喜劇な日々

名古屋の劇作家、鹿目由紀のほんの少しだけ喜劇的な毎日を、綴ります。

想うことは数あれど

2007-07-27 02:23:26 | 日々のこと
母方の祖父が、亡くなった。

夜、あおきりみかんの制作会議に顔を出している最中だった。
じいちゃんといえば、日本酒を温めるポットのような物を思い出す。
子ども心に、あのポットは魔法のランプのように魅力的に見えた。
病気になる前、夕飯時にはいつも晩酌していた。
じいちゃんといえば、漆塗りの仕事部屋だ。
仕事中はそこに籠もって、食事の時以外出てこない。
時々気になり、襖をほんの少しだけ開けて覗いてみる。
黙々と器を塗るじいちゃんが見える。
あの部屋で働くじいちゃんは、鶴の恩返しの鶴のようだった。
「由紀ちゃん、来たのか」
正月に帰ると、会津訛りで優しく言うじいちゃんの顔が、頭から離れない。
じいちゃんは、鳥羽伏見の戦いに行った会津藩の子孫だそうだ。
慎ましく、無口で、けれど優しいじいちゃんは、紛れもなく会津藩士である。

一昨日、成瀬巳喜男の『めし』を観た。
目が離せなかった。ぐっと来てしまった。大好きな作品である。
この原節子はかなり人間くさい。原節子から一時も目が離せないのである。
彼女から、何気ない日常の中に立つココロの波が、深々と伝わる。
男ってヤツは…と呆れながら、女ってヤツもねぇと頷いてしまう。
夫婦というものが、その会話のやり取りや目線から、活き活きと見えてくる。
夫役の上原謙。誰にでも優しい態度が妻を苦しめることに気づかない様が「いるいるこんなヤツ」と思いつつ腹立たしくて最高だ。
夫婦の間を悪気なく引っかき回す姪役の島崎雪子のオンナ感が、また小憎たらしくて最高だ。
さらに、原節子の母役の杉村春子の包容力に惚れ惚れする。
それぞれの存在が、それぞれの気持ちをあぶり出す。

それから同じく成瀬監督の『女が階段を上る時』。
これもまた好き。高峰秀子はどうしてあんなに美しいのだろう。
高峰秀子主演の成瀬作品を三本観たが、どの彼女も全く違う。
「女が~」におけるバーの雇われマダムには、物凄く共感した。
女は一人で、ある世界を生きていくためには、強くあらねばならない。
意志も態度も何もかも。簡単に倒れない、倒されない体と心。
けれどその実、底の方では、強さをぶち壊してくれる誰かを常に求めている。
ぶち壊した先にある、頼りない弱さに気づいてくれる誰かを探しているのだ。
女の体は心であり、心は体であり。
強さ弱さを見事に体現する高峰秀子。
女であり、ある世界を生きている私は憧れざるを得ない。

気の持ちよう、というのは本当である。
ちょっとした出来事で、すべてが薔薇色に見えたり灰色に見えたり。
簡単なもんだねぇと思うのだが、仕方ない。だって、簡単なもんなのである。
昨日は何色だったのか。確実に、ある一色に染まっていた。

明日は、会津に帰ります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