横浜映画サークル

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映画『凶悪』残虐性シリーズ(その4-15)尼崎監禁殺人(3)虐待と逃走の実態

2016-07-09 21:40:05 | 映画凶悪・戦争のサイコパス残虐性シリーズ

(その4-14)の続き。

(ⅰ)橋本次郎の亡くなるときの証言

三21回仲島証言:「の指示でつけていたおむつを替える時に、中腰になってと言ったのですが、ふらついて壁にぶつかっていました」【監禁小屋ではトイレに行けず、そのまま漏らすしかない】。検察官「それを見ては何と?」。仲島「『次郎!弱ったふりすんな!』と言ってました」。「次郎さんは『大丈夫です!』と大声で言ってました」。検察官「次郎さんは大丈夫だったのですか?」。仲島「『これ以上無理です』と言っても殴られるので」。「次の日、丸太に張りつけのまま仰向けになって、口を開いて、目を見開いたまま死んでいました」

検察官「亡くなるとき以前に次郎さんが監禁小屋へ入れられることはあった?どんな理由で」。仲島「スポーツドリンクを飲んだとか、子供の面倒を横着したとか、剃刀の刃を勝手に替えたとか、小さなことで」。【サイコパスは虐待するときに、どうでもいい理由(カラ理由)を作り出す。その理由自体に意味はない。サイコパスにとって「抵抗できない優しい人」を虐待するときの逆転快ドーパミンにのみ意味がある】

(ⅱ)瑠衣、、鄭のサイコパス化と「告げ口」システム(例13北九州監禁殺人事件と類似システム)

瑠衣、の3人はいずれも次郎さんを虐待する側になっており、サイコパス化している。22回瑠衣証言:検察官「次郎さんが監禁された理由は?」。瑠衣「私が、次郎さんが子供とトラブル(川村の子供女児12歳の胸を触ったというトラブル)を起こしているとに報告【告げ口】した。「その後次郎さんへの激しい虐待になった」「『絶対許さんからな』『殺したるからな』とこれまでで一番怒っていたと思う」【他の人がまんじゅうの最下位として虐待されているうちは安全なので瑠衣が些細なことを大げさにでっちあげ、橋本次郎を陥れた可能性がある】。8回瑠衣証言:検察から瑠衣へ「あなたが暴力をふるうときは自主的にやったのですか」。瑠衣「に見てもらう、の代わりに怒ってあげているとアッピールしていることが多かったと思います」【瑠衣はサイコパスが見ている前でサイコパスと同じことをするという疑似サイコパス前期。瑠衣は初めからに言われるまま母親の初枝を「(水の入った)ペットボトルで思い切り殴りまわした」など暴力をふるい、虐待される側になったことがない。2008年姉まり子、2009年母初枝の虐待死に加担している。瑠衣は疑似サイコパス後期の「逆転快」を感じる段階まで至ったか、サイコパス特性があると思われる】

三24回健証言:検察官「次郎さんについて瑠衣と相談したことはある?」。「していない。『が次郎のこと気にしているようだ』と瑠衣がに報告【告げ口】したら怒られると思って言いませんでした」。【まんじゅう内部は『告げ口の恐怖』がある。例13の松永も同様の告げ口システムを作っている。「が怒る」とは、サイコパスの怒りで、恐怖そのものである】。の「弱ったふりすんな!」の声に合わせ「反省しろと次郎さんを蹴った」【の前でアピールする疑似サイコパス前期の行動】。は監禁小屋監視責任者をマサに、次郎さんのおむつを替えるなどを仲島に命じた(証言)。【はまんじゅうの階級構造を自在に作っている】

三24回鄭証言:「次郎さんが起こしたトラブルを問い詰めたが何も言わないので、やってんなーと思い頭をはたきました。」「次郎さんが閉じ込められた監禁小屋の扉に仕え棒で開かなくし」「次郎さんを緊縛した丸太をとってきた。」【は自ら進んで虐待を行っており疑似サイコパス後期に気に入られ、自分が虐待対象にならないよう懸命であるとともに「逆転快」を感じていると思われる】。

(ⅲ)監禁小屋(暴力装置)

・小屋にカメラ設置。はリビングのモニター監視をみなに命じた。何かを見逃せば虐待されるのでみな懸命。

・小屋入り口に鍵。小屋から出て外部へ抜ける勝手口に防犯ブザー。「防犯ブザーを付けるから、逃げても無駄やぞ」と犠牲者に言う。監禁小屋では5人が虐殺された。

(b)安藤みつゑの虐待死(当時67)

