goo blog サービス終了のお知らせ 

はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

『メアリと魔法の花』

2017年07月19日 | 映画
2017/07/19


『メアリと魔法の花』を見てきました。

「メアリと魔法の花 公式サイト」

宮崎監督の作品が大好きで、ほとんどロードショーで見ている私は、
米林監督の作品も見ずにはいられません。

私は好きでしたよ。
とてもよかったと思います。
期待は裏切らなかったと思います。

スタジオポノックの第1回長編作品とあっては、
とても力を入れていたことが感じられる作品でした。

背景の美しさ、魔法学校の様子や魔法の道具のアイディアも楽しい。
ドキドキも、空を飛ぶ浮揚感、疾走感もありましたしね。

ジブリ作品には必ずメッセージがあって、
この作品にも勇気を持つことや一緒にやろうというメッセージがある。
そして、魔法はないのだよ、物事を変えるのは自分の力でしかないというメッセージも。

その主人公を女の子が受け持つということが好もしかった。

宮崎監督のアニメは女の子が主人公になることが多い。
そのことについて宮崎監督が、以前、語っているのを読んだことがあります。
『崖の上のポニョ』の頃だったように記憶しています。

どこで読んだのか忘れましたが、その主旨に共感したのを覚えています。

男の子を主人公にすると、戦いや勝ち負けの物語になってしまう。
もうそういうのはいらない。
戦いはたくさんだ。
戦争をやって勝つことが正義であるということを、映画のテーマとするのはどうなのか。
女の子を主人公にすると、そうはならない。
だから女の子を主人公にするんだ、 と。
(私の記憶ですので、言葉はこのとおりでないかもしれません)

そして、今回の映画「メアリー」では、重要人物の伯母様、魔法学校の校長も女性。
本当に女性が物語を動かしていく存在でしたね。

注目すべきは、男性の描かれ方。

メアリーの近所のピーターという少年。
以前の物語だったら、このピーターが活躍して、メアリを救うところですが、
この映画では、ピーターは真っ当な考えを持つ少年ですが、いわば無力なんです。
メアリーに助けられる存在なんです。

昔だったら男の子がやる役割をメアリーがしていて、立場が逆転しています。

そして、魔法学校エンドア大学の科学者ドクターデイ。
この人も、以前の定型人物像だったら、力を持った存在だったでしょうに
ここでは頼りない、おかしな研究ばかりしている科学者として描かれています。

児童文学の定型として、冒険成長譚といわれるものがあります。
日常から知らない世界に冒険に出て、
困難を克服して成長し、家に帰ってくるというもの。

その役割は、前はほぼ男の子でした。
女の子は家で帰りを待っている役でした。

昔から宮崎監督は、女の子を力のある存在として描いていましたね。

ディズニーも、アナ雪の頃から多少変わってきましたね。

「美女と野獣」も最近見たのですけれど、
これもベルが物事を変えていく勇気のある存在として描かれています。
王子に力があるのではない。
王子は助けられる存在として描かれています。

このように力のある女を描くことによって、
現実でもだんだんそのようになっていってほしいと思いますね。

世界各国の男女平等の度合いを指数化した
世界経済フォーラム(WEF)の2016年版「ジェンダー・ギャップ指数」で、
日本の順位は調査対象144カ国のうち111位。


話はメアリーに戻りますが、
この作品には、ラピュタ、魔女の宅急便、千と千尋など、
ジブリ、宮崎駿氏に対する愛やオマージュが数々見られて、それもよかったです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする