上越新幹線が11月15日で開業四十周年を迎えます。
昭和57年、1982年の事でした。そのためにテレビのインタビューを受けます。
収録は前日の14日ですが、一人で撮影場所を探しに行きました。
ここは交通の要所。新幹線は魚沼トンネル、上越線は中山トンネルのそれぞれ入り口。
中山トンネルも複線トンネルで大きいのですが、魚沼トンネルに比べると小さい。
少し遠めですが、山の中から上越新幹線の堀之内トンネルが見えます。
こちらは延長が3.3キロほどですが地盤が悪くて難工事でした。
当時のスベルベは仕事の担当が保線から土木へと転換教育の真っ最中。
工事現場第一線の見学という事で、堀之内トンネルの掘削現場にも入らせてもらえた。
驚いたのは砂利層での難工事と、地下水の湧水量の多さです。我が家の近くの川が枯れてしまうほどでした。
大きな橋は上越新幹線の橋梁で「魚野川橋梁」と言う名前。
当時では最新のディビダーグ工法で、橋脚から左右に「やじろべえ」方式で伸ばされた。
その下にも鉄橋が見えますが、上越線の「第四魚野川橋梁」です。
この辺りは地形上交通の集中する要所で左方、山の上は関越自動車道が通っています。
カメラを構えていると新潟行きの特急列車が通過しました。
車両の先頭付近の下に、当時スベルベ達の現場監督員詰所のプレハブが建っていました。
おおらかな時代で、業者持ちで冷蔵庫がありいつも冷たい飲み物で満たされていた。
そして、「無くなったらいつでも言ってください」なんて言われていましたからね。
テレビは地元のUXテレビです。まだ放映予定は分かりませんがインタビュー翌日の開業記念日でしょう。
スベルベのインタビューが不調だったら放映されないかもしれませんが。
>上越新幹線が11月15日で開業四十周年、おめでとうございます。鉄道に関わって来られたスベルベさんの歴史でもありますね。道路などは何か大きい出来事があると急に進歩するものですが何かあったのでしょうか。私が田舎に居たのは1969年頃までで上信越道も関越道もまだ開通していなかったのですがその後長野冬季オリンピック(1998年)のために長野松本道が出来たり単線だった高速が複線になったりとかなりの進歩がありました。
スベルベさんのインタビューの放映は地元のTVだけでしょうか。チラっとNHKとか。
水上から長岡に転勤願を出すと、保線テーブルに空きが無くて、土木工事の担当になりました。
そして、新たに土木の仕事に就くという事で転換教育があり3か月ほど学園に入り学びました。
その際に第一線の工事現場を見学させていただく機会を得て来たのがこの付近だったのです。
長野と言えば、替佐までリンゴを買いに20年以上も通いましたが、最初は117号線も道は悪かった。
それも新潟県側は良くて「そちらは角栄さんが付いていますからね」なんて言われていました。
そして、お話しの様に長野オリンピックが実現したときから、交通インフラは大改良でしたからね。
テレビはUXテレビと言う新潟にある地方局4つのうちの一つです。
全国版には載らないのかと思いますが放送されるようでしたら再度アップしてお知らせしましょう。