激しい暴行の後に、まり子が監禁されている同じ小屋に入れられ正座を強制され、水や食事がほとんど与えられず監禁されて数日後の2008年11月10日ごろ正座した状態で前のめりになり死亡(マサ13回、仲島6回)。【徹底した正座強制は、人を同じ姿勢で長時間停止させるサイコパスの虐待の特徴。例13の松永も好んで使う、数時間のことも何日に渡ることもある】。は安藤みつゑ死亡時の写真を撮っている【サイコパスは記録を残す】。死後埋められて遺棄。次郎死亡の約3年前のこと。安藤みつゑは身内から金策をした後、家事仕事を担当して生きながらえていた。瑠衣が仕事を分けてと言うと「ええから、ええから」と言って阻んだ(瑠衣9回)。家事仕事を取られると虐待されるのを察してのことと思うが、叶わなかった。

(c)谷本まり子の虐待死(当時26)

まり子は08年7月から監禁されていた。マサの証言では、食事は08年9月中旬~11月10日頃の安藤みつゑが死ぬまでは、おにぎり一つのような粗末なものが1日1回か、出ない日もあった13回〕。11月10日頃に安藤みつゑが死亡し、仲島が死体を小屋から搬出するときに見た時のまり子は「一言でいえば骨と皮だけ、肉付きはなかったです〔仲島6回〕」。11月10日以後は更に少なくなりおにぎり一つのような粗末なものが2日に1回ぐらいになったマサ13回〕。なくなる5日ぐらい前に激しい暴力のあと寝たきり状態になった〔三14回証言〕12月上旬に死亡。はまり子死亡時の写真を撮っている【サイコパスは記録を残す】。死後埋められて遺棄。まり子さんはピアノを習い、イギリスに語学留学し、外人のツアーコンダクターを夢見ていた。下の画像左は安藤みつゑさん、中央は谷本茉利子(まり子)さん。右はナチスのアウシュビッツ収容所のガリガリに痩せた犠牲者。安藤みつゑさんも谷本まり子さんもアウシュビッツの犠牲者のように痩せて死んでいった。まり子さんについては後の項「(H)は能力を総動員して逃走者を捕まえようとする」も参照。

  

画像出典左:尼崎連続変死事件 まとめサイトhttp://seesaawiki.jp/amagasaki_jiken/d/%B0%C2%C6%A3%A4%DF%A4%C4%A4%F1 (2016/4/9閲覧)画像出典中央:S.Yamaちゃん’s Unrestrained Blog尼崎連続変死事件 家族乗っ取り 恐怖支配の構造【Ⅱ】 http://ameblo.jp/wpamcy/entry-11392687246.html (2016/4/9閲覧)画像出典右:アウシュビッツ強制収容所1オシフィエンチムhttp://www.ons.ne.jp/~taka1997/travel/2004/baltic-states/jpg/07/auschuwitz.html (2016/5/5閲覧)

サイコパスにはガリガリに痩せ餓死させることに引き付けられるものがいるは暴力で顔が腫れ上がり肋骨が折れるなどだけでなく、ほとんどの犠牲者に食料をわずかしか与えず、骨と皮の状態にして餓死させた。逆転認知欲求「人ってこんなになるんだと確認するかのように」ガリガリに痩せ細る状態にし、衰弱死に至らせる。次郎さんも安藤さんもまり子さんも同様の状態。大江和子さんも41キロが死亡時は22.5キロになってろっ骨などが折れて死亡していた。例13の松永も主也をガリガリに痩せさせて衰弱死させている。例11女高生監禁殺人の小倉も犠牲者の女子高生を51キロの体重から30キロ台にガリガリに痩せさせ虐殺した。例5神戸連続児童殺傷(酒鬼薔薇聖斗)事件の少年Aや例7静岡女子高生母親毒殺未遂事件の犯人などのサイコパスはアウシュビッツ収容所の犠牲者のガリガリに痩せた状態に引き付けられている。また松永は逆に突然大量に食べさせて吐かせ、人がどうなるか確認するかのように主也を虐待死したが、も同様に突然無理やり大量に食べさせることをしている。これらは逆転認知欲求そのものである。【食事や水を求める人に与えないことは、人をいじめ殺す究極の方法で、監禁をするサイコパスが好んで行う方法である。現代のISイスラム国の戦争でも太平洋戦争旧日本軍でも捕虜などに行うことが見られる】

