「できない」9月20日
人生相談欄で、作家高橋源一郎氏が、57歳女性の娘についての相談に回答していました。短大を出た24歳の娘が就活をしようとせず、現在は無職、やりたい仕事を問うても黙り込むだけ、育て方が悪かったのか、という相談です。この相談に対する回答は、『どうして卒業と同時に就職しなきゃならないのか、やりたい仕事がなければ、できる仕事でいいのか。本当にやりたいことって何だろうか。わからないまま仕事についていいのだろうか』などの悩みを抱えて苦しんでいる娘さんを『(あなたは)さらに追い込もうとしています。なにをやっているんですか。真剣に悩んでいる娘を、あなたは、ほんとうの病気にしようとしている。いちばん近くにいて、理解してほしい母親に責められる。どうして、自分の子どもを黙って受け入れてやれないのです。なぜ娘での味方ではなく社会の味方をするのですか』というものでした。
高橋氏の言いたいことは分かります。でも難しいのでは、と思います。教員の職務の一つに進路指導、あるいは進路相談があります。高校受験も、就職も人生における重要な選択という意味では同じです。そして、受験においても、徹底して考えていくと、「学ぶって何?」「自分が学びたいことって何?」「どうして中学校を卒業したらすぐに高校にかなければいけないの」などという「本質的な問い」に直面します。実際に15歳の生徒がそこまで考えて悩むことはとても少ないですし、そのような問いを持ち出す場合も、受験という目の前の苦しみや不安から逃避したいという気持ちの方が強いケースがほとんどです。
受験の準備もせず、どのような道に進みたいのか尋ねても黙り込む生徒に対し、「○○さんは、~が好きだと言っていたじゃないか」「○○さんが…していたときにはとても楽しそうだったけど」「△△高校はどうだろう。以前○○さんに似た先輩がいたけど、△△高校で楽しくやっているみたいだよ」などと声を掛けるのは、生徒を追い込んで病気にしてしまう愚行なのでしょうか。
それとは逆に、「悩むよね。人間にとって学ぶってどういうことなんだろうね」とだけ言ってじっと見守っているのが望ましい進路相談ということになるのかというと大変疑問です。保護者はもちろん、生徒自身もそんな見守りを望んでいるのでしょうか。私の見聞きした経験からすると、そんな事例はほとんどありません。
子供の成長には、受容してくれる身近な存在が必要ですが、示唆し方向付けてくれるものの存在も欠かせません。保護者や教員は、そのバランスが求められるのです。極論は無責任に通じるように思えますが。