アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 鳥取県大山町の妻木晩田(むきばんだ)遺跡を見学してきました。 2016年5月21日

2016-06-26 16:26:27 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
以前から見学したかった「妻木晩田遺跡」を見る機会に恵まれました。
古代出雲王国に属していたこのムラはとても広大でした。

ひろい遺跡群を見て周るのは大変だと思いましたが、遺跡の管理事務所では
無料で 電動自転車を貸していただけて 大変助かりました。

おかげさまで2時間強で見て周れましたが、残念な事に時間切れで遺構展示館へ
いけなかったのが心残りなので 次回の楽しみにします。
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遺跡の全体頭のパンフレットです。管理事務所で無料で頂きました。
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広いスペースの駐車場です。無料でした。
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歩いて周ると 半日でも無理のような広いスペースを、電動自転車ですばやく見て回れました。
有料でも借りようと思いましたが なんと無料でした。
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まず洞ノ原地区へいきました。弥生時代のムラを復元しています。
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復元建物に入ります。
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内部は一段掘り下げてあります。
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低い部分で生活して 周りの高いところで寝るのでしょうか。
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中から玄関を見たところです。
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高床式の倉庫も復元してありました。大社造りの原点ですね。
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この洞ノ原地区には墳丘墓もたくさんあるそうです。
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出雲市西谷地区の四隅突出型墳丘墓の小型版です。ここは出雲王国内だったので当然この型のお墓ですね。
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その近くの小さなかわいらしいお墓は 子供のお墓だと書いてあります。
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墳丘墓群からは日本海が見下ろせます。
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その横の復元されたムラから見下ろした日本海です。海を見下ろしながら生活したのでしょうか。
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続いて妻木山地区へ向います。この地区にも復元されたムラがあります。
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こちらのムラは少し大きい村です。
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住居や倉庫群が並んでいます。
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ムラの中を2千年後の子供たちが駆け回っています。なんか変な気がします。
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この地区には 当時栽培されていた 粟、ヒエ、キビ、陸稲が栽培されていました。
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土岐を焼いた跡も発見されたそうです。この土器は復元製作実験した土器だそうです。
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住居の復元模型もあります。まず基礎土台を作ります。その中に4本柱を立てます。
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かなり頑丈な骨組みですね。
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妻木山地区のお墓は 洞ノ原地区のものよりも新しいそうです。こちらは円墳が多いそうです。
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最後に仙谷地区へ行きました。墳丘墓群から日本海を見下ろしたところです。
この地区の墳丘墓は方墳のようです。
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展望台から見た 孝霊山です。
出雲王国内の大きな村を滅ぼしたヤマトのフトニ大王がヤマトを追われ晩年地元の愛人と共に
住んだムラがあの山の麓にあります。孝霊とは 後年 フトニ大王につけられた贈り名です。
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西暦165年頃、徐福の次男穂穂出見の子孫の九州物部王家はヤマト地方への東征を開始します。
当時ヤマトには既に 徐福の長男五十猛(後の名を香語山)の長男の天の村雲と出雲王家の大和分家の
磯城家による ヤマト王朝が出来ていました。

物部東征軍は紀ノ川河口に上陸しようとしますが、その地には初代ヤマト大王天の村雲の腹違いの弟
高倉下の子孫により、紀の国があり 物部軍は撃退されて総司令官の物部五瀬は戦死します。

五瀬を竈山神社に祀った後 弟の物部稲飯と三毛入たちは熊野に上陸して 登美家の加茂建津之身の導きで
大和入りし、磐余に落ち着きます。

次第に強大になる物部軍に恐れをなして ヤマト磯城王朝7代目大王フトニ大王(贈り名を孝霊)は息子
大吉備津彦、若吉備津彦と皇后の細姫を連れてヤマトを脱出して 吉備王国を打ち立てます。

そしてフトニ大王は 鉄が欲しくて自分たちの親戚の出雲王家へ侵入して 第一次出雲戦争が始まります。

支那の歴史書「梁書」に「後漢の霊帝の光和年間178年ー183年に和国大乱」とかかれた時期だそうです。
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このときの激戦で 双方に大きな被害があったといわれています。同時に妻木晩田の集落も破壊されたそうです。

双方に大きな被害をだした 第一次出雲戦争は 次第に休戦状態になり、ヤマトを追い出されて
既に地方の王になったフトニ王は 孝霊山(この山の名前は 後の世にフトニ王の贈り名により
名づけられました)の東北の地に 今の大山町宮内に住み 地元に愛人と余生を過ごしました。

住居の跡は 高杉神社が立てられました。
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フトニ大王の死後 このあたりを大飢饉が襲いました。人々は フトニ王が若い愛人に溺れて皇后の
細姫をないがしろにしたというので 細姫の霊を慰める為に「ウワナリ打ち」を始めました。

ウワナリと言うのは若い後妻のことだそうです。すると 飢饉が止んで平和が戻ったらしく
それ以後は高杉神社の 神事として「ウワナリ神事」が今も続けられています。
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古代出雲王朝トップページはこちらです。その中に五瀬の祀られている和歌山市竈山神社もあります。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html
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