(F)まんじゅうの皮となった人は犠牲者に優しい同情の言葉をかけることはない

「情を掛けていることが分かると、から怒られるので、虐待されている人に同情する言葉はかけることをしなかった」(瑠衣証言。同様の証言仲島および)。橋本次郎など虐待を受けている人に情をかける言葉は全くなかった。逆に弱ってふらふらしているのを「猿芝居するな」との言葉と同じ言葉を吐いて殴る側になっている。少年のいじめ集団の中から犠牲者に同情の言葉をかける人が出てこないのと同様である。〔いじめ集団については本シリーズ(その4-5)「(g)サイコパスまんじゅうのいじめ集団(虐待集団)と反社会性人格障害者のいじめ集団(反秩序集団)」参照〕

もし犠牲者に優しい言葉をかける人がいれば、その人はまんじゅうの皮になっていない人である。サイコパスに取り込まれればまんじゅうの皮にならないでいることは、相当に困難なこと。

【TBS報道特集「慰安婦問題の糸口は…」2015/11/28放映で、満州の吉林省慰安婦を取材した記者が「日本軍人の中には優しい人が中にはいたのではないか?」の質問に複数の慰安婦から「一人もいなかったと答えが来た。少なくても吉林省慰安所を利用した日本軍人のほとんどはサイコパス化していたと考えられる。慰安婦の1人は言うことを聞かなかったので日本刀で腕の一部を切られている。別の1人は腕を折られ曲がったまま。慰安婦は今でも思い出すと眠れない人がいると話している】【旧日本軍の関東軍731部隊は中国大陸ハルピン近くの約80㎢(8㎞×10㎞)の土地の1638世帯住民に突然、タダ同然で1カ月以内の立ち退きを命じ、立ち退きをしない家は焼き払うとし、極秘生体実験施設を建設した〔「悪魔の飽食第3部」1985角川書店、森村誠一、p106、p112〕。建設の労役を周囲の中国人住民に義務付け、1所帯に18歳から55歳の成人男子3人いれば1人の1年間の労役、1世帯に成人男子1人だけの場合はその人に4ヶ月の労役を強制した。都市部からも集められ約800人が建設労務についていたが過酷な労働と粗末な住宅や食事で、寒さや栄養失調で病気になり次々と死亡、建設の2ヶ月程度の後にはおよそ200人近くまでになった〔同p114〕】【ほとんど飲食は与えられない監禁状態で餓死といえる状態。この異常な死者の多さから、731部隊の中には虐待死することを快感とするサイコパスの存在があったと筆者は思う。ほかにも731部隊には多くのサイコパスの特徴行動がある。建設後に生き残った者は馬小屋の掃除や農場作業や引き込み鉄道のメンテナンス作業などの役務を行った。周囲の住民には居住許可証を発行し許可証のないものは処罰とした〔同p115〕。「日本軍の関係者に一人ぐらい優しい人はいたのではないか」「表立ってはできないけれど、陰で中国人を助けるような人はいませんでしたか」の取材者森村誠一の質問に当時の労役をしていた4人と住民10人以上は「一人もいなかった」「そういう日本人は見たことがありません」と口をそろえた〔同p125〕。731部隊全体がサイコパスまんじゅう化し地元中国人が虐待される犠牲者の位置と考えられる。まんじゅうの皮となった人は犠牲者に優しい同情の言葉をかけることはない。例13の松永やが作り上げたサイコパスまんじゅうと同様に、「告げ口システム」が形成され、優しい言葉をかければ「敵のスパイ」などのカラ理由で虐待を受ける『空気』が731部隊内部に蔓延していたに違いない。731部隊のサイコパス特徴行動については後の項「(3)戦時下のサイコパスの特徴行動」参照】

【旧日本軍の中で、まんじゅうの皮になることに抵抗できた人は少ない、だが存在した。特攻の命令を拒否し、部下に特攻に行かせなかった上官、戦艦大和の沖縄までの片道燃料だけの特攻出撃時に若い兵隊の乗船拒否命令を出した上官、軍内部や国内での太平洋戦争反対の活動をした人達である。これらについては後の項、「戦争映画の概観『永遠の0』『男たちの大和』」などで述べる】

(G)は年齢とともにサイコパス特性を強め、虐待を楽しんだ。

三16回証言:弁護人「何のために虐待をしたと思うか「人が苦しんでいる姿というか、人を苦しめるのが好きというか、そういうのでやっていたと思う」弁護人「暴力を振るわれて痛がったり、苦しんだりする姿を見て楽しんでいた?」「はい、虐待自体を楽しんでるというか」。

