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完全なるものがあるのみ

2018-02-15 18:32:23 | 日記
さっき神想観をしたら
自分の本体が“仏性”それ自体であり、
自分の環境世界つまり現象世界は
それの展開であることが
分った。
聖経『天使の言葉』は言う。
「汝らの先ず悟らざるべからざる真理は、
『我』の本体がすべて神なることなり」と。
完全なるものが、
ただあるだけなのだ。
しかも無限向上しながらである・・・

コリント人への第一の手紙

2018-02-15 11:26:22 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第3章>
まことの知恵(3・1-17)
1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。
3 あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。

基本的神想観は念を使った霊的自己治療にも併用できる

2018-02-15 09:28:42 | 日記
まずは谷口雅春先生の以下のご文章をごらんください。
(参考 生命の実相第8巻 無限生命に汲む道 105頁)
【肉体のいずこの部分にもせよ、その形を維持している念の力に変化が起こりますれば、その部分の肉体的状態が変化するのであります。われらの肉体に病的状態があらわれているのは、われらのその部分に関する念が病んでいるのでありますから、その部分を実相の念にて浸潤せしめればその瞬間に肉体は変化し始めるのであります。実相の力は肉体的生命の底深く横たわっているのですから、実相の力が開かれてあらわれますと、肉体はただちに実相本然の力に促されて回復しはじめるのであります。こうなれば治るまいと思っても治るほかはないのです。】
以上雅春先生がお書きになっているように
基本的神想観は
実相を顕わすのが目的であるが、
病める箇所の自己治療にも
使うことができます。
これにはまさに
神様に対座した真剣な神想観において
祈りが雑念が除れて霊感に充ち
現象的なことを思わなくなった時に
基本的神想観にて行います。
霊化している時の念でないと
効き目は薄いのです。
「神の無限の生かす力自分のうちに流れ入る流れ入る」と
念ずるその際に、
まさに、
神の生かす力(霊)が鼻から吸う“生き”(息)として
自分の患部を癒しつつあると
“想う”必要がある。
その想いの力(コトバ)も使わねばなりません。
観の霊化と念を体に行き渡らせる想念が
自己治療の鍵となります。
神の念(霊)が
病所(闇=病み)を消して
実相(健康)が顕われ出るのです。