ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

一時だけの得

2012-05-24 07:54:25 | Weblog
「コピー文化」5月16日
 精華大学米中センター高級研究員の酒井吉廣氏が、『ドレミの歌と中国製品の高度化』という標題でコラムを書かれていました。その中で酒井氏は、ドレミの歌の原曲は英語であり、これを日本やフランスでは、工夫して自国のタンゴに訳したのに対し、中国では英語を直訳したものが使われていることを紹介した上で、『中国人は、良いものであれば、丸ごと模倣する』と指摘しています。
 そして、『しかし、コピー商品を作ることは、デザインや技術面で競争力を高めることとは一致しない。日本やフランス型のドレミの歌の工夫をする方が、高品質で長持ちする良品を創りだす技術を蓄積する源泉となるのではないだろうか』と、コピーと創造性の関係について述べていました。
 そう思います。実は、私は教委勤務時代に、この「中国式」の考え方に直面させられた経験があります。私が、教育研究所に勤務していたとき、研究所を廃止し、研修センターとするという決定がなされました。研究機能は残すが、それはあくまでも教委の施策の効果に対する調査研究に限るという方針でした。
 当時、教員の資質向上が最大の課題とされ、その実現のために研修機能を強化するということ自体に異論はありませんでしたが、調査研究だけでは、教科の指導法の研究がなくなってしまうという趣旨の疑問を呈したのは、私だけでなく、多くの指導主事の思いでした。こうした疑問に対する回答が、「教科の指導法の研究は文部科学省も他の道府県の教委も行っている。そうした研究の中で優れたものを選び出し、その成果を活用させてもらえば問題ないし、費用対効果の面でも優る」というものだったのです。
 要するに、よそ様の研究成果を模倣して使おう、という発想です。以前も書きましたが、教員の世界には特許権はありません。優れた指導法はすぐに広まり、多くの教員がそれを基に自分なりの工夫を加えて新しい指導法を創り上げていくのです。そうしたことから考えれば、こうした「コピー主義」は合理的なのかもしれません。
 しかし、酒井氏の指摘にもあるように、最初から「コピー主義」では、長い目で見たときに、教員の創造性が損なわれてしまう危険性を排除できないと思います。実際、近年、教科の指導法の研究は、停滞気味だと思われます。それは、教員全体の授業改善力の低下として、ジワジワと効いてくるはずです。そうなってからでは遅すぎます。「失われた○年」を取り戻すのは、教育界においても大変な作業になるはずです。

コメント
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