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ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

リニアの実現とその成果に期待

2024年05月19日 | 日記

          黄色いバラ

 川勝静岡県知事の辞任に伴い、東京と中部、関西を結ぶリニアモーターカーの開発をめぐって新たな筋道がついたようだ。だが論議は依然錯綜気味である。工事推進派は、知事のクレームで頓挫していることに、呆れ返っていた。民間であるJRのこととはいえ、一種の国家事業であるから、一地方の知事が出る幕は、別のところではないか、とも。
  一方、静岡県内の地方都市では、自然保護の観点から、川勝支持の動きがあるようだ。一部識者も、この開発に反対を表明している人もいる。ともあれ、知事の辞任で、工事はようやく進むようだが、完成は大分遅れることになる。
 結局、この開発では、環境面だけでなく、土木、建設他、経済的、地形的な様々な矛盾を抱えており、意見が錯綜しているということになる。
 そこで思い出すのは、村上一郎「日本軍隊論序説」である。明治維新後、日本は近代化を進める上で、軍隊の果たした役割は極めて大きかった。軍隊の編成無くして日本は近代化できなかったのだと指摘しているのである。たとえば、軍靴。それまでは日本人は靴の生活ではなかった。軍隊が靴の生活を一般人にもたらしたこと。そして皮革業が栄えたこと。靴だけではない、衣服や食品も同じ。さらには、言語=話し言葉が、東北と九州でも共通化していった。つまり今日の生活マナーの統一は軍隊が先導したということ。軍隊は、戦争や差別、強権のいわば諸悪の根源だと述べる人がいるが、確かにそうではあるものの、軍隊の果たした社会的役割を見落としてはなるまい。
 これは日本だけのことではない。西欧列強でも同じである。アメリカでも同じ。小川寛大「南北戦争」の中でも武器や服装をめぐる南北の差が明記されている。北軍が勝利することで、アメリカは、衣服から何やら統一されたのである。
 私たちが現在親しんでいるテレビも軍隊なしには考えられない。テレビを開発したのはアメリカ軍であり、その目的は映像によっての新兵の軍事教練だった。それまで口頭だったものが、映画を使うようになり、さらにテレビに発展していったのである。そのインテリジェンスはもちろんスパイに応用され、今日に至っていることは周知の通り。インターネットも軍事産業から生まれたものである。
 話が横道に逸れてしまったが、リニアのような巨大、かつ先端的な事業は、直接的な役割だけで成否を判じることはできない。スピードアップして、飛行機より早く目的地につけること、とかが問題ではない。たとえば、リニアになることで架線はいらなくなる。そのことだけでも大事件だと思う。現在の交通システムがガラリと変わることになる。
 環境面も同様。地表部は電柱などが撤去され、自然性が復活できる。水源が心配というのなら、いくらでも地盤を変更できよう。築堤し水路を変更することと同じである。
 将来、技術の高度化なしに私たちの生活の進歩はあり得ない。宇宙ステーションや月面調査など、直接的な利益は求めようがないが、この分野も私たちの将来を左右する科学の成果になる。ぜひリニアに成功してもらいたいものである。その成功による技術発展は人類の果てしなく拡がる未来のはずである。【彬】

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太陽フレアと冷夏

2024年05月13日 | 日記

          バラ

 

 「日本時間5月8日(水)10時41分以降、現在までに、太陽黒点群13663および13664で大規模な太陽フレア8回を含む複数回の太陽フレアの発生を確認しました。」と宇宙天気予報が発表しました。

 磁気嵐が吹いて、通信機能が働かなくなるのではなどと、心配されている。

 それより私が心配なのは天気に及ぼす影響である。温暖化どころか、冷夏がやってこないか。科学的ではありませんが、磁気嵐が吹くと、地球上では雲が発生するとの説があります。夏、雲が発生すれば、気温が下がります。冷夏です。

 冷夏で思い出すのは、1993年の冷夏。これはフィリピンのピナツボ火山の大爆発で大気に大量のエアゾルが滞留したせいだとされています。その折の農作物、米の不作は大問題で、タイ米などを急きょ輸入、これを強制的に買わせて米不足を凌いだ体験が昨日のように思い出します。

 無知故の杞憂であることを願いますが、太陽の黒点の活動と気候の関係を、専門の気象学者に解説してもらいたい。オーロラが出たと喜んでいる場合ではないのではないか。【彬】

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早野龍五さんに学ぶ

2024年05月08日 | 日記

          マーガレット

 私は自然科学に全く疎い。

 おそらく多くの人たちも同様だろう。高校の物理の時間など授業に出てもほとんど理解できず、居眠りしていたと思う。ただ自然科学者の書いたものは、面白い。例えば、ファラデー「ローソクの科学」、中谷宇吉郎「雪の結晶」などを思えば良い。

 ここに、紹介する早野龍五先生は世界的に名を馳せた東大の物理学者である。その博士の物理の話ではなく、科学者が日常の中でなにができるのかを述べた書物で、『「科学的」は武器になる』(新潮文庫)という書物が感動的である。

 早野先生は2011年の東北大震災の原発事故について科学者として早くから関心を寄せ、福島に出向いて、独自の活動をしている。持ち前の知見から、各所から意見やコメントを求められ、一時は政府の機関に招聘されたこともあった、という。しかしそれらは全て断って、今、科学者がすべきことはなんなのか、その役割を追い求めていった。その活動の一端が本書に書かれている。一節をそのまま、引用しよう。

