まずは谷口雅春先生の以下のご文章をごらんください。
(参考 生命の実相第8巻 無限生命に汲む道 105頁)
【肉体のいずこの部分にもせよ、その形を維持している念の力に変化が起こりますれば、その部分の肉体的状態が変化するのであります。われらの肉体に病的状態があらわれているのは、われらのその部分に関する念が病んでいるのでありますから、その部分を実相の念にて浸潤せしめればその瞬間に肉体は変化し始めるのであります。実相の力は肉体的生命の底深く横たわっているのですから、実相の力が開かれてあらわれますと、肉体はただちに実相本然の力に促されて回復しはじめるのであります。こうなれば治るまいと思っても治るほかはないのです。】
以上雅春先生がお書きになっているように
基本的神想観は
実相を顕わすのが目的であるが、
病める箇所の自己治療にも
使うことができます。
これにはまさに
神様に対座した真剣な神想観において
祈りが雑念が除れて霊感に充ち
現象的なことを思わなくなった時に
基本的神想観にて行います。
霊化している時の念でないと
効き目は薄いのです。
「神の無限の生かす力自分のうちに流れ入る流れ入る」と
念ずるその際に、
まさに、
神の生かす力(霊)が鼻から吸う“生き”(息)として
自分の患部を癒しつつあると
“想う”必要がある。
その想いの力(コトバ)も使わねばなりません。
観の霊化と念を体に行き渡らせる想念が
自己治療の鍵となります。
神の念(霊)が
病所(闇=病み)を消して
実相(健康)が顕われ出るのです。