ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

廃校の跡地利用について

2015年11月05日 | 日記

          

                   ピラカンサが真っ赤が実をつけています。

 新宿区ではこの数年、小中学校の統廃合が進んだ。廃校になる学校が相次ぎ、結果として校舎・校庭の利用の仕方が、地域での課題となった。課題というのは大袈裟かもしれない。なにしろ、新宿のような雑漠、稠密密集地域に地域社会などというようなものは、とっくの昔に解体されていたから、地域の課題というより、行政の課題であった。しかし、形式的には統廃合は地域の課題であるので、名ばかりの町会やら関連団体が地域を代表するものとして、廃校の利用について意見を受け入れることになった。

 その結果、私の住んでいる四谷では、PTAと町会連合が、これを地域広場として活用するという具申をして、区から認められた。その運営は、すべてボランティアによるもので、結果として選ばれた広場の会長と事務局長の、まったく献身的な活躍によって、この種の施設の運営の模範ともなる成果をあげて今日に至っている。私もメンバーの一人として、週1回、この広場で2時間ほどお手伝いをしている。

 ところで、この地域広場はもう8年を経過し、10年目の借用の更新を迎える段階に至っている。先だって関係者が集まって、現状の報告検討会があった折、ちょうど施設を統括する立場にある区の出張所長も臨席していたものだから、この更新問題について私の考えを述べてみた。

 私が問題にしたのは、円満な更新の継続ではない。全く逆に、この種の公共施設を借用する場合、運営が順調だからといって、単に延長するべきではなく、一旦、地域社会に返還すべきではないか? 延長するとしても、再度、地域の意向を汲むべきだ、ということであった。

 いうもまでもなく、私の意見は全くの孤立無援、参会者からは何をとぼけたことを言っている、と一蹴されてしまった。

 希薄な地域社会にあって、そこに返還するというのが、まったく現実味がないことは百も承知だが、こうした手続きを重要視することこそ、地域社会を実体化していく上で不可欠なことではないのか、というのが私の考え方の動機であった。民主主義というのは中身も当然のことだが、形式を重視することが根本だ。無意味だと思っても、必要な手続きを経緯することが、偏りの歯止めになることを知るべきなのである。とくに箱物施設のような公共物にあっては。

 利用の定かでない公共の施設がつまらぬ既得権益となって、永続的に使用されるという事態はなんとしてもさけたいものだ。バブル期に建てられた施設などの利用に特にそう思う。【彬】

 

  

 

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