ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

セクハラへの親和性

2018-04-21 07:46:15 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「十分?」4月12日
 『#MeTooが広がらない』という見出しの特集記事が掲載されました。セクハラに対する世界的な規模で広がる抗議運動が我が国では広がりを見せないことについて述べた記事です。その中に、劇作家平田オリザ氏が主宰する「青年団」のセクハラ撲滅の取り組みが紹介されていました。『劇団にはルールがある。例えば、年長者が異性を2人だけの酒の場に誘ってはいけない』もその一つです。
 「えっ、そんなこともいけないの?」と思う人がいるかもしれませんが、私は必要なルールだと思いました。と同時に、これで十分なのか、とも感じました。同性愛という指向をもった年長者が、弱い立場の同性の年少者を下心をもって誘うというケースが容認されてしまうからです。考えすぎでしょうか。
 私は、自分がセクハラを受けたという記憶がありません。セクハラをしたと抗議された経験もありません。しかし、今教員として、教委の幹部として過ごした日々を振り返ってみれば、もしあのとき「セクハラだ」と抗議されていたとしたら、きちんと反論・反証できなかったと思われる場面はたくさんありました。
 以前もこのブログで述べたことがあるように、人権教育の担当をし、セクハラ問題の啓発パンフレットの作成に携わったり、セクハラ事例を取り上げた研修ビデオの選定を担当した経験から、セクハラには敏感だったつもりです。40歳頃に肝臓を壊し、禁酒したこともあり、酒席への参加も減り、嫌がる部下を飲みに誘うこともなくなりました。それでも、長年、男性優位社会を生き抜き、古いタイプの母親に甘やかされ家事など一切しないで育ってきた私には、セクハラと親和性の高い感覚がひょっこりと表面化したことがあるはずなのです。
 ですから、セクハラ防止のためには、もっと厳しいルールが必要なのではないかと考えるのです。非難されることを承知でいいますが、主にセクハラの被害を受ける女性のためだけでなく、悪人ではないがセクハラへの理解不足からセクハラ事件を起こし、前途をふいにする男性たちのためにも、です。教委に勤務していたときに、生徒に対して、部下の教員に対しての「非意図的セクハラ」によって処分を受けた教員や校長を何人も見てきたからです。子供の人権を守る場である学校で、人権の大切さを教える学校で、子供や保護者をの信頼関係が支えとなる学校で、教員が専門家同士として尊敬し合い学び合うことが必要な学校で、どのような形であれセクハラは、学校の教育機能を崩壊させてしまいます。
 私の知る限りでは、「青年団」並のルールさえ、決めている学校はありません。教員は、PTAの懇親会で母親にお酌をしてもらう、こんなことにも違和感を感じるようでなければならないのです。

 

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