ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

2つのキーワード

2023-04-03 07:57:16 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「学校も」3月27日
 専修大教授武田徹氏が、『活字に託す「対話」の場』という表題でコラムを書かれていました。その中で武田氏は、永井玲衣氏の著書「水中の哲学者たち」、荒木優太氏の著書「転んでもいい主義のあゆみ」、谷川嘉浩氏の著書「スマホ時代の哲学」を紹介しています。内容についてはもちろんですが、特に30代で『物心ついたときにインターネットがあった世代』ある3人が『活字メディアの書籍という形式を選んだことに改めて注目したい』としているのです。
 次にその理由について考察し、『常時接続のネット環境はあふれる刺激で人々の関心を吸い寄せ、哲学に必須の熟慮の持続を邪魔する』『答えを急がずに立ち止まる力を重視するプラグマティズムは(略)間違い=転ぶことを排除せず、漸進の糧にしようとする。それは僅かな間違いに対して糾弾の大合唱となるネットと全く逆の姿勢』だと結論付けていらっしゃいます。
 そしてコラムの最後では、『静かに思考する文化』を守ることの大切さに言及なさっているのです。私は武田氏のコラムから、今後の学校教育が大切にしなければならないことを2点気付かされました。まず、ネットでは、些細な間違いすら許されないという指摘にはハッとさせられました。
 私は指導主事のときに、望ましい学習過程についてレジュメにまとめ、教員への指導助言に使っていました。その中に試行錯誤するという過程を織り込んでいました。武田氏のような高邁な考えがあったわけではなく、ただ単に、授業下手な現役教員時代の自分の授業実践に、最も欠けているものは何かという反省から「試行錯誤」という概念を導き出しただけでしたが、試行錯誤=失敗や間違いこそ思考を深めるということで、図らずも重要な要素となっていたのです。
 また、ネットが熟慮の邪魔をするという指摘も重要です。ネットで必要なことを検索し答えを出すという学習だけでは、熟慮が欠け落ちてしまいます。ネットやAIに頼らず、自分でじっくりと考える、それもできるだけ外部からの情報に晒されない静かな環境で、という配慮が求められるということです。そうした場を、事前に且つ意図的に授業の中に位置付けておくことが教員の務めになるのです。
 試行錯誤と熟慮、授業構成を考える際に、教員はこの2つのキーワードを意識してほしいものです。

 

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