ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

観衆を意識する

2012-05-06 08:28:16 | Weblog
「観衆を意識」5月3日
 憲法記念日の常として、憲法を巡って様々な記事が掲載されました。その中に各党の改憲論議についての記事がありました。その見出しは、『各党、独自色に躍起』でした。記事を読むと、『各党案は、現在の政治の問題点を打開するための現実的な案というよりも、次期衆院選を意識した党の独自性をアピールする狙いが目立ち、改憲に必要な与野党を超えた合意を目指す内容になっていない』と書かれていました。
 私は、10年以上前の出来事を思い出してしまいました。当時は、多くの教委が「独自色に躍起」という時代でした。学校選択制の導入、校長による道徳授業の実施、授業時間の1分間延長、総合的な学習の時間を活用した小学校における英語活動の開始、中学生の職業体験、小中学校の教員による交換授業、etc。
 その施策がもたらす教育的効果についてシミュレーションすることもなく、とにかく話題になるもの、住民の耳目を集めるもの、他の自治体が取り組んでいないものはないかと血眼になって、新しい教育施策の導入を競い合ったものでした。
 教委の数少ない学校教育専門家である指導主事は、教委の幹部から「何かいいアイデアはないか、できれば予算が必要ないものであればありがたい」と毎日のようにせっつかれていたものでした。私は研究所に勤務していたのですが、知り合いの指導主事から、「先生、明日までにアイデアを出せと言われているのですが思い付かないんです。何でもいいから教えてください」という電話がかかってきたものでした。
 今考えれば私も無責任でした。その自治体が抱える教育課題や状況も知らないまま、いくつかのアイデアを提供したものでした。どうしてそんなことができたかというと、全国紙4紙から、東京以外の道府県で行われている「特別な実践」をファイルしていたからです。その中から適当に選んで情報提供していたわけです。
 ちなみに、私が提供したアイデアが知り合いの勤務する教委で実現したという話は聞きませんでした。それはそうでしょう。その自治体の現状に合っていないのですから。しかし、そんなものであっても、とにかく「面白そうなこと」を検討中と打ち上げることが優先されていたのです。全く不毛な時代でした。
 現在の学校改革論議は、そんな「観衆を過剰に意識した時代」を脱しているでしょうか。

コメント
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