久しぶりに島根県と鳥取県境の船通山へ行った。
この山に徐福(素戔嗚)が天から降りてきたという風に記紀に書かれた。
藤原不比等による、でたらめの作り話なのだが、紀元前2世紀末に徐福は 秦の始皇帝の命令で 沢山の海童(秦国人の青年たち)や
技術者たちを連れて 石見海岸の五十猛海岸に上陸した。
その後徐福は 部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)や海童たちを引き連れて 古代出雲王朝国内で
大暴れしたのを、出雲の人たちはよく記憶していた。(記紀では素戔嗚が天上世界で大暴れしたと書いた)
この山はもともと鳥髪山と呼ばれていたのだが、記紀に「徐福が天からこの山に降りてきた」とかかれたので
出雲の人は大層 驚いたという。
「そんなあほなこと」とみんな思ったらしいのだが、時の最高権力者右大臣藤原不比等に逆らうわけにも行かず
「それなら 船に乗った徐福は 五十猛海岸ではなく、この山にたどり着いたことにしよう」
と言うことで「徐福の乗った秦国からの船が着いた山」と言うことで「船通山」と言う皮肉な名前にしたのだという。
記紀は嘘の作り話のついでに 徐福すなわち素戔嗚が、この山中でヤマタノオロチを退治して「稲田姫」を救い、結婚したと書いている。
実際は 徐福は古代出雲王朝西出雲王家の高照姫と結婚して 生まれた息子に五十猛と名付けているのだが。
五十猛は後に丹波へ移住して 香語山と名を変える。
香語山の息子「天の村雲」は更に大和へ大量の海童を引き連れて移住して、初代大和大王になるのだ。
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横田町に入る。例年より雪は少ないようだ。
船通山は雲に隠れて見えない。
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林道はよく除雪されていてとても助かる。
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除雪が終わったあたりにクルマを止めて歩き出す。
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ここが林道終点の駐車所だが 除雪されてないので誰も来れない。
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ここから登山道が始まる。先行者の足跡は カンジキの人が一人だけ。
私はスノーシューを持ってきてなかったので、いけるかどうか心配になってきたが、
とりあえず12本爪のアイゼンを装着して いけるところまで行こう。
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歩き始めは植林帯の中だ。
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やがて自然の守の中に入っていく。
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斐伊川の源流沿いに歩く。
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雪は腐っていて、ズブズブだ。
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源流部の渡渉を繰り返す。
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太腿まで雪に埋まったり、時には腰まで埋まる。
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ストックもめり込んで、まるで役に立たない。
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先行者もだいぶ道に迷っていて、何回も引き返していた。もちろん私も引き返す。
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その2へ続く
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この山に徐福(素戔嗚)が天から降りてきたという風に記紀に書かれた。
藤原不比等による、でたらめの作り話なのだが、紀元前2世紀末に徐福は 秦の始皇帝の命令で 沢山の海童(秦国人の青年たち)や
技術者たちを連れて 石見海岸の五十猛海岸に上陸した。
その後徐福は 部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)や海童たちを引き連れて 古代出雲王朝国内で
大暴れしたのを、出雲の人たちはよく記憶していた。(記紀では素戔嗚が天上世界で大暴れしたと書いた)
この山はもともと鳥髪山と呼ばれていたのだが、記紀に「徐福が天からこの山に降りてきた」とかかれたので
出雲の人は大層 驚いたという。
「そんなあほなこと」とみんな思ったらしいのだが、時の最高権力者右大臣藤原不比等に逆らうわけにも行かず
「それなら 船に乗った徐福は 五十猛海岸ではなく、この山にたどり着いたことにしよう」
と言うことで「徐福の乗った秦国からの船が着いた山」と言うことで「船通山」と言う皮肉な名前にしたのだという。
記紀は嘘の作り話のついでに 徐福すなわち素戔嗚が、この山中でヤマタノオロチを退治して「稲田姫」を救い、結婚したと書いている。
実際は 徐福は古代出雲王朝西出雲王家の高照姫と結婚して 生まれた息子に五十猛と名付けているのだが。
五十猛は後に丹波へ移住して 香語山と名を変える。
香語山の息子「天の村雲」は更に大和へ大量の海童を引き連れて移住して、初代大和大王になるのだ。
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横田町に入る。例年より雪は少ないようだ。
船通山は雲に隠れて見えない。
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林道はよく除雪されていてとても助かる。
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除雪が終わったあたりにクルマを止めて歩き出す。
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ここが林道終点の駐車所だが 除雪されてないので誰も来れない。
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ここから登山道が始まる。先行者の足跡は カンジキの人が一人だけ。
私はスノーシューを持ってきてなかったので、いけるかどうか心配になってきたが、
とりあえず12本爪のアイゼンを装着して いけるところまで行こう。
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歩き始めは植林帯の中だ。
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やがて自然の守の中に入っていく。
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斐伊川の源流沿いに歩く。
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雪は腐っていて、ズブズブだ。
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源流部の渡渉を繰り返す。
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太腿まで雪に埋まったり、時には腰まで埋まる。
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ストックもめり込んで、まるで役に立たない。
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先行者もだいぶ道に迷っていて、何回も引き返していた。もちろん私も引き返す。
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その2へ続く
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