ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

非言語コミュニケーションを悪用

2023-11-20 08:04:26 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「言質を与えない」11月16日
 専門記者田原和宏氏が、『ウクライナを忘れないで』という表題でコラムを書かれていました。その中で本筋とは関係ないのですが、気になる記述がありました。『コミュニケーションに占める言葉の割合は3割程度(略)「メラビアンの法則」というのもある。相手のメッセージがあいまいな場合、重視するのは話の内容が7%、声や話し方が38%、表情や仕草が55%という。コミュニケーションは多様な要素で成り立つ』というものです。
 どこかで聞いたことがある内容です。一般的には、この話は、たとえ口下手でも、誠心誠意話をすれば、真意は相手に伝わるというようなニュアンスで用いられることが多いように思います。
 ですが、改めて考えてみると、とても恐ろしいことだという気がしてきました。例えば、いじめや不登校の相談に訪れた保護者に対応する教委の職員という場面を想定してみます。保護者の教員や学校に対する不満の訴えに対し、言葉を濁し、曖昧な表現に終始し、言質を与えず、教委の責任を回避するような内容を繰り返す一方で、声のトーンや話し方、表情や仕草で保護者への共感や同情、力強い協力などを感じ取らせるような「演技」をすれば、保護者は教委が自分たちの味方になって有効な手立てをとってくれると錯覚し、満足して帰ることになるかもしれません。しかし、その職員は何もしません。後日、再び訪れた保護者が苦情を言っても、「私はお話を伺っただけで、何もお約束はしていませんよ」と言われてしまうのです。確かに、そのときの記録を見れば、確たる約束はしていません。そんな事態を起こすことができるということです。
 その職員とはお前のことか、という声が聞こえてきそうですが、そうではありません。ただ、こうした言葉以外の要素でのコミュニケーションとは、ある意味詐欺師が巧みに使いこなす術に近いという気がするのです。そこまで言うのは言い過ぎとしても、苦情対応のベテランが身に付けた術というくらいであれば言い過ぎにはならないでしょう。
 そして、子供と教員の間の会話においても、同じことは言えるのです。子供の立場にたって親身に考えているようなポーズがうまい教員というように。私がひねくれているのかもしれませんが、記憶をたどると、教員でも校長でも指導主事でも、そういう人はいたような気がします。
 口下手でも、話すべき内容を頭の中で整理して相手に正確に伝えようとする、そのために日頃から話す内容を事前にメモする、自分が話したことを録音して振り返るなどの努力をする、そんな姿勢が教員には必要な気がします。それこそが誠実というものです。

 

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