ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

ねーねー

2003年08月01日 | ゆきちゃんの日記
昨日の夜、ねーねーが帰省してきました。

再会が苦手なゆきちゃんも
ねーねーとの再会だけはもう平気になりました。

ただ、お土産を期待していたのに
ねーねーが手ぶらで戻ったのにはちょっとご機嫌斜め!(笑)

いつもよりは冷たいゆきちゃんでした。(笑)


この日はいつもお世話になっている
子ども医療センターで夏祭りがありました。

お疲れのねーねーは家において母と二人で出かけました。

汽車で30分、乗り物に乗ると
いつも車窓からみえるいろいろな会社の建物に目を奪われる由紀子。


テレビの宣伝に出てくるロゴが大好きなんです。
カメラでいくつかの建物の写真を撮りました。

さて、夏祭りの会場に着くといろいろなお店が開かれていました。

たこやきにかきごおり、ヨーヨーつりに綿菓子・・・・

ヨーヨーつりは2つも上手に吊り上げて
ウキウキのゆきちゃんです。


=END=
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ゆきちゃん通信 No19 その2

2003年08月01日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2003年8月16日発行
ゆきちゃん通信No19


☆ 新しい学校☆


ゆきこが転校したのは長崎の西町小学校です。
住宅街の中にある静かな学校です。
担任の先生は5組(特殊学級)がK村先生、3組がS木先生、
共に男の先生です。

新しい環境で不安定な由紀子をどう受け入れたら
安定できるか二人の先生がたくさん話し合いを重ねて
工夫をしてくださいました。

突然パニックを起こす由紀子に戸惑う事も多かったと思いますが、
その度にどうしてパニックを起こしたのかを私に確認をとりながら
一つ一つ対応を考えてくださいました。

そんな先生方の姿は子ども達にもどんどん反映して、
初めの頃は由紀子の独特の世界に戸惑っていた子ども達も
いつの間にか接し方を学習して
由紀子を包み込んでしまいました。

由紀子の方も初めの頃は爪から血が出るほど噛んで
不安を紛らわせていましたが、
1学期が終る頃には学校の中にしっかり居場所を見つけて
以前のように笑顔で過ごせるようになりました。



ある日S木先生が

「みんなは由紀ちゃんをかわいいと言うけれど、
それは妹のような感覚でかわいいのか?」

と言う質問をクラスの子ども達にすると、
みんなは当たり前のように

「友達としてかわいい」

と、答えたと言います。

「バリアフリー」・・・その本当の意味を子ども達
に教えてもらったような気がして、
転校先にこの学校を選んで本当によかったと心から思いました。


教材を変えてもらって家庭科の授業にも参加しています。


☆ 性教育☆

早いもので由紀子も10歳になりました。

障害のせいで行動が幼い為
ついつい小さな子どものような扱いをしてしまいがちですが、
最近、思春期特有の不安定さが目立つようになりました。

身体の変化も近いかもしれません。

由紀子にその変化をどのように教えたらいいのか・・・
それが、この1年ほど私の最大の悩みでした。

いろいろな講習会に参加をしたり、
相談をしたり、私なりに努力をしてきましたが、
なかなか糸口がつかめずにいました。

でも、転勤を期に由紀子の主治医の先生が
性教育をしてくださる先生を紹介してくださいました。

現在は月に1度のペースでゆっくりと性について勉強をしています。

今はプライベートゾーンについて・・
人の身体には他人に見せてはいけない部分があるという事を
繰り返し、繰り返し教えてもらっています。

普通なら5年生になれば
自然と着替えの時に他人に裸を見られないように工夫するのですが、
由紀子のような障害を持つ子は回りに人が教えなければ
羞恥心はなかなか育たないようです。

