「過越やキリスト受難の月はニサンと呼ばれ、旧暦の仲春二月(ニの月)にほぼ対応することから、ニサンに相当する表現として、「二(ニ)」が三(サン)個含まれる二月二二日が特別視された可能性がある。長屋王の忌日がそのちょうど十日前の二月一二日であることは、二月二二日を受難日に当てる発想を強めたかもしれない。このようにして、ニサンの月の受難日といった意味合いが、聖徳太子の忌日二月二二日には込められたのではなかろうか。」
なるほどねぇぇ、それがやっぱ真相に迫ってるんでしょうねぇぇ・・・・
ソース・出典は、こちら‘つくばリポジトリ’で、長屋王の聖徳太子 と入れて検索、で、
( こちら : https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/ )
たまWEB的には、この平山朝治氏の説、超刮目ということですがなぁぁぁ・・・・もっと、もっと超広まってほしいみたいな。
日本におけるキリスト教が入ってきた最初の記録みたいな話ですよねぇぇぇ。
時代が下って武士の誕生というのは、イエズス会士の戦闘員を、現地調達すべやぁぁみたいな話で、で、徳川軍は、オランダ新教徒戦士みたいな。
「徳川家自体が客家出自であり、彼らはその仲間の客家。九鬼も真田も柳生も皆客家、、、これが緑のカラスですが、背後には古くからイエズス会がケツモチとして存在。関が原の戦いで西軍に付いた島津、毛利が領地を減封されなかったのは、客家仲間であるが故であり、実は最初から徳川側に付いていたからであろう。
客家が日本にイエズス会を連れてきたのだから、この繋がりは当然といえば当然ですね。島津家が欧州に派遣しキリスト教を学ばせた山伏(修験道)・鮫島圓成坊がアンジロー(ヤジロウ)という日本最初のキリシタンとなって、ザビエルと共に日本にやってきた頃からの付き合い。
カソリック=イエズス会=スペイン・ポルトガルからプロテスタント=オランダに乗り換えた徳川将軍家とは裏腹に、先の客家家系はその後もイエズス会がケツモチとして維持。明治維新時には反徳川家の位置に据え置かれた水戸徳川家の血を引く慶喜によって、江戸幕府は大政奉還され幕引きされましたが、客家の朱子学に染まった水戸徳川家が影で糸を引く形で明治新政府は樹立された。これも正反合のリスク分散の賜物で、現在も徳川家は安泰。 煩悩くん フルスロットル 2017/02/14 」
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-3182.html
ところで、この教派の、現在名は、アッシリア東方教会 と呼ぶんですね。
「アッシリア東方教会(アッシリアとうほうきょうかい、シリア語: ܥܕܬܐ ܩܕܝܫܬܐ ܘܫܠܝܚܝܬܐ ܩܬܘܠܝܩܝ ܕܡܕܢܚܐ ܕܐܬܘܪ̈ܝܐ、英語: Holy Apostolic Catholic Assyrian Church of the East[1])は、サーサーン朝を経由して唐代の中国に渡り景教となった、古代のネストリウス派(東方教会(英語: Church of the East)とも呼ばれる)の流れを継承し、東方諸教会に分類されるキリスト教の教派のひとつである。アッシリア教会、アッシリア東方使徒教会、東方アッシリア教会とも。
アッシリア正教会と呼ばれる事もあるが、当該教会は「オーソドックス(Orthodox:正教)」に類する自称を用いないのでこの呼称は誤りである。
現在のアッシリア・カトリコス総主教は、アメリカ・シカゴに居住しているマル・ディンハ4世が1976年よりその地位にある。
三位一体論を支持していないと誤解される事があるが、三位一体論(ニカイア信条)は認めている[2][3]。・・・・」
英語のWiki だと違うような・・・・イラクにある教会なんでは・・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Assyrian_Church_of_the_East