松尾大社では 毎年節分の日に 島根県益田市から「石見神楽保存会」の人たちが来て
石見神楽の 奉納演舞を行います。久しぶりに出かけました。
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大きな鳥居を潜ります。この神社は秦氏が創建したと言われており、このあたり一体、嵯峨野や
太秦界隈は秦氏が 開拓した土地です。秦氏とは あの徐福が秦国から大量に連れて来た
海童達や技術者達です。
主祭神 は もちろん徐福と二度目の妻の市杵島姫(宗像三姉妹の末姫)ですが、徐福とは言わずに
大山咋神(おおやまくいのかみ)となっています。
秦族の親分といえば 徐福なのに 名前を変えています。「徐福」そのままではいろいろと差し障り
があるのでしょう。奥方はそのまま祀られています。
ちなみに京都八坂神社の主祭神 も徐福ですが、主祭神 は素戔嗚とか牛頭天王となっています。
ちなみに牛頭天王とは素戔嗚の背属仏です。徐福は記紀で素戔嗚と書き換えられました。
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広い境内の真ん中に 今日の舞台の舞殿があります。
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節分は 冬に別れを告げて 春を迎える儀式です。そこで古いお札は ここでまとめて燃やされます。
ものすごい量の 古札です。
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早めに着いたので 広い境内を 少し境内をぶらぶらします。
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滝もあり、滝神様が祀られています。
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徐福は 沢山の醸造技術者を連れて来たとされていて、御酒の神様とされているようです。
特に室町時代以降は 御酒蔵元の信仰が厚いとされてたようです。
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沢山の樽酒が奉納されています。出雲では 徐福や海童達が暴れたので嫌われたから 出雲の御酒はありませんでした。
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たくさんある末社の一つに「玉依り姫」のお社がありました。今日気がつきました。
玉依り姫とは 記紀が創り上げた姫で 宇佐豊玉姫(九州物部王のイ二エ王の皇后で豊来入彦、
豊来入姫の御母堂)の妹姫として作られました。豊来入彦(ウガヤフキアエズ)を乳母として
育てて、後に結婚して 物部の五瀬、稲飯、三毛入を産んだとされています。
しかし九州物部王家の五瀬稲飯などの第一次東征は西暦165年頃、一方イ二エ王亡き後皇太后として
第二次東征の指揮を取った 豊玉姫は西暦250年頃の事で 100年近いあいだがある。
記紀の作り話はかなり無理を承知で 二つの東征を一つに纏め上げている。
徐福らに幽閉殺害された 出雲王国第八代副王(少彦)の八重波津身(記紀では事代主)の奥方の一人が
河内の国三島郡の玉櫛姫またの名を活玉依り姫ですから、記紀製作者はこの辺から名前のヒント
をえたのでしょうね。
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これも松尾大社の名物、ハート型のおみくじ結びだ。
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あちこちぶらぶらしているうちに 舞殿の回りはすっかり人だかりが出来て 皆さん神楽の開演を
お待ち鉦です。私も割り込みさせていただきました。
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舞殿の四隅には オロチの頭が飾ってあります。横にオロチの胴体もあります。
素戔嗚のオロチ退治は人気の演目です。
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石見の国で興った石見神楽は 160年くらいの浅い歴史だそうです。
出雲の国の 佐太神能(ユネスコ登録無形文化財)や 島根県山間部の大元神楽の千年近い歴史と比べると
新しい神楽です。江戸末期に起きた「大衆演芸」なのでしょうね。
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お払いの神楽の次は「塵輪」と言う名前の鬼を 豊前中津彦(記紀では何故か仲哀という大王に
されましたが、朝鮮王子ヒボコの子孫オキナガタラシ姫の三韓征伐を差う段されても
聞く耳を持たなかった 豊前の豪族 中津彦は息長姫皇后の単なる部下です。)が退治するお話です。
このお方が中津彦らしいです。
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そこへ 塵輪と言う名の鬼が現れて 舞台狭しと大暴れします。
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神楽面を被っていないこの方は中津彦の家来だそうです。この方と中津彦が鬼達を退治します。
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次の演目は「道返し」と言うもので この方は「タケイカヅチ」で 記紀では 藤原不比等ら
藤原氏の祖先神とされた方です。このたてイカヅチが 鬼達を懲らしめて ころさずに諭して
日向の国へ使わして 農業をさせるというものです。
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改心させられた鬼です。
この神楽の演目はすべて完全に記紀のストーリーにのっとっていますから、記紀の製作者不比等に
ゴマをすったのでしょうね。
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最後にいよいよ「ヤマタノオロチ退治」です。
老夫婦が 愛娘を素戔嗚に預けて オロチ退治を頼み 立ち去る場面です。
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稲田姫です。またの名をクシナダ姫ともいいます。
