり得ない数字ですし、もし仮に、30%台という現実があるのであれば、7割もの子供を授業が理解できないまま進級させることの無責任さこそ問われるべきだと思います。
そして、『最も大きな弊害は、パスしなかった子供が低学年にたまり、学校の児童分布がピラミッド型になったことだ。学校嫌いから投稿しない子供の増加にもつながった』ということについても、現状認識に問題があると思われます。小学校の低学年段階での学習到達度は、非常に高いのです。子供をお持ちの方なら経験があると思いますが、小学校の低学年では、我が子の通知票の学習の記録欄の評価は、ほとんどが「よくできる」になっていたはずです。さらに、明治初期の段階では、学校に通わせることの意味やメリットについて多くの保護者が正しく理解してはおらず、安易に「勉強に向いていないのならいかせる必要もない」と、我が子を登校させなかったという事実も忘れてはならないと思います。
最後に、『成績上位者に賞品を与えたり』という部分についても、現在、そんなことをする学校や教委が表れるはずはありません。
要するに、明治と現代とでは、条件が異なることを考慮しないまま、「経験は教える」と結論付けるのは間違いだと考えます。ただ、橋下大阪市長の発言について、多くの人が単なる話題作りと、早くも忘れてしまおうとしている中で、玉木氏の見解が、改めて留年論議を深める役割を果たすことには期待したいと思います。
専門編集委員の玉木研二氏が、『小学生の落第』という標題でコラムを書かれていました。その中で玉木氏は、明治時代の留年制を取り上げ、『小中学での留年という手段は、結局「切り捨て」になるしかないと明治の経験は教える』と、留年制の導入に反対意見を述べていらっしゃいます。
教育問題についての発言が多い玉木氏については、このブログでもたびたび取り上げさせていただいています。しかし、今回の見解には、玉木氏らしからぬ雑な部分が目につくように思います。明治と現代の学校教育を取り巻く状況の違いについての目配りが足りないように思うのです。
まず、『毎月「小試験」も行われ、子供の席順に反映させた』という部分です。確かにこれは、子供にとって大きな心理的圧迫となったでしょう。しかし、現在、保護者やメディアの反発を押してまでこんなやり方を取り入れる小中学校があるとは思えません。また、こうした競争的な条件付けが、子供の学習意欲にプラスに働かないことは、すべての教員が常識として理解しているはずです。
次に、『大試験などでは、各府県が規則で役人や有力者、住民らが参観するように定めた。親兄弟も来たという。そんな「衆人環視」の試験に受験生の精神的負担は極めて重かった』という点も、現在起こり得ないと言ってよいでしょう。
さらに、『進級できた子が平均30%台という地方の記録もある』という指摘については、現行の全国一斉学力テストの結果からも、あり得ない数字ですし、もし仮に、30%台という現実があるのであれば、7割もの子供を授業が理解できないまま進級させることの無責任さこそ問われるべきだと思います。
そして、『最も大きな弊害は、パスしなかった子供が低学年にたまり、学校の児童分布がピラミッド型になったことだ。学校嫌いから投稿しない子供の増加にもつながった』ということについても、現状認識に問題があると思われます。小学校の低学年段階での学習到達度は、非常に高いのです。子供をお持ちの方なら経験があると思いますが、小学校の低学年では、我が子の通知票の学習の記録欄の評価は、ほとんどが「よくできる」になっていたはずです。さらに、明治初期の段階では、学校に通わせることの意味やメリットについて多くの保護者が正しく理解してはおらず、安易に「勉強に向いていないのならいかせる必要もない」と、我が子を登校させなかったという事実も忘れてはならないと思います。
最後に、『成績上位者に賞品を与えたり』という部分についても、現在、そんなことをする学校や教委が表れるはずはありません。
要するに、明治と現代とでは、条件が異なることを考慮しないまま、「経験は教える」と結論付けるのは間違いだと考えます。ただ、橋下大阪市長の発言について、多くの人が単なる話題作りと、早くも忘れてしまおうとしている中で、玉木氏の見解が、改めて留年論議を深める役割を果たすことには期待したいと思います。