イエス・キリストを信じて救われることの意味
(1)「イエス・キリストは
ロゴス(神の言)である」とヨハネ伝は説く。
ウィキぺディアには
ロゴスの解釈の2番目に次のようにあった。
1.キリスト教では、神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストを意味する。
(2)ヨハネ伝はさらに
「神の言によって世ができた」と述べている。
(3)さらにヨハネ伝は、
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」と述べ、言(ロゴス)の受肉をうたい、肉体において、人間となってつかわされたロゴス(言)を「イエス・キリスト」に見た。
(4)人間が救われるのは、イエス・キリストのロゴス(神の言)であることを、信じることによってであると、ヨハネは書いている。イエスは「わが名を信ずる者は永遠のいのちを得ん」と何度も述べたが、“名”というのは、自分の本体つまりロゴス(神の言)のことをいう。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
【「序詞」(ヨハネ伝1章1~18)の中心題目は、「言」であり、「言」が肉をとって歴史の中に現われたことである。「言」は永遠なるもの、神とともにあり神であった。その「言」が歴史の中にはいってくることにより、人間との関係が打ち立てられた。それは一回かぎり、しかし永遠に打ち立てられた。それは、言の受肉によってである。このようにして、命と光とがこの世に現われ、信ずる者はすべて「神の子」となる力が与えられた。このことについて「あかし」を立てたのが、ヨハネであった。】
(5)結論として、キリスト自身が説教したように、イエス・キリストが神の言であることを信じた人は救われる、というのである。言はわれら全ての人に宿っているのであるから、自分が“神の言”であることを信じた人は救われる、ということであり、谷口雅春先生が『ヨハネ伝講義』でお書きになったことと一致する。