数年前にこの場所で見たオロチ退治の石見神楽の稲田姫を演じていたのは 小柄なおじいさんでした。
かなり女らしく振舞っておられましたが この稲田姫は 本物の女性です。
先ほどまで 横笛を吹いておられた美人です。
立ち居振る舞いは やはり女性そのものですね。
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酒をたらふく飲まされたオロチと 素戔嗚の戦いがいよいよ始まります。
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オロチたちは舞台狭しと暴れまわります。観客のほうまで来て大サービスです。
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こちらにも来てくれました。
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最後は素戔嗚に切り殺されます。このとき胴体の中からでて来た剣が「天の村雲の剣」で後に
「草薙の剣」とも呼ばれて 皇室の三種の神器の一つです。海部族により、引き継がれて今は
尾張熱田神宮に保管されているとか。
ちなみに「天の村雲」は 初代大和国大王です。記紀では「神武」とか「神大和磐余彦」などと
書き換えられましたけど。
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2時間に及ぶ熱演が終わり後片付けです。この後この舞殿では 豆撒きがありますが
私は別の神社へ移動します。
何人かの地元の常連さんが「来年もたのしみにしてるよ」と片付けのお兄さん達に声掛けてました。
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平野神社
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北区の平野神社はサクラで有名な神社です。境内には さまざまな桜を集めた桜苑がありますが
今はまだ芽も硬いままです。
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神門横の 大きな枝垂桜も 今はご覧のとおりの枝です。神門奥に見えるのが 桜の季節に
さまざまな催しの行われる舞殿です。
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舞殿前の有名な枝垂れ桜も今はまだ眠っています。
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境内には 早咲きの桜が何本か咲いていました。やはり桜はいいなあ。桜の季節が待ち遠しいです。
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この神社の神紋はご覧のように桜の花です。
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次は節分その2 北野天満宮です。
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石見神楽の 奉納演舞を行います。久しぶりに出かけました。
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大きな鳥居を潜ります。この神社は秦氏が創建したと言われており、このあたり一体、嵯峨野や
太秦界隈は秦氏が 開拓した土地です。秦氏とは あの徐福が秦国から大量に連れて来た
海童達や技術者達です。
主祭神 は もちろん徐福と二度目の妻の市杵島姫(宗像三姉妹の末姫)ですが、徐福とは言わずに
大山咋神(おおやまくいのかみ)となっています。
秦族の親分といえば 徐福なのに 名前を変えています。「徐福」そのままではいろいろと差し障り
があるのでしょう。奥方はそのまま祀られています。
ちなみに京都八坂神社の主祭神 も徐福ですが、主祭神 は素戔嗚とか牛頭天王となっています。
ちなみに牛頭天王とは素戔嗚の背属仏です。徐福は記紀で素戔嗚と書き換えられました。
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広い境内の真ん中に 今日の舞台の舞殿があります。
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節分は 冬に別れを告げて 春を迎える儀式です。そこで古いお札は ここでまとめて燃やされます。
ものすごい量の 古札です。
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早めに着いたので 広い境内を 少し境内をぶらぶらします。
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滝もあり、滝神様が祀られています。
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徐福は 沢山の醸造技術者を連れて来たとされていて、御酒の神様とされているようです。
特に室町時代以降は 御酒蔵元の信仰が厚いとされてたようです。
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沢山の樽酒が奉納されています。出雲では 徐福や海童達が暴れたので嫌われたから 出雲の御酒はありませんでした。
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たくさんある末社の一つに「玉依り姫」のお社がありました。今日気がつきました。
玉依り姫とは 記紀が創り上げた姫で 宇佐豊玉姫(九州物部王のイ二エ王の皇后で豊来入彦、
豊来入姫の御母堂)の妹姫として作られました。豊来入彦(ウガヤフキアエズ)を乳母として
育てて、後に結婚して 物部の五瀬、稲飯、三毛入を産んだとされています。
しかし九州物部王家の五瀬稲飯などの第一次東征は西暦165年頃、一方イ二エ王亡き後皇太后として
第二次東征の指揮を取った 豊玉姫は西暦250年頃の事で 100年近いあいだがある。
記紀の作り話はかなり無理を承知で 二つの東征を一つに纏め上げている。
徐福らに幽閉殺害された 出雲王国第八代副王(少彦)の八重波津身(記紀では事代主)の奥方の一人が