学習を始めて2ヶ月おかげさまでお風呂上りは
脱衣所でパジャマを着なければ居間に出てこなくなりました。

たまに私がのぞきに行くと胸を隠して
「見ないで!だめよ!」
と独特のアクセントで言います。

まだぺっちゃんこの胸ですが、大切な場所です。O(*^▽^*)o

まだ、本当の意味が解った訳ではないでしょうが、
ゆっくりと自分の身体を大切にする事を
解ってほしいとねがっています。


写真は医学自習用の赤ちゃんのお人形を抱かせてもらって
愛しそうな由紀子です。


自 傷 行 為

4年生になった頃からでしょうか、
由紀子の生活の様子がだんだん変わってきました。

音に対する過敏さがひどくなったり、
内面から沸き上がって来るようなイライラで急に泣き出したり、
自分で感情のコントロールをするのが難しくなって来たようです。

そして、5年生になった今
ストレスを感じると自分の拳で頭をガンガン叩くようになりました。
自傷行為の始まりでした。

自閉症の人には自傷行為をする人が多い事は知識としてありました。
でも、まさか由紀子が
そうなるとは思っていなかったのでショックでした。

由紀子本人が一番辛い事は解っていますが、
そばで見ている家族もその光景を見るのは
とても辛くて悲しいものです。

腕をつかんで止めさせても抱きしめてやっても
その場しのぎで根本的な解決方法ではありませんでした。

そこで、主治医の先生に相談をして
生活そのものから見直す事になりました。

写真を使って1日のスケジュール表を作って
生活のパターン化を図ったり、
必要以上にテレビをつけないようにしたり、
寝入りばなに一人でいると不安定になりやすい事が解ると
添い寝をして気持ちを安定させるようにしました。

添い寝については正直、
せっかく自立させたのに・・・という思いもありましたが、

先生の

「今は自立よりも自傷を起こさない事の方が大事。
後退したものはまた取り戻せるから・・・」

という言葉で今は自傷と向き合っていこうと気持ちを決めました。

その家族の協力と努力のおかげで
外因性のストレスからの自傷はずいぶん少なくなりました。

でも、まだ内面から起こるイライラからの自傷は続いています。

これは由紀子が成長をして自分でコントロールできるように
ならなければ治まらないのかもしれません。

だんだん変わっていく由紀子の自閉症を前にして、
由紀子が抱えている障害はこんなにも
辛くて生活しにくいものだったのかと
今さらながら思い知らされたような気がしている母です。



編集後記

転勤をして長崎に来てから
懐かしい人たちにたくさん会う事ができました。
療育センターでお世話になった先生方、
一緒に療育をがんばったお母さんたち、
そして、毎年キャンプでお世話になっているボランティアの皆さん・・・
もう何年も会っていない方もたくさんいたのに
皆さん時間を感じる事なく声をかけてくださいました。

それは間違いなくこの通信のおかげでした。

いろいろな所でお世話になった皆さんに
いつまでも由紀子の事を覚えていてほしいと思って
発行を続けてきたこの通信でした。

そんな私の思いが皆さんに伝わっていた事に
感激しています。

今度は福江でお世話になった皆さんに向けても
この通信を発行して行かなければ・・・
そう思っています。

でも、そのわりには発行が遅いではないか・・
と、お叱りを受けそうですが、
これからもがんばって発行をしたいと思っておりますので
どうぞお許しを・・・(笑)
tomi



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ゆきちゃん通信 No19 その1

2003年08月01日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2003年8月16日発行
ゆきちゃん通信No19



我が家はこの春、
由紀子が生まれ育った福江を離れ長崎へ移り住みました。

もっと早くに通信を出すつもりでいたのですが、
転校という大きな生活の変化と思春期で揺れる由紀子の事を
支えるのに必死でなかなか通信を書く余裕がありませんでした。

でも、早いもので新しい学校での生活も
夏休みを迎えようとしています。

やっと学校の中に居場所を作り上げた感じがします。

今回の通信は福江の思い出と長崎に来てからのゆきこの変化、
そして家族の戦いをお伝えします。

久々の発行という事で今回も2枚つづりになりました。
読むのが大変だと思いますが、よろしくお付き合いください。


旅立ち

三月三十一日、
私たちはフェリーで福江を発ちました。

早朝の出発だというのに港には学校の先生方やお友達が
たくさん見送りに来てくれました。

今まで由紀子は先生方をこの港で何人も見送りました。

悲しい別れもたくさんありました。
でも、今度は由紀子が見送られる番です。

その事をどれくらい理解できるのか・・・
説明はしたものの自信のないままその日を迎えてしまいました。

船の上からみんなに手を振る由紀子の姿は
ちゃんと理解しているようにも見えましたが、
船の中でみんなにもらったプレゼントを楽しそうに広げる姿は
まるで旅行に出かけて、数日後には元の生活に戻れると
信じているように見えました。

