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吾輩は猫である

2009年07月21日 | 本との出逢い

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんばんは。

今日は結構キツく雨が降っていました。大雨による被害も報告され始めています。

災害、天災は、いつ何時、どこで起こるかわかりません。注意していても意味がないかもしれませんが、アンテナを張って、感度を良くしておくに越したことはないと思います。

 

 

 

 

『吾輩は猫である、名前はまだ無い。』

 

あまりにも有名な一文で始まるこの小説。

皆さんご存知のとおり、夏目漱石氏の『吾輩は猫である』です。

私は今この本を読んでいるところです。

 

吾輩は猫である、

でも、吾輩が猫であるかどうかは、あまり関係がないように感じます。

途中から、吾輩が猫であることよりも、それ以外のことが多すぎるからです。

 

 

しかし、

私のこの感想は大きく大きく間違っていました。

重松清氏、茂木健一郎氏曰く、

『この無駄なところを踏まえて、長編小説と呼べる』そうです。

逆にこの、『無駄なところがないと、吾輩は猫であるではない』と。

こういう寄り道を経て行かないと、最後に辿り着けない。辿り着いたとしても、無意味なものになってしまう、と。

 

この両氏の本を読んだとき、「小説とひとつに括っても、奥が深いものなんやな」と思いました。

長編小説というのは、『人生の縮図のようなもの』であると思います。

人生においても、無駄なことがいっぱいあります。もう、嫌になるぐらい。

後で振り返ってみると、「なんちゅう無駄なことをしてたんや」と、思うときなんてザラです。

でも、その

無駄なことがあったからこそ、そこへ辿り着いた訳で、

その無駄なことは、決して無駄ではなかった、ということです。

 

人生って、哲学ですね。

『無駄なことは無駄ではなく、無駄なことこそ重要であり、無駄なことを無駄にするから無駄になる』、という。

 

大学のときに、哲学の講義を受講していたにも関わらず、

一度も出席しないまま単位を落としました。

今から思うと、本当に悔やまれる出来事です。

いつかはもう一度大学へ行って、自分が学びたいと思った講義を受講したいと考えたりもしています。

 

 

私は今でもまだまだ十分にアホですが、

大学生の頃なんかは、もっと、『ど』が付くぐらい、『どアホ』でした。

立花隆氏曰く、

「22歳からの勉強が本当の勉強」だそうなので、

これからもっともっと勉強していきたいと思います。

自分の頭の悪さに、辟易することの方が圧倒的に多いですが・・・・・・。

 

やっぱり人生、死ぬまで勉強ですね。

 

 

 

 

 

 

 


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