「科学的には無意味でも、社会的には意味があるというものがある。それがベビースキャンです。実際に計測をして、初めて納得できるということは多いのです。これは、2015年以降、約1000万俵中、基準値超えゼロが続いているお米の全量全袋検査にしても同様だったと思います。

 科学的には必要のないベビースキャンは、コミュニケーションの道具であり、社会を円滑に回すためのツールです。子どもを検査に連れてくる親御さんが何に不安を感じているかを、これをきっかけに問診の中で聞くことができるようになりました。

「水道水は使ってもいいですか?」

「お米はどうでしょうか」

「離乳食は、母乳は安心ですか?」

 それにちゃんとお医者さんが答えると、大きな安心材料になります。もしもこの機械がなかったら、そうしたコミュニケーションのチャンスがなかったかもしれません。科学的な正しさだけが全てではない。これは、科学の世界にいる人たちほど知っておくなければならない原則です。」

   *ベビースキャン・・・乳幼児の放射線量を測る機械。乳幼児の線量が大きいと問題になっていた折、早野さんたちは乳幼児を対象として実際の線量を計測し、親御さんたちの不安に答えるために製作した装置

 

 福島の原発事故は思い返すだけでもゾッとするような様々なデマ、誤報が飛び交いました。東京には住めないといって沖縄に移転した人もいたくらいです。そんな状況の中で、科学者としてなにをすべきか、早野さんの答えが上記のような認識です。雑然としたデータではなく、精緻な器具できちんとしたデータを集積し、誤報や不安に立ち向かうこと、これが科学者の社会的使命だというのです。

 難しい物理の話は分かりませんが、科学者とはどういう活動をしている人なのか、理解できる本です。【彬】

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テレビがうるさい

2024年05月05日 | 日記

              満開のツツジ

 歳をとってテレビ漬けになる人がいるが、私は逆にテレビがうるさくてたまらない。音がうるさいのではなく、放送内容、編成の仕方がうるさい。
 例えば、バラエティ番組。出演者は大騒ぎをすればOKなのか。何やら剽軽なことを言っては、高笑いをする。女性がである。しかも大口を開けての大笑いである。
 ドラマもたまらない。演出は役者の顔を大写して誤魔化す。テレビの草創期でNHKの大河ドラマを演出していた和田勉は、映画との違いに触れて、テレビは画面が小さいから、情景ではなく主人公の大写しで対抗するしかない、と言っていた。当初はそれで良かったろうが、今でも延々と役者の顔を映すだけである。しかも、セリフが日常性丸出し。ドラマとは言ってみれば、日常に対する非日常であって、文章体のような役割をする。いわば、ドラマの根幹である。日常用語でドラマを見聞していても仕方ない。
 スポーツ番組も嫌だ。アナウンサーが応援団よろしく盛り上げる。なんのために解説者がいるのか。解説者ももっとスポーツの根幹を勉強してほしい。また、NHKはなぜ多くの時間を大リーグの放映に費やすのか。この放映権料は莫大だと思う。大谷がいくら活躍でも毎試合放送する必要がどこにあるのか。
 ニュースも同様。画像に囚われ過ぎて、実相が不分明だ。
 このように、ほんとにテレビはうるさいのだ。なら、テレビをつけなければいいのではないか、と思われるが、テレビは個人のものではない。家族と共有している。だから私は食事などが済んだら、別室に引きこもってドアを閉める。テレビが新聞などの活字メディアとの違うのは、読み飛ばしたりできないことだ。しかもSNSの画像と違って早送りできない。
 テレビとの付き合いが難しい。【彬】
 

 

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スポーツウォーキングのすすめ

2024年04月30日 | 日記

               赤と白のオオムラサキツツジ

 今、高齢者の間では、健康のため歩くことが奨励されていて、今日は5000歩、昨日は7000までいったとかが、話題になっている。スマホなどで、歩数が測られるようになって、従来の散歩という概念から、ウォーキングという考えに移行しつつあるようだ。
 清浄な空気を吸って、辺りの風景を探索しながら歩くのは、ウォーキングというより散歩とか散策というほうが適切だと思うのだが。
 とは言え、私は今、仲間と一緒にスポーツウォーキングと名付けた活動に加わっている。単に歩くことと何を区別して、スポーツウォーキングというのか。
 歩くことは誰でもできる。人間は歩くことで進化してきたとも言える。だから歩く動きには、大げさにいえば、人類の歴史が詰まっている。あらゆるスポーツも歩くことを基本として成り立っていると言っても過言ではない。走る行為は歩きを早める動きであり、投げたり、打ったりする動きも、歩く動作を部分的に強化した行為だとも言える。だとすると歩き方には人間の動作の基本中の基本が隠されているとも言える。一流選手の歩き方にはクセがない。
 スポーツウォーキングというのは、だから、歩き方に人間の動き方の基本を見ようとするものである。変な歩き方でも歩けるが、最も合理的で、理に適った歩き方があるはずだ。それを求めることが健康増進はいうまでもなく、美的にも適っているのではないか、と考えるのである。
 街中ですれ違う人たち、随分変わった歩き方をしている。年配になると余計目立つ。ガニ股、内股、猫背、横向きなど様々である。背筋をシャンと伸ばし、肩の力を抜き、まっすぐ一本線を歩くようになりたい。
 そんな歩き方をしようとするのがスポーツウォーキングである。
 今日、服装は自由になった。服装に左右される歩き方からは解放された。理に適った美しい歩き方を求めること、これを私たちはあえてスポーツウォーキングと名付けている。【彬】
 

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