河内の国三島郡の玉櫛姫またの名を活玉依り姫ですから、記紀製作者はこの辺から名前のヒント
をえたのでしょうね。
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これも松尾大社の名物、ハート型のおみくじ結びだ。
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あちこちぶらぶらしているうちに 舞殿の回りはすっかり人だかりが出来て 皆さん神楽の開演を
お待ち鉦です。私も割り込みさせていただきました。
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舞殿の四隅には オロチの頭が飾ってあります。横にオロチの胴体もあります。
素戔嗚のオロチ退治は人気の演目です。
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石見の国で興った石見神楽は 160年くらいの浅い歴史だそうです。
出雲の国の 佐太神能(ユネスコ登録無形文化財)や 島根県山間部の大元神楽の千年近い歴史と比べると
新しい神楽です。江戸末期に起きた「大衆演芸」なのでしょうね。
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お払いの神楽の次は「塵輪」と言う名前の鬼を 豊前中津彦(記紀では何故か仲哀という大王に
されましたが、朝鮮王子ヒボコの子孫オキナガタラシ姫の三韓征伐を差う段されても
聞く耳を持たなかった 豊前の豪族 中津彦は息長姫皇后の単なる部下です。)が退治するお話です。
このお方が中津彦らしいです。
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そこへ 塵輪と言う名の鬼が現れて 舞台狭しと大暴れします。
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神楽面を被っていないこの方は中津彦の家来だそうです。この方と中津彦が鬼達を退治します。
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次の演目は「道返し」と言うもので この方は「タケイカヅチ」で 記紀では 藤原不比等ら
藤原氏の祖先神とされた方です。このたてイカヅチが 鬼達を懲らしめて ころさずに諭して
日向の国へ使わして 農業をさせるというものです。
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改心させられた鬼です。
この神楽の演目はすべて完全に記紀のストーリーにのっとっていますから、記紀の製作者不比等に
ゴマをすったのでしょうね。
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最後にいよいよ「ヤマタノオロチ退治」です。
老夫婦が 愛娘を素戔嗚に預けて オロチ退治を頼み 立ち去る場面です。
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稲田姫です。またの名をクシナダ姫ともいいます。
数年前にこの場所で見たオロチ退治の石見神楽の稲田姫を演じていたのは 小柄なおじいさんでした。
かなり女らしく振舞っておられましたが この稲田姫は 本物の女性です。
先ほどまで 横笛を吹いておられた美人です。
立ち居振る舞いは やはり女性そのものですね。
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酒をたらふく飲まされたオロチと 素戔嗚の戦いがいよいよ始まります。
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オロチたちは舞台狭しと暴れまわります。観客のほうまで来て大サービスです。
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こちらにも来てくれました。
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最後は素戔嗚に切り殺されます。このとき胴体の中からでて来た剣が「天の村雲の剣」で後に
「草薙の剣」とも呼ばれて 皇室の三種の神器の一つです。海部族により、引き継がれて今は
尾張熱田神宮に保管されているとか。
ちなみに「天の村雲」は 初代大和国大王です。記紀では「神武」とか「神大和磐余彦」などと
書き換えられましたけど。
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2時間に及ぶ熱演が終わり後片付けです。この後この舞殿では 豆撒きがありますが
私は別の神社へ移動します。
何人かの地元の常連さんが「来年もたのしみにしてるよ」と片付けのお兄さん達に声掛けてました。
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平野神社
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北区の平野神社はサクラで有名な神社です。境内には さまざまな桜を集めた桜苑がありますが
今はまだ芽も硬いままです。
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神門横の 大きな枝垂桜も 今はご覧のとおりの枝です。神門奥に見えるのが 桜の季節に
さまざまな催しの行われる舞殿です。
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舞殿前の有名な枝垂れ桜も今はまだ眠っています。
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境内には 早咲きの桜が何本か咲いていました。やはり桜はいいなあ。桜の季節が待ち遠しいです。
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この神社の神紋はご覧のように桜の花です。
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次は節分その2 北野天満宮です。
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