(例年ならば、今ころは雪に埋もれている石碑もご覧のとおり)
記録的な小雪・大雪考(その1)
令和二年の正月は雪が少なくて雪国魚沼の人間にとっては、雪かきの心配も無い楽な年明けだった。
しかもその後も雪は降らず、十五日の小正月も近くなると少なかった雪が消え晩秋のような風景になった。
これならば山の畑への道も雪が無くて行けるかと思い、広域農道に軽トラを乗り入れた。
山の畑、字上の原地域の標高は二一〇メートルから二三〇メートルほどで下島付近とは百数十メートルの標高差があり、
雪はまだ消え残っていた。
それが、一月末には平地も山の畑でも積雪は全く消え、土が現れた風景が出現する驚きの事態になった。
雪が無いと商売にならないスキー場や、除雪作業に当たる人たちの苦渋、苦労も想像に難くない。
そして、直接除雪に当たらなくても、除雪用品や暖房器具、衣料品の販売にも少なからぬ影響がみられているようだ。
しかし、一般家庭では雪が少ないのは有難いこと。これ幸いとばかりに家の中の片付けに精を出すことになる。
特に溜まりに溜まった本や雑誌の類に手を付け始めて骨を折ることになった。
要不要の判断も難しく、なかなかエイヤーっとばかりには片付けられない。
その古い書物の中で18年前に亡くなった父が残した堀之内老人会の会報誌「年輪」に目を奪われてしまった。
先人の知恵や経験談が宝の山のように埋もれていたのだ。
(続く)