弁護人「は幼いころから人を虐待して喜んでいた?」学生の時は学校同士のけんかとか、男のところへ行って暴力的なことをしたのは聞いたことがある。苦しめてどうこうはなかったと思います」弁護人「年を重ねるごとに人をいじめて楽しむという側面が出てきたのか?」「一緒に住みだした頃はそういうことは無かったように思うんですが?」【は5歳の時に10歳の家に間借りし、一緒に住みだした。例5「神戸連続児童殺傷(酒鬼薔薇聖斗)事件」の元少年Aは物心ついたころからサイコパス特性が出始め11歳ころから14歳にかけて強くなっているが、隠れて虐待行為を行うので外部からは分からない。のサイコパス特性も当時のには見えていなかったかもしれない】。と同様の証言「は虐待を楽しむ人だった」〔三11回証言〕

【サイコパスにはのように年齢とともに残虐性を増すものと、残虐性が影を潜めて人間性を見せるものがいる(M.ストーン)。後者の場合は年齢とともに前頭葉(社会脳)が支配的になり逆転欲求を抑えるためと考えられる。この場合でも偏桃体機能不全が治っていなければ一時的なもので、いつでも豹変しうる。は反社会性人格障害(社会脳不全)とサイコパス特性(扁桃体不全)の両方を生まれながらに持っていたと思われる。したがって年齢を重ねても社会脳の支配は不十分で、サイコパスの逆転欲求がますます強くなったと考えられる。

(H)角は能力を総動員して逃走者を捕まえようとする

サイコパスは逆転欲求追及に自分の全能力、全人生を懸ける。そのことは逃走者を捕まえようとする行為にも表れる。

(a)谷本まり子の逃走

'03/8月に父谷本明の手助けで逃走したがすぐに戻っており、ここではその後の情報の多い2回の逃走と捕まった後の虐待を見る。

a)逃走1回目:’04年3月逃走し、2年9か月後の’06年12月に免許センターで捕まる。状況は次の通り。

(ⅰ)なぜ逃げたか:仲島3回瑠衣証言:検察官「まり子さんはなぜ逃げた?」瑠衣「虐待がひどかったからです。特に何かをしたからではなく性格が気に入らなかっんです。が殴ったり、バーナーで髪の毛を燃やしたり、裸でベランダに立たせたり。【にアピールするため】私も加わった」【性格が気に入らない人=ロボットにならない人=気丈で正義感があり、愛情をもって他の人と接し、他の人を殴れと言っても殴らないような人をは徹底的に虐待する】

(ⅱ)逃げたものを生活できなくする

は、収入源のアルバイトなどに不可欠な携帯電話と銀行口座を、妹の瑠衣に命じて次の方法で使えなくした。

・携帯電話:瑠衣にまり子名義の携帯電話契約をさせ料金を払わない。何回か繰り返すと携帯電話通信会社がまり子をブラックリストに載せて、ほとんどの会社の携帯契約ができなくなる。

・銀行口座:瑠衣にまり子名義の銀行口座を作りカードを発行させ、カードで預金以上の買い物をする。何回か繰り返すと銀行がまり子をブラックリストに載せて、ほとんどの銀行の口座開設ができなくなる。

まり子はこれでも友人を頼りに居酒屋アルバイト、アパート一人暮らしで逃亡を続けた。

(ⅲ)警察ネットワークを利用して捕まえる

まり子が唯一自分を証明して仕事ができるのは自動車免許証だけ。はまり子の運転免許証の更新時期を調べ更新に来たら知らせるよう警察に頼んで捕まえた。具体的には妹の瑠衣から伊丹市の免許センターへ「姉(まり子)が家出をしたので探している。両親が心配している。更新に来たら連絡してほしい」と。伊丹市の免許センターは関連の免許センターへ連絡を取り、網を張った。まり子は兵庫県明石市の免許センターへ行ったが、すぐに明石市から伊丹市の免許センターへ連絡が行き、そこからへ連絡が入った。直ちにマサなどを引き連れて免許センターへ行き、手続きが終わって出てくるまり子を待ち構えた。まり子は友人2人に「家族の追跡が怖い」と付き添いを頼んでいたが、強引に車に乗せられ拉致された。友人2人はすぐに明石署に駆け込み状況を話して、まり子を解放するように動いてほしいと頼んだが、家族間の問題に警察は介入できないと無視され、まり子から事情を聴くことはしなかった。この後まり子への激しい虐待は2回目の逃走まで続く。

