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コリント人への第一の手紙

2018-02-24 15:45:25 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第4章>
使徒の生活態度(4・1-13)
6 兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロにと当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。
7 いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。

現象人間は不生不滅、完全なるもの

2018-02-24 15:29:18 | 日記
実相のアサガオはアサガオの理念であるから
この世に生れることもなければ
この世から滅することもない。
同様に人間の本体である人間の理念、
即ち実相人間は
この世に生れもせずこの世から滅することもない。
つまり人間の実相は不生不滅である。
さらにアサガオの理念が完全である如く
人間の実相も完全なるものである。
人間は完全から出ているから
本来が完全なものである。
ウォーキングから帰って来て
このブログを書いている。

「いのち預けます」という気持ちで実相観をする

2018-02-24 09:59:25 | 日記
自分のいのちを
神様に預けてしまえ、
というのが、
神想観の究極かと思います。
雅春先生は
濡れタオルがぶら下がっている譬えでお話しなさいましたが、
神様に自分のいのちをお任せして
神癒が起こったケースが
大聖師御講義『続々甘露の法雨』には
いっぱい載っています。
「実相は即ち吾れ、吾れ即ち実相』と念ずるときも
ただ念ずるのではなく、
「いのち預けます」という気持ちで
念ずると効果があります。
多分実際にいのちを預け切った時点で
人間我が神我に代わり、
神癒が起こるのです。

現象ナシで“神のいのち”のみある

2018-02-24 09:56:44 | 日記
現象は一切なく
神のいのちのみある、
ということかと思います。
現象はナイということは
今ここにあるリンゴがフッと姿が見えなくなったとして
そのリンゴの代わりに
見えないけれども“神のいのち”がそこにある、
ということかと思います。
だから現象が輝いて見えたという信仰者もいるのです。
現象世界の事物は
全部同様に“現象ナシ”で
代わりに“神のいのち”があるわけです。
人間の心の奥の奥に
“神の子・神の国”があるのであり、
それが五官を通して時間・空間世界に展開されているわけなので、
五官的にアルと見える現象世界も
実は“神の子・神の国の世界”即ち実相世界であり、
時空世界は神がつくった認識の形式であるので、
俳優(実相人間)が演じている舞台設定(認識の形式)そのものを外せば、
つまり認識の形式としての現象をナシと観るならば、
神の子・神の国が厳然として
あることになります。
認識の形式を外して観ることは難しいのですが、
現象の姿をあるままでナイと仮定して
そこに眼には見えない実相(神の理念)ありと想えば、
現象世界は
実相世界同様神の国が根底に存在していると分ります。
現象がそのまま神なのでなく、
現象がどう現れていようとも、
現象の奥に実相世界(神の子・神の国)が
存在しているということになります。