横浜映画サークル

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映画『凶悪』残虐性は「人間が持つ普遍的な暗部」と描く。だが最新科学は先天的障害であるとする(その7)

2014-04-11 19:03:29 | 映画凶悪・戦争のサイコパス残虐性シリーズ

(その6)の続き。最後の(その7)です。

4、私なら原作「凶悪」をどのような映画にするか。

特記のないp**は原作「凶悪」(宮本太一、2009年、講談社)のページ数を示す。

(1)「反社会性人格障害者 対 サイコパスの闘い」として描く。

原作の構図は反社会性人格障害者(告発者G)が、何が何でも、自分の身がどうなってもサイコパス(先生)を許さない。自爆覚悟の告発p232、p235。実際にGはサイコパスを告発することで自らの死刑判決が確実になる。Gの信頼している舎弟が言う「兄貴に、最高裁まで争って死刑にならないように戦ってほしかった。余罪事件のことは前から聞かされていたけど、公表するのは思いとどまるよう、ずっと反対してきたんです。出したら、確実に死刑になりますから。でも、今回“先生”への復讐のため、どうしても事件を表に出したいという兄貴の意向があまりに強くて、こうなった。あれ以上反対できませんでした。兄貴の望みだから、しょうがありませんp283」。

反社会性人格障害者でも許せないほどにサイコパスの邪悪性はひどいものなのである。この原作、すなわち実際の構図を基礎にする。

(2)観客に、5つの魅力を提供する。                                                       

映画を通し観客に下記5つの魅力を提供する。1)~4)は、ほぼ原作通りである。5)は原作に付け加える。

1)記者がわずかな手がかりで、悪事を暴いていく、推理展開の痛快さを楽しむ。刑事コロンボのように。

2)社会に潜む悪を暴き出し、許さない。記者のジャーナリストとしての情熱、人間的魅力を、全編を通して示す。「正義の味方」というのは存在する、それがジャーナリストそのものであることを示す、原作に従えばこうなる。原作者は「雑誌だからこそできた事件報道p377」と雑誌記者の誇りを見せている。

3)“先生”と告発者Gの心理戦の緊迫感を楽しむ。裏の裏をかくやり取り。原作にはこれがある。               

4)サイコパスが最後には社会性人格障害の怒りの前に屈服する。巨悪が逃げ切れない、後味のよいものにする。原作通りである。

5)記者がサイコパスの実態を調べる過程で、鑑賞者にサイコパスがどのようなものかを知らせる。原作では“先生”のサイコパス特性が示されているが、サイコパスが行う特殊な犯罪の知見が不十分。そこで、記者が警視庁犯罪情報分析係のプロファイラーや、犯罪心理学者などに面談し知識を増やしていき、“先生”の犯罪の本質を探り当てていく過程を付加する。記者が映画鑑賞者と一緒に、サイコパスとはどのような犯罪を行う人なのかの実態を知っていく映画とする。立件できない先生が係わった11件をプロファイルし、特に原作にある藤田幸夫の家の財産が巧妙に奪われる過程や障害者藤田を自殺に追いやる過程をサイコパスの残虐性として浮かび上がらせる。

原作は、以上の5つの内容を含んだ、映画史上に残る大傑作映画を作り出すことができる可能性のある素材である。原作は、ドラマティックで、自民党幹部の暗部など貴重な内容を含むノンフィクションである。

(3)「推理展開の痛快さ」の魅力となる原作のポイント

1)告発者Gに記者が利用されているのではないか?疑問をひとつひとつ解いていく。

①死ぬのが怖くて、死刑の先延ばしのために、でたらめを言っているのではないか?

②薬物などで精神がおかしくなって、幻想を言っているのではないか?

③裁判を有利にするために利用されているのではないか?

④“先生”がGを説得し、Gの気が変わることはないか?

2)“先生”とGの内縁の妻の緊迫したやり取り:先生の証拠隠滅の狡猾さ

映画にあるユンボによる遺体運び出しだけでない、証拠隠滅に成功しているものがある。

①Gが内縁の妻に「何か有った時には開けて」と渡した「ダンボール2」:警察のガサの前に処分するほうがいいと“先生”が内縁の妻に説得。内縁の妻は“先生”を信じ、警察にばれないよう友人に遊びに来させて、友人宅へ運び保管。その後先生へ渡るp194。“先生”は見事に「段ボール箱」を処分し、証拠隠滅をした。

②ダンボール以外、資料とか何か残してないか?何度もしつこく聞いていたp196。内縁の妻がわざと「いろいろ知っていることはある。」と言った時“先生”の顔色が変わったp197。いろいろ大変だろと20万円置いていった、内縁の妻は口止め料と思ったp198。実際は、Gは「女、子供を仕事に巻き込ない」ので何も知らない。“先生”は無駄なことをしているp212。

3)宮本太一記者の洞察力の深さ

①“先生”に悟られぬように周りから状況を確認していく。核心に近づき、また遠ざかりながら、状況証拠を積み重ね、徐々にターゲットに迫ろうとしている日々p168

②“先生”が必死に回収したダンボールの中身は何か?死に物狂いで探していたのはなぜか?p199。

全体にジャーナリストが真実を暴き出す現場の迫力がある。刑事コロンボのような記者の洞察力の深さ、粘り強さ、に裏打ちされたスリリングな「推理展開の痛快さ」の魅力的場面は原作に多数ある。

あとがき

私は、小学校の3年生のころ、近くの東京都杉並区の本願寺を遊び場にしていたが、その入り口付近で、見知らぬ小学校の5,6年か中学生と思われる男子に、口の中に指を突っ込まれ、ゲーゲーやっていた。通りすがりの人が、「どうしたの」と近づいて来たので、その少年は逃げていった。今思えば、その少年はサイコパスの特性があったのではないかと思う。この件はもう50年近くが立つが、忘れられない。検診で胃カメラを口から入れることが、私の場合他の人以上に恐怖があるように感じる。鼻から入れる新型が開発されてほっとしている。サイコパスの行為は、被害者にいつまでも消せない心の傷を残す。「サイコパスは至急解明されるべき障害である。」(J.ブレア『サイコパス、冷淡な脳』2009年p22)。「サイコパスにどう対処するか、緊急の社会が解決しなければならない課題である」。映画は、これに応えるものを作ってもらいたいものである。「みんな、サイコパスだ」という的はずれなものでなく。

以上で、シリーズ最後の(その7)終わりです。長い文を読んでいただき、ありがとうございました。テッシーでした。

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