ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

知っているのに知らんぷり

2018-04-22 08:27:18 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「知っているのに」4月12日
 『不適切発言で更迭』という見出しの記事が掲載されました。『厚生労働省は11日、報道機関への「是正勧告」など不適切な発言を繰り返した東京労働局の勝田智明局長を更迭』したことを報じる記事です。記事によれば、不適切とされたのは、『「何なら皆さんの会社に行って、是正勧告してもいい」「皆さんの会社も労働条件に関して決して真っ白ではないでしょう」などと、脅しとれる発言』ということです。
 確かに問題です。公権力をもつ者が、その権力を使って脅していると受け取られても仕方がありません。そう思う一方で、この発言については、もう一つ別の問題が潜んでいるように考えます。
 それは、労働局本来の職務である不当な労働実態を是正するという点から考えたとき、報道各社における不適切な労働実態を知っている、あるいは疑っている状態にあるにもかかわらず、何もせずに見逃しているのではないかということです。テレビや新聞といったメディアで取材活動等に従事している方々が、過重労働状態にあるということは、常々指摘されているところです。記者などが自らそうした状況を、自虐的に、そしてある種の誇りをもって語られていることも珍しくありません。
 私のような門外漢が、「知っている」ことなのですから、労働局の職員が問題意識をもっていないはずはありません。だとすれば、知っていて知らぬふりをしているということになります。大きな事件があれば、取材中に定時退社するわけにはいかないのは理解できます。ドラマなどでは、徹夜続きで取材に当たる記者が描かれることも少なくありません。いちいち杓子定規に査察や指導をしていては、世の中の仕組みがうまく回らないという、大人の知恵なのかもしれませんが、それでよいのか、という疑問を感じてしまうのです。建前だけ掲げておいて、実際には柔軟な運用ということで、骨抜きにしてしまうというのは、我が国で特に顕著にみられる悪弊ではないかと思うのですが。
 実は、学校教育でもこうした「建前と柔軟な運用」が見られるのです。大雪が降った翌日、子供たちが授業中なのに、雪を集めて雪だるまを作り、雪合戦をしています。校長室の窓からそうした光景を見ている校長は副校長に、「怪我をしないように、それから雪を校舎内に持ち込んで濡らさないように、風邪をひかないように濡れた服は着替えるように、注意しておいてください」と伝えます。
 これは、校長が自らの職務である教育課程の管理を放棄している行為である可能性が高いのです。1週間の授業内容については、前週末に教員が週案簿を提出し、校長が認め印を押し決裁するという過程を経ることで授業が認められるのです。何らかの事情で授業の予定を変更するときには、校長に申し出て理由を告げ、承認されることが必要です。しかし、教員はそうした手続きを踏まずに、今日の1時間目の国語の授業は5時間目の学級活動の時間と入れ替えて、1時間目は雪合戦をしよう、と宣言してしまうのです。
 もし、この雪合戦で子供が怪我をし、損害賠償を求められたとき、学校側は、教育課程の管理が適切に行われていなかったことの責任を追及されることになります。単に管理下で怪我をさせてしまったというケースに比べて、校長も担任も、より重い責任を問われるのです。
 教委には、学校現場の実情に詳しい指導主事がいます。彼らは、大雪の翌日、いくつかの学校でそうした「違反行為」が行われているだろうと思っています。しかし、それでは各校を手分けして巡回して調べることもしなければ、校長に電話して調査報告を求めることもしません。「知っているのに知らんぷり」するのです。私もそうでした。
 雪合戦ぐらいのことで五月蠅く言うな、と言う人もいるかもしれません。しかし実際には、他にもこうした「違反行為」が行われていることをほぼ確信しながら、気付かないふりをしていることは少なくないのです。かつての学校は、勤務時間内に教員がバレーボールの練習をしていたり、練習後に校内でビールを飲んでいたり、公費で購入した紙で親睦会の旅行のしおりを作っていたり、休日に校長の許可を得ずに校舎内に入って仕事をしたり、そんなルール違反が横行していたのです。そして教委は知っていながら知らない振りをし続けてきたのです。
 もちろん今は、上記のようなあからさまな違反行為はありません。でも、教育課程届や管理規則とは異なることが堂々と、あるいはひっそりと行われていることを知っていて見逃している事例はあると思われます。あまり厳格に取り締まると、教育活動が円滑に進まないという言い訳の下に。融通が利かない人間である私は、そんな慣行が許せない室長だったのですが、煙たがられました。学校という場に、裏と表があるのは望ましくないと思うのですが。

 

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