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実相に関して知るのは霊の力によってである

2018-02-13 12:09:37 | 日記
実相について少しずつ人間が分って来るのは、
実相の知恵が人間我に代わってくるにつれてである。
それに連れて病気が治るとか、
環境が良くなってくるのである。
つまり人間我が除れると
神我が、霊の力が増してくるのだ。
以下はパウロの言である。
【コリント人への第一の手紙
<第2章>
まことの知恵(2・6-16)
9 しかし、聖書に書いてあるとおり、
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心に浮びもしなかったことを、
神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」
のである。
10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか、それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。】 

コリント人への第一の手紙

2018-02-13 11:55:51 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第2章>
まことの知恵(2・6-16)
12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。 

基本的神想観による自己治療について

2018-02-13 10:30:08 | 日記
基本的神想観という観法で、
病める肉体の箇所の自己治療は可能だ。
でも“生命の実相”の真理が
体得できた割合に応じて肉体の良化ができるのであるから、
そして生命の実相の深い悟りはそう簡単ではないから、
医学的治療は受けながら、
そして薬も服みながら、
基本的神想観で
実相を顕わす副次的効果としての自己治療を
一生懸命行うのが
安全な方法ではある。
物質の法則は神の法則の従位にあるから、
神(実相)が顕われれば
神の子が実現するわけで、
病気は真理によって消えるという事実は、
『大聖師御講義続々甘露の法雨』の
おびただしい数の体験談を読んでも本当である。
でも私がここで言いたいことは、
基本的神想観によって自己治療が可能であると
いうことである。
ただ機械的にマニュアルどおりに実習すれば、
不健康な肉体の部分が治るなどと
安易な言い方はできない。
まず神想観は
神様と自分とが一対一で
誠実に対座せねばならない。
さらに神想観が、
つまり神の子が父なる神に対して行っている神聖な祈りである、
という感覚になる必要がある。
自分でも神想観が霊的な状態に変化したと
感得できる必要がある。
そうなると
「神の無限の生かす力流れ入る流れ入る流れ入る」と念じ、
神の息(生き)が自分の体中に流れ込んでくると観じる所で
霊の力によって
治療が為されるのである。
(参考 生命の実相第8巻 無限生命に汲む道 105頁)
【肉体のいずこの部分にもせよ、その形を維持している念の力に変化が起こりますれば、その部分の肉体的状態が変化するのであります。われらの肉体に病的状態があらわれているのは、われらのその部分に関する念が病んでいるのでありますから、その部分を実相の念にて浸潤せしめればその瞬間に肉体は変化し始めるのであります。実相の力は肉体的生命の底深く横たわっているのですから、実相の力が開かれてあらわれますと、肉体はただちに実相本然の力に促されて回復しはじめるのであります。こうなれば治るまいと思っても治るほかはないのです。】
なお私は本気で病気を基本的神想観で治すために
毎日実習している方々のために、
2,3私の留意点を随記したい。
自壊作用は、真理が分ってくるにつれ
現われたり消えたりするものであるが、
総じて
より神想観を深く継続して行くと消えてしまう傾向がある。
つまり自壊作用は消えるものである。
基本的神想観と「実相は即ち吾れ、吾れ即ち実相」と念じる実相観は、
両方が相乗効果を示してくれるから、
その時々に応じて、どちらも使う柔軟さで観法を行うのが有効だ。
そうするとどちらの観もより成功する。
また真理を深く知った度合いに応じて神癒が成されるから、
聖典読み、聖経読み、愛行は欠かせない。
「真理は汝を自由ならしめん」である。