ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

すごい!

2019-06-12 08:05:13 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「醍醐味」6月7日
 社会部編集委員滝野隆浩氏が、『「家族頼み」でいいのか』という標題でコラムを書かれていました。『余命わずかな1人暮らしの人の個人情報は、どう聞き出せばいいのだろう』という書き出しで始まるコラムは、末期がんの女性の死についての「ゴタゴタ」を紹介しています。
 彼女は『保証人のおばにはすべて話してある。でも、連絡するのは私の呼吸が止まってからにしてほしい』と頑なな態度を取ります。担当医師は、契約しているという葬儀社、役所、警察を巻き込んで死亡診断書の扱いについて検討します。さらに、死亡後、「おば」に連絡すると、実は従姉妹でした。しかも、「死後の対応については聞いていない」とのこと。やっと父親がいたことを聞き出し、連絡すると、近くには妹が住んでいることが判明、という次第で、その妹とも2年間会っていない状態…。
 滝野氏は、『女性はウソをついていたのではない。ただ、身内に頼り切りたくなかったのだ、と思う(略)この国の制度が「家族」を前提にしている、と感じた』と述べ、医師に『現場の医療機関を惑わせる制度はおかしい』と告げるのです。
 私もそう思います。子供のいない夫婦2人暮らし。どちらかがなくなった後、私かつれあいは、頼る人もない一人暮らしになるのですから、他人事ではないからです。でも、私がこのコラムを取り上げたのは、そんなことではありません。滝野氏に宛てた医師の返信メールが「すごい」からです。
 『これを面倒だなと思うのか、緩和ケアの醍醐味と捉えるかは、人それぞれでしょうね』。すごいでしょう。感動しませんか。
 私は、面倒事を迷惑だと感じる人間です。教員時代も、教委に勤務するようになっても、ずっとそうでした。当然、面倒を掛ける子供を好きになれませんでした。様々なトラブルを起こす教員を冷たい目で見ていました。自分自身大した人間ではないくせに、そうした人々を非難する意識をもち続けていたのです。
 でも、よく考えるまでもなく、教員による理解や支援を必要としているのは、迷惑をかける子供なのです。極端なことを言えば、一度も教員に迷惑をかけることのない子供にとって、教員など必要ないのです。それなのに、本当に教員を必要としている子供を問題児視し、冷たく接し、そのことでさらに支援が必要な子供を追い込んでしまう、そんな教員が私だったのです。
 指導主事になり、教委に勤務するようになったとき、指導主事は教員を指導し支援する職だという心構えでいたはずなのです。それなのに、「10年も教員をしてきてあんな授業しかできないのかよ」と突き放していたのも私なのです。
 もっとも、私にも弁解があります。それは、そんな教員、指導主事は私だけではなかったということです。多数派とまでは言いませんが、決して珍しくはなかったと考えます。それだけに、上述した医師の醍醐味発言は「すごい」のです。子供に面倒を掛けられ、必死に対応してひと段落ついたとき、「ふぅ、これが教員の醍醐味だな」とつぶやける教員に憧れます。
 
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