ジャガイモ飢饉(その2)
しかし、二の腕ともされていた李克強首相は更迭気味に、習近平の側近とされている李強に交代させられた。首相選出には全3千票近い投票数のうち、3票の反対票、8票の棄権があったと報じられた。この結果に習近平主席は仏頂面を見せたという。
世襲の独占専制・強権的国家の朝鮮人民共和国は言うに及ばず、法律を変更して多選を続けるロシア然り、昔に戻ったかのような国家が依然存在している。(政治的混乱が続く、または時折起こる自由主主義諸国も似たようなものかもしれないが)
いま、参院選挙が賑やかだが、そこで、思うのが先のジャガイモ飢饉の例である。収穫量が多い(自分に従順な配下が多い)特定の品種だけを生産していたのでは、一旦疫病的な現象が起きたら、一気に破綻、飢饉状態に陥る。
日本も20世紀に入り、世襲政治家が総理大臣に就任することが多くなった。日本を取り巻く環境は厳しくなり、多難な状況が続いているが、政治的、思想的に一色に染まらない、染められない私たちは、かの国々に比べたらまだ幸せなのかもしれない。自由に意見が言えるのだから、参院選では個々に意思表示をしたいものだ。
(終わり)
衆院選に比べて参院選は関心が無いと言う方もいらっしゃいますね。町では「子供連れで選挙に行こう」なんて今から子供にも選挙に関心を持ってもらえるようキャッチフレーズを作って投票を呼び掛けていますが結果はいかに。私はすぐ側の図書館が期日前投票所になっているので畑に行く前に寄って済ませました。畑の帰りだと汗びっしょりになってしまいますものね。
同じ品種ばかり作ってジャガイモ飢饉ですか。母の実家は専業農家でリンゴまで大々的にやっているのですが家の方針というか考え方というか昔からですが、みんなで農業をしていても飢饉の年には大変だから家族のうち誰かが勤め人である事、という決まりがあって最近北海道から引き揚げて来た従妹一家ではその従妹のご主人が農業には従事せず会社員になっています。最近の気候は不安定ですからいい事かもしれませんが、みんな違ってみんないいのですね。
しかし、最後の一節が期待から不安に変わってしまいました。
まさに、大衆迎合の人気取り政策や、発言を主体とする政党が伸びちゃいましたね。
児童会、生徒会の選挙じゃないのだから、もっと責任のある意見、発言が欲しかった。
国民の何となく不満、何となく不安という気持ちがそんな方向性を結果として出してしまった。
ポピュリズムは色々な解釈、訳語がありますが歴史に学ぶ必要が今の日本人にも必要なようです。
大勢の家族の全員が同じ仕事をするのではなくて、リスクを避けるために別の職種も加える。
全くその通りだと思います。まさにジャガイモ飢饉に陥ってしまうリスクがありますから。