ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

「案山子」

2007年01月02日 | Weblog
物議をかもした昨年の紅白。
わたしは市の夜間診療所の当番だったのでその時間帯は視なかった。
あとで録画を視たが、あれはひどいねぇ。面白けりゃいい、ってもんじゃないと思う。
ああいう演出があるのをわかっていて、それを期待して集まるお客さん相手の、
彼らだけのオン・ステージなら、まだしもましだったかも知れないけど。
あるいは、会社の忘年会とかなら、ああいう演出は盛り上がったでしょうね。
でも、「紅白」だからさ。映像は世界にも流れる訳で・・・。
民報ならOK、NHKならNG、というレベルの問題ではなく、
TPOの問題でしょう。

裸踊りはともかくとして、
録画していたのは、さだまさしの「案山子(かかし)」を聴きたかったからだ。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/kakashi.htm

この歌を初めて聴いたのは、東京で浪人中の冬だった。

   元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
   淋しかないか お金はあるか  今度いつ帰る

予備校の寮で、勉強しながら聴いていたラジオから、この歌が流れてきた時、
不覚にも、涙ぐんでしまった。
父から時折送られてくる、手紙や電話の内容そのままだったから・・・。
 
   城跡から見下ろせば 蒼く細い川
   山の麓(フモト) 煙吐いて列車が走る
   銀色の毛布つけた田圃(タンボ)にぽつり
 
これらの歌詞を聴きながら、

  当時、雪深い城下町に単身赴任していた父の姿、そこに広がる肥沃な盆地の冬景色、
  故郷の山あいの村の光景、雪の中を今日も往診したであろう母の姿、

それらがひとつひとつまぶたに浮かび、自分が今直面している大きな壁を、
果たして今年は越えられるのかどうかという不安と、
不甲斐ない自分への情けない思いとがごちゃまぜになって、
浪人して初めて、泣いてしまったのだ。
大正生まれの父は、箸の上げ下ろしや口のききかたにもいちいち煩くて、
鬱陶しいと思うことも多く、
顔を会わせれば反抗的な態度ばかりとっていた私だったが、
この歌を聴くたびに心の中で感謝していた。
 
今は息子が、当時のわたしと同じ立場にいる。
今年は娘も我が家を離れることになる。
この歌詞と同じようなことを、
かつてわたしが親から言われていたことを子どもたちに言っていることに気付き、
ひとりで苦笑してしまう。

この歌は親から子へのメッセージと長いこと思っていたが、
さだまさしが遠く離れた弟のために書いたものだと知ったのは、最近のことだ。
 
 「案山子」はその後、「私花集(アンソロジー)」というアルバムに収められた。
 当然のことながら、そのLPレコードは我が家にもある。

 昨年は、父の13回忌だった。