実相は吾れなのは当り前でした 2018-02-04 22:11:50 | 日記 「実相は即ち吾れ、吾れ即ち実相」と 神想観で念ずることについてなのだが、 本来“実相(神の子・神の国)”と 自分とは一つなのが実在なんだから、 ただ、本来の在り方を念ずるだけの話で、 当り前と思って念ずればよいのだと たった今気がついた。
コリント人への第一の手紙 2018-02-04 18:10:39 | 日記 コリント人への第一の手紙 <第1章> 分争への警告(1・10-17) 13.キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか。 14.わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。 15.それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。 16.もっとも、ステパナの家の者たちには、バプテスマを授けたことがある。しかし、そのほかには、だれにも授けた覚えがない。
毎晩心がけてやっていること 2018-02-04 17:52:01 | 日記 “現象はなくてあるのは実相のみである” ということになると 現象的なことは心配したり心で掴んだりせずに ただひたすら 実相を顕わすことだけに 心を集中させればよいと いうことになります。 実相というのは「神の子・神の国」であるから、 実相が顕現してきたら、 自分にとって 地上天国が出現するわけです。 以上のことを目標にして、 私は 夜4回か3回、 神想観をまとめてやっているわけですが、 その中の1回は 「実相は即ち吾れ、吾れ即ち実相」と念ずるのみの神想観を やっているわけです。 完全な全托です。 これは 自然にこういう形になってきたのであって、 神様に導かれて、 こうなったてきたのです。 だから感謝の気持ちで、 しっかりとやるつもりです。