例13北九州監禁殺人事件の松永が被害者の顔写真とサインさせた悪いことをしたことを『証明する書類』を使い「逃げたら警察に探してもらうから逃げても無駄だ」と言うのはうそではない。サイコパスは警察ネットワークを利用する。 

サイコパスが巧みに事態を展開するので警察署員は赤子の手をひねる様に簡単にごまかされている。そもそも健常者である警察署員にはサイコパスが起こす事態そのものが理解不能である。どうでもいい理由で「身内同士で虐待する」ということが、何を言っているのか理解することができない。警察ネットワークは「親族が心配して探している」という形式で利用されるが、その際実際に親族を前面に出すので警察は騙されやすい。サイコパス犯罪の研究はこのような場面の対処の仕方も研究されなければならない。警察の対応の問題は後の項で詳細を検討する。は他にも親族が探しているとして何回も警察ネットワークを利用して、逃走者を探し出している。〔本シリーズ(その4-4)「8)サイコパスは虐待行為に全能力を注ぐ(b)サイコパスは執念深く何年たっても特定の犠牲者を捕まえようとする」参照〕

(ⅳ)役所の住民票ネットワークを利用して捕まえる:まり子の母初代の場合

まり子の母、谷本初代は‘03/8月に同じく監禁状態の夫、谷本明の手助けで逃走し、偽名を使って和歌山県のホテルで住み込みの仲居として4年以上働いていた。車を買うため住民票を移した。その約2週間後の’07年12月上旬に、や娘瑠衣らがホテルに押し掛けてきて、そのまま連れ去られた。4年以上逃げていても捕まえる。サイコパスは逃走者を何年たっても執念深く捕まえる。役所の住民票ネットワークはまり子の逃走にも利用していたと思われるが、まり子は住民票を移す前に免許の更新で捕まった。役所には娘の瑠衣に「母親が家出をして探している。心配しているので、住民票の移動があったら連絡してほしい」と網を張っていたと思われるが、詳細情報はない。住民票は免許関係だけでなく、住居や仕事を確保するときに必要になることがあり、に利用される。本当に家出の人を探しているのか、サイコパスが逃走者を捕まえようとしているのか、判断する手法を確立する必要がある。例13の松永の妻は役所の協力で、住民票を移すことなく子供の転校手続きなどを行うことができて、松永から逃れることに成功している〔本シリーズ(その4-11)表の注*1参照〕

(ⅴ)捕まった後の虐待の様子:瑠衣9回:検察「記録ビデオでまり子が大量の酒を飲まされる場面で酒を拒絶しているときに『バーナー持ってこようか』とに提案していたのはなぜか?」瑠衣「バーナーを姉(まり子)に近づけて髪の毛がバーッと燃えて、姉がものすごい悲鳴を上げていたことがあり、バーナーは『威力のある虐待』という感じでした。私が『バーナー持ってこようか』と言うと、姉は言い訳していてもすぐに認めて、その後、話が一気に進むというのがあって、私も脅し文句でよく使ってた記憶があります」【まり子は酒を受けつかない体質だった?サイコパスは犠牲者が嫌がることを好んで行う。記録ビデオを残しているのはサイコパスの記録を残す特徴。バーナーは『暴力装置』に当たる。瑠衣は命令がなくても虐待をする疑似サイコパス後期に移行していたか、あるいはサイコパス特性を持っている】

b)逃走2回目:1回目に捕まって1年6か月後に2回目の逃走を図る。1回目に捕まって約2か月後の07/2月に仲島と強制結婚させられた。仲島は橋本次郎が東京の逃亡先に01年から05年夏まで約4年間逃亡したときに次郎の温情で居候させてもらっていたが、次郎が捕まった時に次郎とともに尼崎に連れてこられた。仲島は次郎に「俺についてくるな」「俺にかまうな」と言われていたがから10万円貸されるなどでつながりを作られ、を面倒見のいい人程度にしか理解できずに懐柔されて、言われるまま付いていった〔マサ14回仲島証言〕。尼崎に連れてこられて約半年の06年に仲島が沖縄の実家へ帰るとらが同行し、「両親を怒鳴り付けたり、態度がエスカレートするので、それを抑えたい一心で仲島は再び尼崎へ行くことに決めた」。そこで捕まったまり子と結婚になる。まり子の2回目の逃走は結婚後1年4ヶ月後の08/6月仲島と2。下の画像はまり子と逃走した仲島康司(なかしまやすし)。

画像出典:尼崎連続変死事件 まとめサイトhttp://seesaawiki.jp/amagasaki_jiken (2016/9/2閲覧)

(その4-16)へ続く。

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