新しい生活が始まった時に由紀子がどんな反応を示すのか
不安が一杯の旅立ちでした。

でも、船はもう出たのです。
後戻りはできません。

行くしかない!
後は何とかなるさ!

そんな気持ちの母でした。

でも、あれから3ヶ月が過ぎて思うのですが、
あの時、由紀子はやはりちゃんと現実を理解していたと思います。

あの日から福小のことを全く話さなくなった由紀子でした。

それはいつも、大切な人とお別れた後に
思い出を心の中に封じ込めてしまうのと同じ方法です。

福小での思い出も心のどこかにしまい込んで
しっかり鍵をかけてしまったようです。

辛いことから自分を守る為に由紀子が身に付けた
悲しい心の整理の仕方です。

でも、その鍵もそろそろ開かれる予感がします。

先日、H田先生に頂いた色紙を見つけ出した由紀子が
みんなの写真を見ながらこっそりと
一人ずつ名前を言っているのを聞いてしまったのです。(笑)

それは転校して今の生活が安定してきた証拠かもしれません。

夏休みにはO田先生と再会の約束もあります。
先生に会ったときにどんな反応を示すのか、
とても楽しみな母です。

その時の様子はまた次回の通信でお伝えしたいと思います。


O田先生ありがとうございました!!

写真は4年生の時に5組の担任をしてくださったO田先生との記念写真です。

4年生の時には母がまめに通信を発行しなかったので
O田先生との思い出をあまりお伝えする事ができませんでした。
反省しています。

先生に受け持っていただいたのは1 年間でしたが、
一日一日がとても穏やかで楽しい1年でした。

その短い時間の中で由紀子の新しい可能性をた
くさん引き出していただきました。

紙に絵を描くことが苦手だった由紀子が
何か行事があるたびに絵を描くようになった事には
感激の母でした。

由紀子が描いた絵を見て私が誉めると
「そうやろう?すごかやろう?」
と親ばかの私以上にいつも誉めてくださいましたね。(笑)

その作品の中でも自画像の版画は
長い時間をかけて作り上げた作品だけに
表情のかわいらしさは最高でした。(また親ばかですが・・・。)

そして、持久走大会の前には
毎朝、由紀子をひっぱって走ってくれましたね。
いつも、何をするときでも必ず一緒にがんばってくれた先生。

由紀子を成長させる為にはどうすればいいのか
身をもって教えていただきました。

由紀子だけではなく、
いろいろな事で精神的に疲れていた私を
支えてくださったのもO田先生でした。

小さな事でくよくよ悩んでいた私の相談に
親身になってのってくださって、
時には一緒に泣いてくださいましたね。
先生本当にありがとうございました。



転校する時にT田先生が下さった色紙です。

なつかしいお友達の笑顔がいっぱいです。

何をする時にもいつも誰かが由紀子の側にいてくれました。

4年前小学校は特殊学級に入れようと決めた時に
一番不安だったのが子ども達との関係でした。

でも、その心配は全く無用でした。

優しかった福小の子ども達には心から感謝しています。
みんなありがとう!

そして、H田先生には思春期に入って
難しくなった由紀子を交流学級で支えて頂きました。

授業中に突然泣きだしたり、
我ままを言って先生を困らせる事も度々でした。

その様子をクラスの子ども達に聞くたびに
本当に申し訳なく思いながら
由紀子の変化に戸惑うばかりでどうすることもできない母でした。

なのに「お母さん大丈夫ですよ!」といつも笑顔で答えてくれた先生。
由紀子が3 組の中に居場所を持ち続けられたのは先生のおかげです。
本当にありがとうございました。


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