ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

鼻先に人参を

2016-10-30 08:20:53 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「視野が広がる」10月24日
 『兼業容認企業広がるか』という見出しの記事が掲載されました。ロート製薬が兼業容認を打ち出したことを受けて、兼業容認の広がりや課題をまとめた記事です。記事によると、ロート製薬は兼業について、『社内では得られない経験をすることで成長し、自立した社員を育成する』という効果を期待しているそうです。他の企業や専門家の中にも、『視野や人脈の拡大、自己研さんにつながる』『働き手それぞれが自分のキャリアを意識しながらけっけんちを積み上げる必要があり、兼業容認は自然な流れ』という肯定的意見があるようです。
 私は大学を卒業して以来教員として、その延長として教委の幹部職員として社会人生活を送ってきました。他の世界を知りません。そのことに劣等感を感じているのも事実です。しかし、兼業兼職を禁じられてきた職にあり続けたこともあり、複数の職を持つ生活というものがイメージできないのです。
 ところで、公立学校の教員に兼業が認められるようになったら、学校は変わるのでしょうか。これは決して単なる空想ではありません。現に、外国では、長期休業中には教員に給与を支払わない代わりに、自由に他の職に就くことを認めている事例があります。こうした制度導入の理由は、教員の視野を広げるといった前向きなものではなく、財政上の理由から教員の人件費を節減することが狙いです。
 我が国の政府も自治体も財政難に悩んでいます。公立校の教員の人件費はどの自治体でもかなりの巨額になります。ですから、人件費をカットする代わりに兼業を認めるという施策が導入される可能性は、将来的にはかなり高いと思われるのです。
 また、今から50年程前には、勤務時間終了後家庭教師のアルバイトをしている教員は実際にいましたし、私立校の教員の中には、家庭教師代の方が教員としての給与よりも多いという強者もいたのです。ですから、教員と兼業というのは馴染みやすいという側面ももっているのです。
 教員が兼業として、塾の講師や家庭教師になる場合、採用に有利になる肩書きは、いわゆる「名門校」の教員であるということでしょう。小中学校の教員の場合でも、学力テストの結果が地域でトップというような学校の教員であれば、採用した塾にとってアピールポイントになります。実際には、学力テストの結果は教員の授業力よりも地域や家庭の経済力や保護者の学歴等に左右されるのですが、多くの保護者はそのようには考えていないので、教員のブランド化が進むはずです。
 このことは、学力テストの結果が教員の副収入に結びつくということで、議員や首長の中には、教員の鼻面にニンジンをぶら下げ、自己研さんを促す効果ももたらすと、都合よく考える人たちが現れそうです。つまり、公教育の質的向上策の一環としても、兼業解禁が進められる可能性があるのです。
 しかし、教員が塾の講師や家庭教師を兼業するというのでは、兼業のメリットとしてあげられていた「視野を広げる」「人脈を広げる」といった効果は余り期待できません。異業種の企業、企業と家業、企業とNPOというような異なった場での就業こそが、兼業推進の本来の意図を満たすものであるはずですが、それは難しそうです。
 一方で、教員への影響は様々考えられます。教員異動で特定の学校への希望集中、その反対に問題校への忌避。実技系の教員といわゆる主要教科の教員との溝の拡大。問題行動への対応等、時間外の生活指導への対応力欠如。年休消化率の極限までの上昇がもたらす校務への支障などです。これは、教員の指導力という資源を、公教育から塾や家庭教師に移す、別の言い方をすれば、塾に通わせ家庭教師を雇うことができる富裕層の子供向けに移すという新たな不公平、格差を生むことにつながるのです。
 我が国の行政の体質として、教員の兼業容認が持ち出されてくるとき、人件費抑制という本音は隠され、教員の視野を広げ、学校の常識は社会の非常識といわれる現状を是正するといった「綺麗事」が掲げられる可能性が高いはずです。そんな美辞麗句にだまされないためにも、教員の兼業の功罪について、一人一人が考えておく必要があります。

 

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