「丸投げ禁止」7月10日
『政策なき移民の拡大』という見出しの特集記事が掲載されました。記事によると我が国は、『2016年の統計では、1年間で日本に移住した外国人は42万人、ドイツ、米国、英国に次ぐ世界第4位で、すでに事実上の「移民大国」』なのだそうです。そうした現状を受け、それでは増え続ける外国人移住者の子供たちへの教育体制はどうなっていくのか、というのが私が注目した点でした。
記事には、『外国人の子どもが、障害児らを対象とした特別支援学級に在籍する割合は、日本人の2倍以上』であり、『日本語で返事ができないなどの「言葉の壁」が障害の産むと混同されているため』だという記述がありました。また、『(本国では)レベルの高い学校に通っていたのに、日本に来てから言葉の壁で学習の機会と意欲を失い、本人も臨まない道に進んでいく子』がいるという指摘もありました。さらに、『日本語力ゼロで来日した子どもの教育が地域と学校に丸投げされてしまう現実がある。本来なら国が一貫した日本語教育のシステムを整えるべき』という専門家の提言も紹介されていました。
実態については、私が教委に勤務していた頃の経験から納得できるものでした。言い換えれば、この10年余り、ほとんど状況は改善されてはいないということです。専門家に指摘ももっともです。私は日本語教育についての知見は持ち合わせていません。ただ、人権教育の一環としての外国人差別の問題の中で、外国人子女に対する日本語指導に触れると共に、中学校夜間学級の担当として、日本語の読み書きができない成人外国人に対する授業をたくさん目にしてきました。その実態は、まさしく「丸投げ」でした。
日本語指導に特化した教員免許はありません。教委にも専門家はほとんどいません。都教育委員会のレベルでも日本語指導の正式な担当はなく、それぞれの区市の状況に応じて、区市教委レベルで試行錯誤しているのが実情でした。私も指導主事になって上記の事業を担当するようになって初めて経験し知ることばかりでした。多くの教員の努力でなんとか細々と続いてきた日本語指導は、結局、日常の意思伝達レベルがゴールでした。
学校に入学してきた子供たちは、半年もすると、小さなトラブルに自分で対処できる程度の日本語力を身に着け、学校生活も安定してきたように見えてきます。しかしそれは表面的な見方なのです。小学校でさえ、授業を理解し、授業に参加し、学ぶ喜びを実感するためには、様々な抽象的な概念を表す言葉の習得が必要です。構造、社会、多数決、証明、仮説、比喩、活用、判断、評価、状況、時系列、義務、責任、恩、犠牲、歴史、公害、議論等々、授業で使われる言葉の中には、子供の日常生活では使われないものが多くあり、こうした言葉の意味やニュアンスを理解し、使いこなせなければ学習内容を理解することは出来ないのです。
こうした言葉はいくら子供同士で遊んだり、係り活動をしたりしても、定着しにくいのです。考えてみてください。先に挙げた言葉をポルトガル語やスペイン語で説明できる大人が我が国にどれだけいるかを。ちなみに私は一つも言えません。
記事には、1年間に42万人の移住者がいると書かれています。その中に何人の学齢期の子供がいるかは分かりませんが、10万人として、これを平均的な1学級当たりの人数で割ると4000学級となります。4000学級に一人ずつ担任を置けば、4000人となり、一人当たりの人件費を厚生年金負担分まで含めれば、700万円近くになります。合計で、280億円です。毎年、人件費だけでこれだけ教育予算が増えていくのです。もっとも、年間4000人も、相応しい人材を確保できるとも思えないですが。
つまり、大学等における人材育成のための課程を創設するところから始めれば、必要な予算はさらに増えていきます。政府にそれだけの覚悟はあるのでしょうか。そうそう、もっと経済的な方法があります。学習に必要なレベルまでバージョンアップした通訳機能をもつスマホを、移住者の子供全員に配布するという方法です。これならば、数年後には寄り少ない予算で実現可能かもしれませんが、研究は進んでいるのでしょうか。文科省が主導すべきだと思うのですが。
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