ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

やりきれない

2011年10月30日 | 東日本大震災
双葉町から避難していた叔母が急死した。
脳梗塞だった。
叔母の避難先のアパートは、うちの近所だった。
倒れる数日前、クリニックの母の外来に来た。
血圧も高からず低からず、元気だった。
顔のシワ伸ばしの工夫してるんだ、なんて雑談を看護師としていたそうだ。
若い頃は美人な叔母だったから、年齢を経てもお洒落心を忘れていなかったのか、
あるいは、今の暮らしの中で、少しでも身綺麗にすることを心がけることで、
気持ちを前向きに保とうとしていたのか・・・、今となってはわからない。
私は、その日叔母が来ていたのは知りつつも、
自分の患者さんの診察に忙しく、挨拶をしないままだった・・・。

被災地から避難してきて亡くなった親戚は、叔母で3人目だ・・・。

叔母は、津島の実家から双葉町の旧家に嫁ぎ、種々の理由で夫と離別、
女手ひとつで嫁ぎ先の旧家を支え、二人の子どもを育て上げた。
旧家とはいえ、その後の暮らし向きは困難だったそうだ。
孫も結婚し、ひ孫も産まれた。
80歳もいくつか過ぎ、これから本当に自分だけのことを考えればいいという時に、
3月11日を迎えた。

叔母の菩提寺の住職さんは首都圏に避難しておられ、すぐにはおいでになれないとのこと。
同じ宗派の福島のお寺さんに連絡を取っていただき、こちらで葬儀を執り行うことになった。

参列した親戚・知人には、同じく避難してきている人たちも多い。

福島のお寺の住職さんの言葉には、心を打たれた。
はじめに、原発事故で思わぬ避難生活をされてきた故人や遺族へのねぎらいの言葉があった。
そして、このようにおっしゃった。

 昭和20年8月15日を境に、日本の国の価値観が変わった。
 この時期に、故人は丁度多感な年頃だった。
 この時代の女性は、黙々と困難を耐え忍び、家庭を支えてきた。
 戦後の復興は、この時代の女性の無言の支えがあってこそとも言える。
 故人も、まさにこのような時代を生き抜いてこられた方なのだと思う・・。
 
そして住職さんは、こう言葉を続けた。

 皆さん、お葬式を出せる幸せ、ということを考えたことがありますか? 

・・・と。

わたしは、住まいとか、菩提寺とか、金銭的なことかな、と思って聴いていた。
でも、そういう意味ではなかった。
住職さんの講話は続いた。
避難してきた方の葬儀を菩提寺の代わりに執り行うのは、叔母で5人目だそうだ。
ボランティアで、被災地のご遺体の火葬に立ち会ったりもしたそうだ。
そこでは、身元不明のご遺体もまだまだ多いという。
それらのご遺体は、火葬後に役場に仮安置され、いずれDNA鑑定ができるようにしてあるとのこと。
身元がわからないご遺体は、正式に葬儀もできないのだそうだ。
このような事態にあうまで自分も、葬儀代がないなどの理由ではなく「葬儀もできない」
ということを考えたことがなかった、と住職さんはおっしゃった。

 (震災や原発事故のことは本当に不幸な出来事だけれども)
 こうして家族や親戚知人に見送られる、それは故人にとって幸せなことなのだと思います。

それまでうつむいて講話を聴いていたけれど、はっとしてわたしは顔を上げた。
そうなんだ・・。
「身元不明者」ではない叔母は、幸せな最期だったのだと思って見送るのが、残された者の務めだ。
そう思うしかない・・・。
住職さんの言葉のはしはしには、避難してきて亡くなった叔母のような立場の人たちだけではなく、
いまだ、身元不明のお骨になって仮安置されたままでいる方々や、
行方のわからない身内がいるであろうご家族の方々への、僧侶としての深い憐憫の情を感じた。



数日前、九州の玄海原発が再稼働した。

原爆による唯一の被爆をうけたこの国で、原発事故が起きた。
そしてそれは、まだ収束していない。
宮城や岩手の被災地とは異なり、身元不明者どころか、捜索さえもされないままの方々も、いるのだ。
原発事故による一般市民の健康被害は、おそらく出ないだろうとは、思う。
でも、それとこれとは、全く別の次元だ。
叔母のような家族は、おそらくたくさんいる。

この夏の猛暑で、電力消費が危ぶまれたけれど、何とかなったではないか。
この国に、この狭い国土に、本当に原発は必要なの?

この後に及んでもなお、原発を必要と「しようと」している、それが理解できない。

さらに、もっと許せないことがある。
声高に「原発反対」を叫ぶ一部の団体は、こともあろうに、
福島の子どもの「模擬葬列」なるものを行ったそうな。
ふざけるな。
人の「生き死に」をデモなんかで再現するな。
模擬葬列に参加した僧侶の方々は、被災地でボランティアをしたらいい。
「葬式ごっこ」で「反原発」を訴えるぐらいなら、
ランプでも何でもいいから電力を極力使わない生活法のアピールでもしてくれ。
国民全員が節電を心がけ、電力消費を押さえることが、原発撤廃の近道じゃないの?


まったくもって、やりきれない。



悔しい。



 

秋祭り

2011年10月30日 | 日々のつぶやき
もう10月も終わり。
この3日には、例年より20日も早く、吾妻山に初冠雪があった。
その吾妻山の紅葉も、もう終盤だそうだ。
今年は紅葉も初冠雪も、落ち着いて観る機会がなかった。
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10月といえば実りの秋。
ここ福島市では、10月に大きな祭りが二つある。
秋祭りは、五穀豊穣の祈願でもある。

【飯坂けんか祭り】
飯坂町は、福島市の北部にあり、かつては東北最大といわれた飯坂温泉で賑わった。
東北新幹線や東北自動車道の開通によって、福島市は首都圏から日帰り圏内になってしまい、
観光事業対策の遅れや不景気もともない、飯坂温泉はずっと下り坂であった。
市内の公衆浴場のいくつかも改装したり、新たに道路整備をしたりと頑張ってはきたのだけれど、
3月11日の震災と、その後の原発事故がとどめを刺した状態だ・・・。
でも、今年の「けんか祭り」は、例年になく盛り上がった。

今年のけんか祭り
http://www.youtube.com/watch?v=G6etlh5CMZI&feature=related

2年前のけんか祭り・ダイジェスト版
http://www.youtube.com/watch?v=wqBnvjtaExM&feature=related



【福島市稲荷神社例大祭】(10月8日~10日)
8日の夜、用事があって外出した。
おぉっ! 結構な人出ではないか!
(都会の方々には、これのどこが? っておもうかもしれないけど・・)





「そ~れ、それそれ、それそれ~!」
のかけ声で、子どもたちも山車をいっしょうけんめい引いている。
目頭が熱くなった。
おとなもこどもも、老若男女の市民がこんなに思いをひとつにした祭りは、今までになかったんじゃなかろうか。

東北の、小さな街の、さほど大きくない神社の祭りだ。
でも、自分たちの街の復興を願う思いは、ほかの誰よりも大きいはずだ。

おなじ日、二本松市でも「ちょうちん祭り」があった。
こちらも大いに盛り上がったと聞く。