「大切さの中身」3月23日
オピニオングループの永山悦子氏が、『学童の悩み』という表題でコラムを書かれていました。その中で永山氏は、新型コロナウイルス感染拡大を受け、全国一斉休校が始まって3週間の現状について、友人の言葉を紹介なさっています。『学校休業で気づいたこと。学校の大切さ。当たり前の大切さ。学校がないだけでこんなにいろんなことがグラグラしてくるんだな』と。
学校の担っている役割の大きさに気づいてくれたという意味では、とても嬉しいことです。しかし、この友人氏が言う「学校の大切さ」とは、朝の8時から午後3時まで、子供を預かり、給食という形で食事を与えてくれる存在としてであり、別の言い方をすれば、子供のことを気にせず、1日7時間、仕事や介護、趣味や息抜きなど、自分の時間を確保できるありがたさなのです。
こうした意識の中には、学校=学びの場という認識はありません。これが、この友人氏だけの特異な例なのであれば、問題はありませんが、そうではないという気がしてなりません。今回の新型コロナウイルス騒動についていえば、子供の学びの場が失われるという危機感よりも、子供の居場所がない、保護者が働きに行けない、毎日昼食をつくるのが大変、といった発言が目につくのです。
また、教員が学童クラブの運営に協力することを期待する、という文科相の発言も、子供の世話、預かりという側面に着目したものだと言えます。幼保一元化の動きも、それまであった教育と保育という異なる機能を同一視するものであり、働く保護者にとって子供を預かってくれる場所という面が重視されています。念のため言っておきますが、幼稚園が学校教育法第一条に定められた「学校」です。
学校の託児所化、これが現代の、そして今後のトレンドなのでしょうか。もし民意がそうした方向であるのならば、大変残念ですがそれも仕方がないのかもしれません。ただ、なし崩し的に現状変更が積み重ねられるのではなく、きちんとした議論の結果によって制度変更が行われるべきです。私は大反対ですが。
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