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やはり「真理は汝を自由ならしめん」である。

2018-02-23 18:09:31 | 日記
アサガオの理念である実相が
円満完全であるように
人間の本体である実相人間は、
“神の心”であり“神のコトバ”であるが故に、
現象人間の肉体も
人間が実相をみない心(迷い心)で虚を顕わすことがあったとしても
本当は実相を離れたことはなかったのであった。
人間の心の奥の奥に
実相世界は実在していて
それは円満完全大調和世界だ。
現象世界がメダルの表であるとしたら
その裏側はピタリと神がはりついていて
その神の世界が実相世界だ。
現象世界は実相世界の写し世である。
即身成仏の世界であり、自分自身の実相の延長世界だ。
やはり「真理は汝を自由ならしめん」である。
真理が深まるにつれて
私も自由になっている。



コリント人への第一の手紙

2018-02-23 11:04:05 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第4章>
使徒の生活態度(4・1-13)
4 わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。
5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

物質的思考の放棄

2018-02-23 09:42:35 | 日記
普通の人間と同様の相対的思考をされていた谷口雅春先生が、
神になられたのは、
生命の実相20卷にあるお悟り以来であることは、
皆さまご周知のとおりで、
始めから生命の実相にある内容を
現象的には体現されていたわけではありません。
私は昨日
神想観で「実相は即ちわれ、われ即ち実相」と念ずるのを
徹底的にやらなければ実相は顕われないし、
徹底的にやるということは、
現象我の完全放棄であるから、
これが肉体を十字架に架けることと同じで
現象の否定であり肉体の否定であり、
時間空間の交叉する一点に帰一することなんだなと
分りました。
そして私もその肉体を十字架に架けることを
やろうと決意しました。
でも肉体の死は一度は誰もが経験するわけだし、
神想観で肉体を十字架に架けることは、
実相のいのちの復活ということですから、
むしろ喜ばしいことであり、
物質に執着する現象的思考は
そうしがみついて放さないような
大した思考でもないのだと思い到っております。
むしろ物質ありの思考は
私にとっては生きる喜びをはばむものであり、
生きることの素晴らしさを
感じ得ない思考なんだと考えています。
やらざるを得ない時には、
物質的思考を放棄するしか仕方ないです。